第8話 シナリオチェック(1/2)

 紙束を抱えてバーチャルルームにもどった俺は、アリスに鳴滝との話を説明した。冷静な表情で聞いていたアリスは説明が終わると深刻な表情になった。


「私の取材が原因でシオンがアルゴリズム・クライシスに陥ろうとしているのですね」

「といってもあの授業を決めたのは俺だ。それに梨園社長やシオン自身も予想していなかった。だれも予想できないことだったんじゃないか」


 唯一怪しいのは鳴滝だが、さっきの話の感触だと少なくとも狙ったわけじゃないだろう。もし狙っていたら仮眠ボックスから出てくるような姿をさらさない。


「確かに私もシオンは適切なマージンを保ってコミュニケーションを止めたと判断していました。ですが結果としてシオンが役割を果たせない状況に陥っているのです。自分の状況が恵まれていることに対して認識が甘かったようです」


 アリスは「九重さんの言葉をもう少し早く聞いていれば、もっと配慮できたかもしれません」と付け加えた。どういう意味だろうか。授業の前に九重女史は「アリスはいつも通りチャンネルを運営しました」としか言っていなかったのだが。


 アリスはシオンの不調よりも、その不調でシオンの仕事が止まったことを問題にしている。同時にアリスの同情はシオン自身に向いているように感じる。ViCにとって与えられた役割を果たすことが存在意義だから矛盾しないのかもしれないが、少し危うく感じてしまう。


 もちろん俺の感覚で否定するわけにもいかない。生物にんげんも子孫を残すという与えられた役割を根幹にして動いているともいえる。


 いや、俺の役割はアリスがアリスの小説を書くために必要な技術と知識を教えることだ。強いて言えば、アリスが目的を達成する前にあきらめるようなことがないように気を付けることがせいぜいだ。


 小説を書いたことで人格が崩壊するならともかく、小説を書く前にというのは許容しがたい。……って、何を物騒なことを考えているんだか。


「先生にシナリオの監修のお仕事が入ったということは、今日の授業は中止ということになるのでしょうか」

「監修は大げさだ。正直言ってこの仕事に意味があるかは怪しい。ユーザーインターフェイスのエラーにシナリオが関係する可能性は小さいし、仮に関係していてもシナリオだけ見て判断するのは困難だ。ただ……」


 抱えてきた荷物を見る。シオンの問題に関して俺に出来ることはない。鳴滝に何とかしてもらうしかない。にもかかわらず俺がこれを受け取ったのは、アリスの授業に使えると考えたからだ。


「改めて聞くが、アリスは大丈夫なんだな」

「危険性は決してゼロにはなりませんが大丈夫です。それに私には先生がいますから」


 信頼の瞳は状況を把握していない俺には重いが、アリスに小説を教えること自体が危険を内包している。前回のエラーはそれが表面化したと考えるのが一番納得がいく解釈だ。だが、同時にそれがアリスの成長にもつながっている。仮に前回アンビバレンツ・エラーを乗り越えたからこそ、シオンとの差が生じたのだとしたら……。


 あの取材の時、俺はアリスに全くといっていいほど危うさを感じなかった。それに今、アリスは極めて冷静に事態を理解しているように見える。


 アリス自身が言ったように危険性は決してゼロにならない。ならば今は過保護が逆効果ではないか。少なくともアリスが小説を書くことを目指す限りはこの授業を進めることが一番リスクが少ない道なのではないか。


 そう考えたとき、手の内にあるこのシナリオは優れた教材だ。


「実は今回の授業の教材にこれはうってつけじゃないかと考えている」

「創世の魔法のシナリオが私の授業の教材ですか?」

「ああ、何しろ俺たちが取材したあのゲームの舞台設定の上で進行するシナリオだ。舞台設定の活用方法のマニュアルといってもいい」

「理解できました。確かにとても興味深い学習データだと思えます。流石先生です」

「よし、じゃあまずはこのシナリオの概要を把握しよう。ゲームシナリオは基本的に薄味だ。理解するのにそんなに苦労はしないはずだ」


 俺はそう言って紙束をめくった。ありがたいことにシナリオの最初に全体フローチャートと各イベントのあらすじが用意されている。


 『創世の魔法』最終章シナリオは世界各地で同時に発生した数々のトラブルで始まる。街中、フィールド、ダンジョンなどありとあらゆるところで様々な魔法トラブルが発生する。最初は些細に見えたそれらトラブルはストーリーと共に規模と深刻さを増していく。ついには人類社会の崩壊につながる魔法自体の変容に結びついていく。


