90 魔眼と魔術
「シャル……!!」
危なかった。
貫かれたシャルの肩は鮮血に染まっています。
わたしがシャルを引き寄せなかったら、完全に心臓を貫かれていました。
「シャル、大丈夫!?」
「ごめん……しくじった……」
シャルは息を荒くしながら、胸を上下させています。
魔力の枯渇と、流血による痛みで意識が遠くなっているのでしょう。
やっぱり、シャルを連れて来るべきではありませんでした。
「ちょっと邪魔は入っちゃったけど……どうかな?僕は本気でエメ君に仲間になって欲しいと思ってる。人間なんていずれ僕達に駆逐されるんだから、今の内に味方になっておいた方が賢いと思うよ?」
ギルバード君は何食わぬ顔で話を続けているのです。
腕の中で苦しんでいるシャルのことは、視界にすら映っていないように。
さすがに、それは……。
「謝ってください」
「はい?」
何のことか、全く理解できていないような表情。
「シャルに謝ってください」
「……理由がないかな。やってきたから、やり返しただけだしね」
なるほど。
たしかに、あなた達は魔族なのかもしれません。
魔族は決まって、人の痛みに無頓着な生き物です。
「ごめんね、シャル。ちょっと待ってて」
わたしはシャルを部屋の隅に寝かせて、立ち上がります。
「魔王も反魔法組織も最低です。何よりシャルを傷付けたことは許しません」
「……残念。交渉は決裂か」
成立するわけもない交渉にギルバード君は少しだけ肩を落とすのでした。
わたしはギルバード君に向けて、手をかざします。
「
黒い閃光が駆け抜けます。
けれど、ギルバード君はするりと躱していきます。
そのまま彼も魔法を展開。
見た事もない黒い渦が襲い掛かります。
けれど、わたしにも魔眼があります。その経路を読んでしまえば躱すことはそう難しいことではありません。
「お互い魔眼の保有者だもんね。純粋な魔法の打ち合いじゃ勝敗はつきにくいか」
そうなのです。
お互いに魔法を避けることが可能な状況では、純粋な魔法の勝負には成り得ません。
当然、ギルバード君は肉弾戦に持ち込むために距離を埋めようとしてきます。
けれど、わたしはそれを受け入れるわけにはいきません。
「
その間に障壁を展開します。
「意味ないよ、そんなもの」
――ガンッ!!
ギルバード君の拳は糸も容易く障壁を崩します。
魔眼だけではなく、あの身体機能も異常なのです。
魔族の血が成せるものなのか、ギルバード君は純粋な身体機能も圧倒的なのです。
それは先ほど、ギルバード君の蹴りを一つ受けただけで腕の痛みが治まらなかったことが証明しています
わたしの魔術をもってしても、あの身体機能を上回れる自信がありません。
ですから、わたしは距離をとります。
「思っていより、慎重なんだね?」
状況は思っていた以上に良くありません。
その後も、わたしは距離をとって魔法で何とかギルバード君を射抜こうとしますが、躱されるだけの光景が何度も繰り返されます。
そして肉薄されそうになれば障壁を展開し、距離をとることも繰り返し。
その中で、何か綻びが生じるのではないかと思いましたが、それは淡い期待に終わりました。
ギルバード君は汗一つかくことなく、魔法を躱し、障壁を破るのです。
わたしの魔力が悪戯に消費されていきます。
どれくらい続いたでしょう。
わたしの変化に気付いて、ギルバード君の足が止まりました。
「あれ、エメ君。もう魔法は打たないの?」
「……」
もう魔力はほとんどありません。
残りは魔術のストレングスアグメント一発が、精々といったところでしょうか。
状況は最悪でした。
ギルバード君の力に遠く及ばないことが骨身に染みます。
「沈黙は肯定、ってね」
「まだ分かりませんよ」
「分かるよ。僕の眼は君と同じなんだから。エメ君が魔力の底を着いているのは手に取るようだよ」
確かに、そうでした。
はったりも軽々と見破ってしまうのですから、我ながら嫌な眼です。
「最後にもう一度だけ聞くよ。僕たちの仲間にならないかい?」
「……」
「そうすれば君たちは二人は助けてあげるって言ったら、どうかな?」
少しだけ心が揺らぎます。
シャルが助かる。
もしそれが叶うなら……。
ですが、その言葉の違和感に気付いて心の動きが停止します。
「“二人”というのはどういうことですか?」
わたしたちは五人でここまで来たのです。
「ああ、あの御三家のことかい?アレはムリかな、魔神は人間を餌だと思ってるから。殺されて終わりだよ」
「……なら、今すぐに止めて下さい」
「エメ君、悪いんだけどそれは言うのが遅いよ。外の音が聞こえるかい?」
言われて耳を澄ませます。
音は、何一つ聞こえてきませんでした。
