第10話 世界の謎(1/2)

 モノレールを降りて幕張メッセの隣に立つビルに入った。受付を通過して広いバーチャルルームに直行する。今回は紹介状は要らない。上司がすでにここにいるからだ。


 ファンタジーだったバーチャルルームはSFになっていた。あの時の集中治療室の光景だ。


「解決策は見つかりましたか?」


 理解不可能な計数の中心に立つインテリヤクザは俺を見ても顔色一つ変えなかった。


 いや、九重女史から連絡がいっているから当然だけどな。雇い主の出張先にアポなしで飛び込むフリーランスなんて小説の中にしかいないはずだ。ただ俺を見たとたん、全ての作業をやめるのはどうだ。


「それはそっちの仕事のはずだが」

「私の仕事は時間稼ぎですよ。お得意の小説なら「ここは私に任せて先に行け」という役どころです」


 小説の勉強が足りないな。最近だと残った方が主人公らしいぞ。Web小説はあんまり詳しくないけど。


「それで、私は何をすれば?」

「もう一度取材の手はずを頼む。ただし対象はシオンじゃなくて、シオンの管理者だ。ただし、これは経営という観点で測れない可能性リスクがある」

「思わせぶりですね」

「氏が経営者かアーティストか、反応が読めないってことだ。それこそ訴訟になるかもしれないぞ」


 顎に手を当てて一瞬考えた鳴滝だが、すぐにうなずいた。


「問題ありません。必要なリスクは取ります」


 鳴滝はその場でインカムに向かって話しかけ始めた。「ええ、緊急です。そちらの予定よりも優先してください」という言葉が聞こえる。大企業のトップ相手にもこんなに傍若無人なのか。小説の登場人物かよ。


 そんな大物を顎で使う俺ってかっこいいな。実際には黒幕に踊らされている小物の可能性が大だが。日本語は便利だな。さっきの鳴滝の台詞の主語は誰だ? 




 所長室に向かう途中窓から中庭が見えた。ちょうど昼時でテラスで食事をとる社員たちが見える。リリースの延期で大変だろうに表情に暗さはない。サラダをほおばって笑っている。梨園が社員を大事にしているのは本当なのだろう。


「アリス。最後に確認だ。アリスがもしもこのゲームの主人公を設定するとしたら、その役割ジョブは……で間違いないな」


 所長室のドアを廊下の向こうに捉えて、俺はマイク越しにアリスに話しかける。


『はい。間違いありません。それと先生の宿題ですが、シナリオナンバーを送ります』




 所長室を開けた俺の目に最初に入ったのは、机の背後に飾られた絵だ。現代美術は苦手だ。どんなテーマで描かれているのか素人にはさっぱりだからな。古典絵画なら聖書しんわの一節とか、テーマやコンセプトのヒントがある、海が割れているとか分かりやすい。


 一方、この絵は原色多めの色鮮やかな点と四角と三角が組み合わさっているだけだ。何がこもっているのかさっぱりわからない。


「海野先生?」


 絵の前の机に座る小太りの男が怪訝な顔をこちらに向けた。そういえば鳴滝は一度も俺の名前を出さなかった。本当に研究者か起業家にしかなれそうにない男だ。もう一つ候補があるとしたらアーティストだろうけど、奴の作品はごめんこうむる。きっと梨園の背後の絵よりも理解不能だろう。


「今回の問題を解決するために、梨園社長にいくつか確認があります」

「私に? 一体何をでしょうか」


 俺は手に掴んだシナリオを梨園に向かって突き出した。梨園は一瞬だけ顔をしかめたが、すぐに表情を緩めて来客テーブルに案内してくれた。実に出来た人物だ。どうせ部下になるならこちらの方がいい、俺にとってはだが。


「『創世の魔法』の第一章から最終章まで全てのシナリオの流れをチェックしました。どれも素晴らしいですね。特に一、二章は無名のシナリオライターを使っているのに」

「小説家である先生にそう言ってもらえるのは光栄ですね。もちろん、お願いしたシナリオライターの方たちの力ですよ」

「梨園社長のアート出身の眼力があればこそでしょう。テーマ、コンセプト、そして舞台設定の関係を非常によく理解しておられる」


 応接テーブルに最終章シナリオと付箋を貼った公式設定資料集を広げた。今朝、書店によって購入した。人間と話すなら紙の方が手っ取り早いのだから仕方がない。同じものを電子と紙の二つ請求するわけにはいかないのでこちらは自腹だ。


「特に第四章、つまり最終章は誰もが知る名手にこれ以上ないシナリオを実現させた」

「角さんの実力というべきでしょう。私としてもとても良い仕事をしていただいたと思っていますよ」

「そうですね、角さんは原作の魅力を忠実に引き出すことに定評がある。唐突に出てきた深刻な設定を実に上手くシナリオに組み込んでいる。さてここからが確認です」


 俺は「唐突」という言葉にピクリとまゆを上げたプロジェクトマネージャーを見据える。


「ジェンが最終章になって突然善悪の二面性を出す。これはシナリオライターではなくあなたの決定ですね」

「…………最終章ですから大きな仕掛けが必要でしょう。インパクト抜群だと思いませんか?」


 最終章のプロモーション動画からプリントしたボス、世界の魔法法則をゆがめる魔導書ゾンビ、ではなくその周囲にいる悪のジェンを指さして聞いた。


 梨園の答えは肯定だった。


 ゲームでは舞台設定の持つ要素は大きい。このゲームの一番の特徴である自然言語による魔法システムも世界設定そのものと一体化して現れるから魅力があるのだ。毎回別のシナリオライターを起用しているのに、同シリーズとしての統一感を保つのは舞台が共通だからだ。そしてその世界を作ったのは梨園だ。


