8話 無念、そして。

 道化の跳ねるような刺突しとつは、真っすぐにトールの喉元を狙っていた。

 

 トジバトルは再び剣を弾かれた状態にある。

 他方のトールは、寸刻前までトジバトルの無事に気を取られていた。


 つまり、道化は、この瞬間と間合いに、ようやく必殺の機を見出したのである。

 滑稽を装いながら二人の剣闘を至近で見守り、ひたすらに様子を窺っていたのであろう。


 だが、彼に与えられる機会は、間違いなくこの一度きりである。


 ――喉突き!


 トールが後に語ったところによれば、剣道においても、突き技と呼ばれるものは存在した。

 ただし、喉元への突きのみが有効打と見なされるそうだ。


 これを回避するには、相手の刀剣を叩くか、脚を払って迫る剣筋を反らす――。

 あるいは、自身の反射神経を頼りに避けるほか無かった。


 が、いずれも時すでに遅し、とトールは判断する。

 となれば、彼に残された手段は一つだけであるが、それを実行に移せる人間は限られるだろう。


 実戦を経験しており、なおかつ恐怖心を克己こっきした者だけである。

 精神的なが外れていると、さらに好都合なのかもしれない。


 ――どのみち、トジバトルさんにやられる予定だったしね。


 喉を突かれれば死ぬ。

 ならば、腕を差し出すべきであろう、と考えたのだ。


 呑気な男であるが、決断すれば躊躇わないのがトール・ベルニクである。

 振り上げが遅れぬよう愛用の聖剣を床に手放し、両手で喉元を守るよう交差させた。


 屈伸からの刺突しとつによって、その剣圧と早さはいや増している。

 とはいえ、それが仇となり、今さら剣筋を変えられない。


 ゆえに、道化の短刀は、軌道の直線上にある腕を刺し貫いた。


 鋭利な刃物で貫かれた場合、あまりに早いと痛みを感じるまで時を要する。

 そのため、トールは小さく呻いたのみで悲鳴すら上げていない。


 代わって、周囲では大きな悲鳴と怒号が響く。


「トール殿ッ!」

「だ、誰か、医官を呼べ」


 トジバトルに打ち据えられる絵面は想定内であったが、よもや道化が暴挙に出るとは誰も想像していなかったのだ。

 いや、むしろ、予想を超えるトールの善戦に見えた為、ピュアオビタルの領主が剣闘士相手に剣術で打ち勝つ可能性すら脳裏にあったかもしれない。


 そのため、動揺の後に拡がったのは怒りであった。


 酔狂から始まったとはいえ、なかなかに見応えのある余興を台無しにされた――。

 おまけに道化如きが、ピュアオビタルに刀剣で手傷を負わせたのである。


 女帝ウルドとて、同種の感情を抱いていた。

 

 自身を軽んじたトール・ベルニクを貶めるための余興であったが、道化にその役を担わせるつもりなど無かったのだ。

 彼女の権威主義的な美学にも反している。


「衛兵、道化を捕らえよッ!否、刎ね殺せ!」


 女帝の指示で衛兵が動き出す前に、ジャンヌとテルミナは、帯剣を抜いてすでに駆けていた。

 ジャンヌに至っては、誰に言われずとも道化の雁首がんくびを刎ね飛ばすつもりである。


 ロベニカとマリも、己では戦力にならぬと自覚しながらも、居ても立ってもいられないのか、その後を追った。


 これら全ては同時進行であるが、震源地――つまりはトール、道化、トジバトルの間でも次の動きが始まっている。


 必殺の突きを防いだトールを見て、道化の左手が伸びる前にと、トジバトルは自身の剣で短刀を弾いた。

 隙だらけとなった背面から斬り殺さなかったのは、取り調べが必要なのではないか――などという見た目にそぐわぬ彼らしい配慮がある。


 左手にあった短刀は取り落とし、トールの腕を刺し貫いている短刀は容易に抜けぬ――。


 道化は悟った。


「――無念」


 口にする必要も無いはずだが、思わず吐露された本音だったのかもしれない。

 試合に勝ち、勝負に負けた状態なのである。

 

「あの、どうして――」


 熱は感じているが、未だ激痛には襲われていない。

 

