第五章 困難な旅路
第18話 旅路の始まり
ナタリー達が海神の神殿に出かけてから十数日後、山の中の道をニコシアのお妃候補を乗せた馬車の列が進んでいる。
ナザール王国東部は早くから文明が開けた場所ではあったが、山がちの地形が続き、どうしても治安はよろしくない。
開けた土地が少ないので食い詰めた者が山に籠って山賊稼業を始めることもあったし、見慣れないモンスターが住み着いて人々を脅かすことも多かった。
本来なら風向きも航海に向いた時期であるし船旅でお妃候補を送る方が合理的だ。
しかし、船は酔うので嫌だとの声が有力貴族の娘から上がり、馬車を使っての移動と決まる。
移送の責任者であるノーランはこの仕事を主のナーガ侯爵から引き受けたことをすぐに後悔することになった。
主君から命令を受けた日に美女を見て浮ついた気持ちになっていた自分を殴ってやりたい気持ちですらある。
ノーランが何か提案しても肯定的な返事が返ってくることは無く、贅沢になれた姫君たちの我儘に振り回されることになった。
もっと乗り心地のいい馬車はないのか、一日の移動時間はもっと短くしろ、宿のベッドが硬い、食事内容が貧相だ、何かが無くなったがきっと同行している他所の姫が盗ませたに違いない……。
骨を折ったことに感謝の言葉の一つでも帰ってくればまだ気分は晴れるのだろうが、扇の向うからそんな言葉が発せれることは皆無だった。
自分自身の気持ちの折り合いをつけるのに苦労をしているというのに、部下からも怨嗟の声が溢れている。慎重に人選したつもりだったが数十人もの人間の指揮に四苦八苦していた。
そんな中で、ナタリーとカトリーヌは基本的にノーランの提案に反対することはなく、疑念は表明するが決まれば文句は言わない。
最初は軽視していたロンガ家の二人、特に姉の方のナタリーへノーランが親近感を抱くのに時間はかからなかったのも当然だろう。
そんな中、自分がお妃に選ばれると信じて疑わない五人の姫君たちは、少しでも旅程を短くしろと新たなことを言いだす。
早くニカポリスに着いて、皇弟殿下に自分の魅力をアピールしたい。噂でしか聞かないアーデバルト様がどんな方なのか早くお目にかかりたい。
そんな思惑を背景とした圧力にノーランは抵抗できるはずがなかった。
ただ、ノーランは姫君たちを警護する立場として山中の道を使うことに不安が残る。常識的に考えれば避けるべきだった。
誰かに仕事を代って欲しいと思いつつ、やるべきことを為さねばならない。
他の姫君たちの要求をロンガ家の二人にも報告しなければならなかった。
ナタリーは今までの会話から判断するに良識がある。さすがに反対されるのではという一縷の希望とそれによって引き起こされる争いを危惧をしつつ、安全だが遠回りになる街道を避けて山中を通る道を進みたいとノーランは告げた。
ナタリーはモンスターの出没が気になると注意喚起をするだけで簡単に了承する。
毎度のことながら手間がかからないことにノーランはほっとした。また、信頼できる他人に自分の話を聞いてもらって承認を得たことに安堵を覚える。
責任を分担してくれる者がおらず、全てを背負うことに疲れ胃の当たりがキリキリと痛んでいた。
部下相手に今ではロンガ家の姫の相手が一番楽で心が休まるとこぼしていたノーランは、その翌日の朝に早くも前言を後悔する。
ナタリーがドレスを脱ぎ捨て完全武装で愛馬に騎乗していた。
革の胸当てをつけて手甲もはめ、手にはグレイブ、弓矢を背負った戦闘時の恰好である。
こんなものまで馬車に乗せる荷物に紛れ込ませていたのだった。用意周到と言えなくもない。
愕然として言葉を失うノーランにあっさりと宣言する。
「何かがあったときに、この格好なら後れを取ることはないだろう。この道を行く以上は最大限の備えをするべきだ」
「し、し、しかし、私は七人の姫君を無事に送り届ける責務があります」
「そのためさ。こうしておけば、きっとつつがなく全員を送り届けられるだろう。私が馬車の中にいたんじゃ、気が付いた時には二人だけ無事ってことになりかねない」
自分が出ればたいていの障害は排除できるという自信にあふれていた。
馬車に乗っていて遅れをとればナタリーとカトリーヌしか守れないが、最初から出ておけば他の姫も守れるというのは正論ではあった。
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