「もうとっくに終わってるってこと。希望的観測を持たないように言っておくけど、魔神は僕より遥かに強いよ。それを二人も相手にして生き残れる人間なんて僕は一人くらいしか知らないな」
呼吸が止まります。
こんなに人を傷付ける者の仲間になんて、なれるわけがありません。
「やはり、あなた方は最低です。仲間になんてなれません」
「……そうかい、残念だよ」
ギルバード君が手をかざして、唱えます。
「
わたしは最後の力を振り絞って身をよじり、放たれた魔法を避けます。
当然、その隙を見逃さないギルバード君が迫ってきます。
幾度となく繰り返された行動、違うのはもうわたしに魔法は使えないということ。
圧倒的強者を前に、成す術を失ったわたし。
魔王に会ったその時も、まさしくこんな絶望的な状況でした。
そこから救い出してくれたイリーネ。
彼女のように強くなりたくて習った魔法。
何一つ身に付くことはなかったというのに、どうしてか彼女の言葉が脳裏によぎります。
『ねえねえ、イリーネは魔王よりも強いの?』
『ははっ。私は確かに選ばれし魔法士だが、流石に魔王よりは格下かな。ほんのわずかな差だけどね』
『弱いのに、魔王を追いかえせたの?』
『強さと、勝ち負けはイコールじゃないよエメ』
『どうすれば、そんなことできるの?』
『……そうだね。なら、魔族はどうして強いと思う?』
『ええ?つよい魔法をつかえるから?』
『たしかにアイツらの魔法は強力、身体機能も人間の遥か上。でも、それは大前提だ。それでもわたしたち人間とは明らかに違う部分があってね、それが彼らの強さにも繋がっているんだ』
『……むずかしくて、よく分かんない』
『ああ、ごめんごめん。簡単に言うとね――』
幼き日の記憶。
そうでした。
わたしは何を忘れていたのでしょう。
イリーネは、わたしに魔法が使えないから魔術を教えてくれたのではありません。
魔術がわたしの一番の武器になると言って、彼女はわたしに魔術を託してくれたのでした。
「もう防御魔法は出せないから、さよならだね」
ギルバード君が腕を振り抜きます。
その速度は、肉眼で追うことは難しいです。
けれど、ギルバード君は単調です。
シャルの時と同じように、どうせ心臓を貫こうとするに決まっています。
それが感情を排している彼らにとって最も効率的な方法だからです。
ですから、わたしは左腕で胸を守ります。
――ぐしゃり
腕がひしゃげる音。
ギルバード君の拳がわたしの腕に突き刺さります。
腕一本を犠牲に生んだ、一瞬の空白。
そこで一歩、踏み込みます。
残された右腕に全ての魔力を流し込んで。
視るのは一点。
魔力が手薄になり、身体機能に弱化が見られるであろう左の側腹部。
そこに、極限まで高めた魔術の一撃を放ちます。
「――
「!!!!????」
なんてことはないと思っていたでしょう、わたしの一撃。
けれどギルバード君はその一撃に膝を着くのです。
「なんだ、これは……!?」
身を震わせる魔人。
彼は自身で何が起きているのかすら理解できていません。
『――アイツらには”恐怖”がないんだ』
『きょうふがないとつよいの?』
『強いさ。怖いという感情がなければ、こちらの攻撃に怖気づくこともなければ迷うこともない。どんな状況でも最善の一点を最速で打ってくるんだ』
『ただでさえつよいのに?』
『そうだよ。だからね、アイツらに勝とうと思うなら、まず恐怖を教えてあげるんだ』
『どうやって?』
『エメは戦うのは怖いかい?』
『うん、こわい』
『どうして?』
『だって、いたいから……』
『そう、”痛み”だよ。エメ』
『……?』
『魔族が強いのはね、痛みを知らないからなんだ。初めから強者として生まれたアイツらには天敵がいない。防衛本能がないのは生命体としては欠陥だが、殺戮者としては上出来だ』
『……イリーネ、なにいってるのかわからない』
『はは。エメにはまだ難しかったか。とにかくだ、魔族に勝ちたいと思うなら痛みを教えてやる事だ。生まれて一度も味わったことのない痛みという感覚を、急所に一発ドカンと打ち込んでみな。痛みは恐怖に変わり、彼らの足は止まるだろう』
『でも魔族は魔法も使って力も強いんでしょ?どうやって打ち込むの?』
『それを可能にするのが、お前の眼と魔術だよエメ』
幼いわたしにはチンプンカンプンだったあの言葉が、今ようやく分かったような気がしました。
「なにを……僕になにをしたあああああっ!!!!」
自分の身に何が起きているのかを理解できないギルバード君は、地面にうずくまり始めて知る痛みに怯えていたのです。
「それが“痛み”ですよ、ギルバード君」
痛みを知らない彼は、やはり魔族だったのでしょう。
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