 そのため、冷静に問い掛けようとした。

 あまりに意味が分からぬ為、理由を知りたかったのである。


 道化は女帝ウルドを殺害するはずなのだ。


 長年置かれた境遇と、ウルドの先帝を上回る非道ぶりであれば、その機会が与えられれば実行したとしても何ら不思議はない。

 道化の知らぬ話しとはいえ、教皇が逝去した後に、またとない状況が来るはずなのだ。


 ――ボクが筋書きを変えてしまったせいなのかな。

 ――それとも、彼が殺したいのは、そもそもボクだったのか……。


「トール様ッ!」

「閣下から離れよ。下郎ッ!」

「ぶっ殺すぞ、糞が」


 ロベニカ達の声が迫る。

 常に沈着冷静なマリとて、ひと際大きな声でトールの名を呼んだ。


 それを聞き、道化の身体は僅かに揺れ、なぜか逡巡する様子を見せる。

 だが、すぐに意を決したのか、奇妙な眼差しでトールを睨んだ。


「俺は死ねんのだッ!!」


 唐突に彼は叫び、トールの腕を貫いていた短刀を手放すと、大きく跳ねて身を翻した。

 その刹那、ロバの耳を付けたフードが跳ね上がる。


 ――あれ、あの首……。


 露わになった道化のうなじを見てトールは気付く。


 ――ニューロデバイスが無いな。


 幾つかの記憶が呼び起こされるが、それを道化に問う間は無かった。

 異様なほどの俊敏さで、衆人の足元をすり抜けて大広間から逃げ出したのだ。


 とはいえ、イリアム宮のセキュリティシステムと、多数の衛兵から逃れるなど有り得ないだろう。

 女帝ウルド、また大広間にて動揺する人々も、そのように考えていた。


 必然的に、逃げた道化は捨て置いて、トールの周囲に寄り添う状況となる。


「トール様」


 無論、最も傍に立つのはロベニカ達であった。


「え、ああ、まあ大丈夫ですよ。何だか、まだあまり痛くないんです」


 左腕を短刀に刺し貫かれながら、普段と変わらぬ落ち着いたさまは、彼を英雄視する言説に一層の力を与えたのかもしれない。

 

 ロスチスラフの三人娘などは、完全にトールを見詰める眼差しが変化してしまった。

 トールと娘達を交互に見やり、ロスチスラフは今後の算段を思い巡らしている。


 他方で、立ち位置に困っているのは女帝ウルドであった。

 トールを貶めるつもりが、お抱えである道化の失態により、逆にトールの名声を高める結果となってしまったのだ。


 加えて、道化の仕出かした今回の不始末はあまりに大きすぎる。

 素直に詫びるのが筋というものであろうが、そのような度量を彼女は持ち合わせていない。


 となれば、ある意味では、それは救いの報せとなったかもしれない。 

 尋常ならざる急報を伝えるため、天武の間に多数の廷吏が入って来たのである。


 廷吏たちは、女帝ウルドの足下そっかに跪くと、臥したまま口上を述べた。

 秘されるべき情報ではなく、皆が知るべき内容なのだろう。


「恐れながら、陛下、猊下げいか各位、ならびにお集まりの皆様方に、お伝え申し上げたき儀がございます」

「うむ、申せ」


 ウルドは、自身の声音に、少しばかりの安堵が混じるのを隠せなかった。

 報せの内容次第では、道化の失態など吹き飛ぶであろうからだ。


「教皇庁より報せがございました。グレゴリウス教皇聖下、アフターワールドへ召され、女神ラムダの祝福に浴されました。哀しくも目出度き日であろうと――」


 つまり、死んだのである。

 女帝ウルドは薄く笑ったが、すぐに表情を消した。


 枢機卿すうきけいの反応は、両者で大きく異なる。


 アレクサンデル枢機卿すうきけいは、椅子から立ち上がると急ぎ足で大広間を出ていった。

 一方のレオ枢機卿すうきけいは、座したまま瞳を閉じΛらむだの印を結んで祈りを捧げている。聖レオに相応しい姿であろう。


 ――じゃあ、怒らせる必要なんて無かったのか……。


 トールには、少しばかり拍子抜けした思いがある。

 彼の記憶によるならば、グノーシス異端船団国との国交正常化に向けた動きを知り、既に病床にあった教皇は憤死するはずなのだ。


 ――さて、どちらに付くべきかな……。


 負傷した左腕の始末は周囲に任せ、トールは己の考えへと沈んでいく。


 ともあれ――、


 波乱に満ちた宴は、こうして突然に幕を閉じた。

 宴は終わり、コンクラーヴェ、つまりは教皇選挙が始まるのである。


 ◇


 メイド仕事は、細かな点に目が行き届くことを要求される。


 客であれ、領主であれ、その一挙手一投足に注意を配ることで、相手の要望を先取りできるのだ――というのが家令セバスの口癖であった。

 そのせいか、あるいは生来のものかは不明であるが、メイドのマリは人より少しばかり注意深い。

 

 マリは、道化が逃げ去る際に、彼が床に何かを落としたのを見逃さなかった。

 周囲の喧騒が収まらぬうち、彼女はそれを拾い上げる。


 それは――、


「写像?」


 照射映像を物理転換した写像であった。バイオレットの髪色の女と幼女が映っている。


「――」


 マリはそれを無言で見詰めた後、自身が持つ小さなポーチに仕舞った。

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