閑話 九重詠美の仕事

「本格ミステリ紹介シリーズ最終回は武藤鬼人先生作『アベンジャー』でした。今回も皆さんと一緒に小説の世界を旅することが出来て……」


 アリスが結びの挨拶を終えるとコメントが画面を舞い始めた。九重詠美はリスナーの感想と各種数値を確認すると、席を立ってバーチャルルームへ向かった。




「お疲れ様アリス。本格ミステリシリーズも無事終わったわね」

「ありがとうございます九重さん。参加してくれた皆さんには楽しんでいただけたでしょうか」

「ほらこのデータ、新規リスナーのコメント率が毎回上がっているでしょ。この分ならミステリ目当てで来た一見さんも予想以上に残ってくれるはず」

「それは良かったです」


 自分の役割を果たせたことを喜ぶアリスの表情は人間とコミュニケーションをとるための機能だ。それでも詠美はアリス自身の“気持ち”が存在していると信じられると思っている。一緒にチャンネルを作ってきたからこその体感とでもいうべき感覚を否定するつもりはない。


 もちろんアリスの心がどんな形をしているのかは専門外という割り切りはある。詠美がアリスとのコミュニケーションにデータをベースとすることを心掛けているのはそのためだ。


「そうそう、探偵スタイルの評価もよかったみたい」

「安心しました。もし血糊が似合うと言われたらショックです」


 脱いだベレー帽をなでるアリスの仕草さに詠美は思わず顔が緩みそうになった。


 ベレー帽とケープという探偵ルックが男性リスナーにアイドル要素として映えたのは分かっているが、敢て言う必要のないことだと判断する。それだけ、なら問題だがデータがそうではないことを語っている。


「で、良くなった理由だけど。まず本格ミステリは論理的要素が強いジャンルだから、紹介と感想のバランスがよかったのかなって思っているわ。私の目から見ても、アリスの小説への理解は深まってると思うし」

「はい。以前の私には小説は静的な文字列の集合でした。ですが今はその集合の中に人物を感じたり、もしかしたら別のストーリーがあったのではと思ったりするのです。上手く定義できないのですが、壁に掛けられた絵だと思っていたものが窓だと気が付いたような感覚です」


 アリスの定義はとても分かりやすいので、詠美は人間とは異質である彼女の内面をある程度把握できた。言葉の選択が専門用語に向いていることがアリスの気持ちがストレートに出ていることに気が付くのは、これまでの付き合いあってのことだが。


「私は教師とは正解を示してくれる存在だと思っていました。ですが先生は逆に私に間違えさせようとしているように感じます。しかも、私が間違った答えを出してしまって恥ずかしい思いをしていると、それを正解だというのです。何度も「それは教えられないこと」だとか「小説家は答えを持っていない」とおっしゃるのですが。気が付いたら私は教わっているのです。とても不思議です」


 いつもよりも饒舌なアリス。詠美との仕事であるチャンネルのことに関係するように話しているのだが、本題がどこに向いているのかははっきりしている。


「ですから、先生のことをチャンネルで伝えるのは駄目ですか? 先生の貢献も大きいと思うのです」

「うーん。やっぱり避けた方がいいと思うのよね。チャンネルはあくまでリスナーのためだから」


 下手をしたら炎上しそうだからとは詠美は言わない。


 海野の貢献を否定するつもりはない。このシリーズを始める前に珍しく駄々をこねるアリスに「学んだことを活かすチャンス」と説得したのもあの作家だった。あの時の説得の仕方一つ見ても、アリスのことを本当によく見ていると思っている。


「まあ、海野さんはアリスをとても大切にしているから、アリスが感謝するのもわかるけどね」

「大切…………? 私はViCですからパフォーマンスを評価されるべき対象です。大切という言葉がうまく当てはまらない気がします」


 首をかしげるアリスを見て、詠美は踏み込みすぎたことを悟る。だがここまで言ってやめるわけにはいかない。


「言い方を変えれば尊重かな。アリスがさっき言ったことだけど、海野さんはアリスが持ってくる外の情報ではなくて、アリス自身の中に生まれる何かを待っているのでしょう。それはアリス自身を尊重しているということだと思うのね」