 ここまでは予想通り、ここからが本番開始だ。俺の疑問はどうして最終章になって『悪のジェン』なんてハイリスクな設定を持ち出したのかだ。


「確かに大きなインパクトでしょうね。私のように最終章から知った人間ではなく、これまでのシリーズを通してプレイしてきた熱心なファンほど驚いてしまうでしょう」

「まあ大きい分には困らないでしょう。シナリオが竜頭蛇尾ならともかく堂々たるものだ。文字通り世界の本当の姿を問うていると思いませんか?」

「ええ、さっき言ったように小説を書くものとしては感服しました。この最終章だけを読んだ時には嫉妬さえ覚えた。ですがシリーズ全体を通してみると問題を感じる。私がプレイヤーなら、大きな違和感を覚えるでしょう」


 俺はもう一度『悪のジェン』を指さして続ける。


「ジェンはこれまでプレイヤーに寄り添ってきたパートナーです。実際、三章まではプレイヤーは最初にジェンに出会うところからゲームが始まる。そんな存在が裏で人間を滅ぼそうとしている。これはプレイヤーのこれまでのジェンへのイメージと全く異なるからです」

「……プレイヤーのジェンが裏切るわけではありませんから、問題ないと思いますよ」

「前章までにほんの少しの伏線もなくでも?」

「シリーズといってもゲームは一つ一つが独立していなければならない。小説のように一話から読んでもらえるわけではないので」


 梨園は足を組みなおした。


「最終章シナリオの中でジェンはもともと中立であったことを暗示するイベントが要所に配置される。それもどのプレイヤーも通るべき共通ルートに」


 俺はシナリオ全体を表すフローチャートの団子の串に位置するサブシナリオを指さす。


「小説家さんに言うまでもないことだとは思いますが、善悪の二項対立というのはストーリーの基本だ。そこにリアリティーがないといけない」

「つまりジェン自体は本来人間の敵でも味方でもない。それを強調することがリアリティーのために必要だと」

「そういうことです」


 一見理路整然とした説明だ。その姿がアリスの質問に答えていた時のシオンに重なるのが皮肉だ。だが、プレイヤーのジェンが裏切るわけじゃないと言った口から、全てのジェンは潜在的に裏切る可能性があるという言葉が出てくるのは矛盾だ。


 もちろんプレイヤーのジェンが裏切るような展開はない。だが、シナリオを読み進めると自分のジェンもいつ裏切るかわからないと思わせるようになっている。当然だ、これはそういう世界設定なのだから。小説家ならだれでも分かる。


「質問を変えます。この唐突な悪のジェンに、梨園社長は何を込めたのですか?」

「まるでそちらのViCがシオンを問い詰めたような質問ですね。それで事態を悪化させたのに」


 梨園はもう一度足を組み替える。


「なるほど。まさにそうだ。でも今私が聞いているのは人間だ。ならば答えが得られるのでは?」


 柔和な表情が初めて厳しいものに変わった。多くの人間の運命を背負っている人間には言葉に出来ない迫力がある。キャラクターにこの雰囲気を纏わせる描写に、小説家は苦労する。だが残念ながら、今の俺が相手にするべきは大企業の代表ではなく、いわば一人のクリエーターだ。


 だからこそ、臆すことなく相手の目をとらえ続けることが出来る。


「今説明した通りです。世界の二面性ですよ。ありふれすぎていて説明の必要もない」

「いいえ、厳密に言えばそうなっていない。実質的にはジェンが一方的に悪者だ」

「それは解釈の違いでは? さて、そろそろいいですか。今回のトラブルのおかげでとにかく忙しいのですよ」


 梨園は俺から目をそらした。時計を見て立ち上がった。「鳴滝もわからないな。一体何のためにこんなことを」といいながら自分の机に向かう。威嚇のつもりかもしれないが、今俺がやっていることを“鳴滝は分からない”から効果はないぞ。


 むしろ、あなたは分かっているのでは?


 ちなみに俺、いや俺とアリスの仮説は、悪のジェンという世界設定がシオンの無意識のボイコットにかかわっているということだ。この設定はシオンが語っていた世界観とぶつかるからだ。だからこそ、設定を考えた本人にその意図を聞いている。


 だが、いまだに見えない。この男の世界観がなぜそんな形で表れているのか。善悪の二項対立は創作の基本、その通りだがそんな教科書に書いてある理屈ではないということは、確信している。


 だが心の中の世界を本人の意思を無視して確かめることなどできない。これ以上どうやって、問い詰めればいい。梨園は「あった、あったこれだ」といって引き出しからファイルを取り出した。このまま出て行ってしまう。


 その時それが目に入った。


 俺にはテーマもコンセプトも全く読み取れない現代美術、単純な形状と色がバランスよく配置された、いわば抽象的な静物画のような無機質なイメージ。だが改めてみるとどこかで見たことがある。美術館なんてとんとご無沙汰なんだがいったいどこで……。


「梨園社長。もしかしてその絵、あなたの作品ですか?」


 半ば苦し紛れの言葉だった。だが、机の引き出しを閉じようとしていた梨園の動きがピタリと止まった。

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