第7話 課題図書

 WldGnrtの取材から二日後、俺はメタグラフのオフィスに入った。『アリスの読書会』に問題がなかったと九重女史に聞いてからバーチャルルームに向かった。


 途中で仮眠カプセルから出てきた男とすれ違った。自己管理が出来ないとはなっていないな。締め切り前の作家、いや不渡りを出しそうな経営者じゃあるまいし。そう考えてどちらにしても縁起が悪すぎることに気が付いた。




「いくつか参考になりそうなファンタジー小説を選んできた。今日はこれを教材に小説の舞台について読み解いていこうと思う」

「少し驚きました。普通の授業のようです」

「授業というのは本来こういうものだ。小説みたいに劇的なイベントは続かない」


 不思議そうな顔をしたアリスに俺は言った。


 才能ある新人作家きょうてきと戦ったり、巨大ゲーム企業に取材せんにゅうしたり、そんな波乱万丈な授業が現実にあるわけがない。なんならAIに小説を教えるだけでもSFのコンセプトとして成り立つだろう。一昔前ならだが。


 とにかくカリキュラムに従い、教えられることを教える。これが俺の仕事だ。


「じゃあ一冊目だが。っと……なんでさっき言わないんだ?」


 目の前にさっきすれ違った男からの呼び出しが表示された。どうやら現実も停滞を許してくれないらしい。そう言えばここは生き馬の目を抜くシリコンバレーの系譜だったな。




「さて、困ったことになりましたね」

「そういうことはもう少し意外そうな顔で言ってくれ」


 CEOルームの鳴滝はいつもの顔になっていた。ちなみにいつもの顔とは、本人は平然としているつもりでも他人からは自信満々で前に進むことしか考えていない、ように見える顔のことを言う。


 鳴滝はそういう意味で満点だ。だが机に詰まれた分厚い紙束が解せない。タブレットを重箱重ねするような無意味な演出の方が違和感ないんだが。


 それはともかくこいつが手を回した後に困ったことにならない方が珍しい気がしてきた。小説の黒幕ならもう少しイベントにパターンを持たせるべきだ。登場人物が素直に驚いてやれなくなってくる。


 もちろんこんなことを考える余裕があるのはアリスに問題がないとわかっているからだ。事件はここではなく、幕張のバーチャルルームで起こったのだ。つまり、鳴滝がシオンのメンテナンスに失敗したということだが。


「ログを見ると起点は明らかです。海野先生とアリスの取材。正確に言えば午後のアリスとのやり取りが原因ですね」

「普通に取材は終わったはずだが」


 俺は反論した。シオンはむしろアリスを心配して切り上げを提案したくらいだし、あの時のアリスのように取り乱すような反応は一切なかった。


「先生の責任というわけではありません。もともとあちらのViCはアルゴリズム・クライシスの兆候が出ていましたから。最後の引き金を引いたのは海野先生の“手腕”だとしても」

「そのアルゴリズム・クライシスっていうのも初耳だぞ。以前アリスがなったアンビバレンツ・エラーと違うのか」

「延長線上にあるというべきでしょうね。仮にあの時のアリスが戻ってこれなければ、ACに進んだでしょう」

「…………つまりあの時のアリスよりも深刻ってことだな」

「そう理解していただいて結構です。『創世の魔法』のリリースが遅れる原因になっていたのがユーザーインターフェイスのエラー。そのブラックボックスを唯一管理できるシオンの離脱は梨園さんにとっては窮地でしょう」


 看板タイトルのリリースの延期、一日当たりどれくらいの損害になるんだろうか。


「あくまで一般論だが。経営者っていうのは危機が起こらないように管理するのが仕事じゃないのか」

「ええ、そういう意味では梨園さんは少々うかつでした」


 鳴滝は重々しく頷いて見せた。名詞の対象が片方しか伝わっていない。日本語に単数形と複数形の明確な区別がないことがあだになった。


 鳴滝は今回の取材でアリスに危険があると心配していなかった。トラブルが起こるとしたらシオンだと知っていたのではと邪推したくなる。


「念のために聞くが、アリスに問題はないんだな」

「アリス自身に問題はありません。パフォーマンスとしては素晴らしい状態です。海野先生の手腕には舌を巻くばかりだ。ただ海野先生とアリスはいかんせん力を見せすぎた、裏道を通るには目立ちすぎだったということです。ViCにとってあれが鬼門なことはよく知っているでしょうに」

「向こうはシオンの方がバージョンが高いし専門領域だからといっていたが」

「裁判ではぜひそう証言してください。冗談です。今回の件の前提として、メンテナンスが上手く行かなかった場合は梨園さんの次のViCの導入など便宜を図ることで補償する契約になっています。ただ、正直に言えば裏道のことはなるべく大きくしたくはないですね」


 鳴滝は皮肉っぽい笑みを浮かべた。


 いつもながら思わせぶりすぎる。ただ残念なことに俺は理解できてしまった。要するにアリスのあの質問はViCの弱点を直撃するたぐいだったということだ。アリスが取材後に言った、これ以上は問題があるという言葉、あれの対象はアリスではなかったのだろう。


「ViC社の技術顧問としてはこれからどうするんだ」

「問題解決のためにWldGnrtに私が出向きます」

「つまり、直接メンテナンスすれば何とかなるということか。あの時のアリスのように」

「私にもわかりません。やれるだけのことをやる必要があると思っています」


 俺には何もできないぞと言外に警戒線を張ったが、鳴滝はあっさりと自分が動くと言った。こちらとしては殊勝な話だが。


「人類征服の企みがばれそうなマッドサイエンティストの行動に見えるから不思議だ」

「小説の書きすぎでは? ちなみに私はやる意味がないことはしません」


 梨園社長を納得させるための形式ではないといいたいらしい。俺の知るこの男のキャラクター設定と矛盾はないが……。


「今の話だと俺が呼ばれた理由がないんだが」

「そうでした。では、これをどうぞ」


 鳴滝は机の紙の束を俺に向かって押し出した。新興テック企業CEOには似合わないと思ったら小説家用だったらしい。ロートル作家にはぴったりだ。だが、俺は手を伸ばすことなく聞く。


「これはなんだ?」

「梨園さんに言って取り寄せた『創世の魔法』最終章シナリオです。私は専門外ですから、専門家に任せようと思いまして。もちろん、追加で報酬はお支払いしますのでご安心を」

「安心できないな。以前メタグラフは働きに見合う報酬を支払うと言ったよな。俺の考えではコレの報酬はゼロになるんだが」

「CEOとして自分の判断に責任は持ちますのでご心配なく」


 鳴滝は平然と言った。この男に小説とゲームシナリオの区別がつかないことには驚かないが、何を考えているのかが全く分からない。大体、ユーザーインターフェイスのエラーにシナリオが関係するだろうか、仮に関係していたとしてもシナリオだけ見て分かるわけがない。


 つまり、この紙束シナリオはどう考えても俺の仕事ではない。


 だが、俺は文句を飲み込んで厚い紙束を手に取った。こいつが俺の仕事に関係する可能性があるからだ。




**************

2023年5月10日:

次の投稿は来週の水曜日(5/17)になります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る