「…………………………はい! 私、とても大切にしていただいています」


 しばらく考えたアリスは、ぱぁと明るい顔になった。恋する乙女というには純粋すぎる表情はチャンネルで見せたら問題なくらいの威力だった。自分が見ている分には良いが、そろそろ方向転換した方がいいと詠美は考えた。


「そう言えば取材はどうだったの?」

「上手く行かなかったのです。一番大事なポイントでシオンの回答を得られませんでした。ゲームの舞台を理解する学習にはなったのですが、多分先生はもっと教えたいことがあったのに、私が至らなかったのだと思います」

「うーん。ゲームはアリスの専門外だから、やっぱりそこら辺が問題だったのかな」

「いえ。おそらくシオンが私と違って先生に意地悪をしていただいていないからです」


 アリスはごく自然にその単語を使った、チャンネルで海野のことを喋らせるのは絶対にやめようと詠美は決めた。


 …………


 次回の脚本の打ち合わせを終えた詠美は、オフィスにもどっていた。


 何の問題もない。いや順調すぎるといってもいい。


 もともとの持ち味だった中立で分かりやすい説明に加え、登場人物の心情への感想を身に着けつつある。両者の相乗効果でチャンネルリスナーの共感を獲得している。もちろん人間から見て不自然な感覚はたまに顔を出すが、それも率直な感想と受け取られている。


 チャンネルの書籍購入アフィリエイトでも、これまでミステリを読まなかったリスナーが紹介作を購入している。SNSでは読書の幅が広がったというコメントが出ていた。それらがいかに得難い結果であるかを元編集者の詠美はよくわかっている。


 問題があるとしたらアリスのパフォーマンスを生み出している複雑で繊細な要素だ。


 アリスが海野を慕う理由はわかる。あの作家はアリスが人間かAIかより、小説を書こうとしている存在である方を重要視している。リスナーがアリスを同じ“読者”だと感じることで共感を覚えているのも同じだが、少し違う。同じ山を登っているより、違う山を登っている者同士の方が時に相手に対する共感を持つだろう。小説を書くという孤独な作業の場合は特にそうかもしれない。


 だからこそ、あの作家は決して生徒に自分の山を登らせようとはしない。アリスをアリス自身として大切にしていると感じたのはそのためだ。理想的な師弟といえるかもしれない。理想的だからこそ危うく見えても。


 もしもその関係が小説を書けない者同士だから成立しているとしたら? 詠美ですらアリスの成長に、いずれチャンネル編集者としての自分がいらなくなるのではという考えがよぎることがあるのに……。


 真っ黒のモニターに映る自分の顔を見て首を振った。


 自分が関与すべきはチャンネルViCのアリスだ。ただでさえあの二人の男は加減を知らない。自分まで同じことをしたら収拾がつかない。作家が編集者をやるようなものだ。詠美は小説が好きだが、作家になりたいとは思わない。鳴滝のようなAI研究者にもだ。


「そんなことより『創世の魔法』について調べておこうかな。仕事につながる可能性があるしね」


 そうつぶやいて詠美は仕事を再開した。光が戻った画面の前で小説家顔負けのスピードでキーボードが鳴り始めた。しばらくしてその音が唐突に止んだ。


「うーん。これは空振りかしら」


 詠美は残念そうに言うとブラウザを切り、別の仕事に切り替えた。紹介依頼が引きも切らない大人気チャンネルの編集者にとって優先順位の切り替えは死活問題だ。特に上司が残業を無能の証とみている職場ではなおさら。


 詠美はふとオフィスの奥を見た。CEOルームにこの時間まで明かりがあるのは珍しい。とはいえ、経営者に残業という概念は存在しない、作家にそれがないように。


 当然同情はしない。詠美たちに残業を発生させるのは決まってそのどちらかなのだから。

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