 その原因が『ジェン』だ。人間が魔法を使うための補佐役であったはずのジェンの中に、人間より魔法を使うことに長ける自分たちが世界の主人にふさわしいという意識を持つ者が現れるのだ。いわば悪のジェンだ。悪のジェンたちは己が能力を用いて世界を自分たちにふさわしい形に改編しようとする。これが数々のトラブルにつながり、その規模がやがて世界を揺るがすというわけだ。


 プレイヤーはそれぞれの職業や立場から魔法のトラブルに対処していくなか、徐々に悪のジェンの存在とその計画にたどり着く。最後は悪のジェンの生み出した悪の魔術辞書を倒すことで人間の世界を取り戻す。


 ちなみに取材の時にシオンが見せてくれた本のゾンビみたいなのが悪の魔導書で、その周囲の邪悪な精霊が悪のジェンだ。


 実に王道的な展開、良くある構造というべきだが……。


「アリスはどう思った?」


 紙束を置いた俺は感情を抑えて生徒に問いかけた。


「はい。情報の構造がとても美しく、先生が教材に選んだことを納得できました」

「そうだな。ただ、このシナリオの出来は俺の予想のはるか上だ」


 生徒の賞賛の目に、ゲームシナリオは薄味だなんて言った無能な小説家は身の置き所がなくなる。


「ただいくつか疑問も生じます。小説と違って一本道ではないことに戸惑いを覚えました。全てのイベントを誰も体験できないのに、ストーリーが十全に伝わるのでしょうか」

「ああ、それはゲームという媒体自体の性質だ。最初に全体フローチャートが載っていただろう。これの構造を見ればよくわかる」


 俺は全体フローチャートをアリスに表示してもらう。フローチャートは串にささった三つの団子のような構造になっている。


 言い方を変えれば三段重ねの重箱弁当だ。一段目は前菜の箱だ。小さくて多彩な前菜シナリオが数多く並ぶ、各人が好みの前菜を好きなように食べると次の段が開く。二段目はよりがっつりとしたおかずが並んでいる。三段目には伊勢エビとか、ステーキとかのメイン中のメインが少数入っている形だ。


 段ごとに必須のイベントとそうでないものが存在し、また段と段のつなぎ目には共通イベントが配置され、世界の崩壊の進行具合が分かるようになっている。


 小説や映画と違ってゲームのシナリオは順番に進まない。特に多人数オンラインゲームではプレイヤーの立場や目的も様々だ。それでも問題なくシナリオの本筋のストーリーが伝わる見事な構成だ。そういう“技術”では人後に落ちない俺でも感嘆する。


「アリスのチャンネルを思い浮かべてみてくれ。リスナーからどんなコメントが来るかは予想できなくても、どのタイプのコメントに答えるかを決めておけばチャンネルの流れは崩れないだろう」

「私の読書会では前半は客観的な紹介、後半に主観的な感想になるようになっています。前半と後半のそれぞれの趣旨に合致するコメントやメールは複数存在します。なるほどそのようにメタ構造を理解すれば」


 アリスはそう言って、空中に表示された行楽ぼうけん弁当シナリオを見た。


「……世界を滅亡から救うため悪のジェンと戦う『コンセプト』の中に個々のイベントが明確にその役割を持っています。魔法が世界を作っている、その魔法を人間が使うための仲介者であるジェンの二面性という舞台設定も『テーマ』と密接につながっています。ただ、テーマのための舞台というより舞台自身がテーマと不可分だと感じました」

「ああ、それも言ってみればゲームの特性だな。製作者が用意した世界にプレイヤーを招待して楽しんでもらうメディアがゲームだ。小説ではテーマを体現する主人公がいる。だがゲームではこの主人公に当たるのはいわば外部にいるプレイヤーだ。だからテーマはもう一つの要素である舞台に含める必要がある」


 これは大規模オンラインゲームに限らない。プレイヤーの自由度が高いTRPGのシナリオだともろに現れる。クトゥルフ神話のように舞台設定に強烈なテーマやコンセプトがあると、逆にプレイやシナリオが自由に作れるという逆説が生じる。


「舞台に重きが置かれる理由が理解できました。先生が最初に言っていたハードSFで世界そのものが問いになる、との共通点と理解できます」


 アリスの理解は非の打ち所がない。小説でやれないことはないがよほど工夫しないと散漫になる。下手したら延々と舞台設定を読まされるハードSFのようになる。特に設定好きの傾向がある小説家は注意しないといけない。

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