51 セシルさんからのお礼……だったのに!


【セシル視点】


 放課後、私は帰路に着く。

 

 アルベールの敷地内に入り、洋館へと繋がる庭園を歩く。


 石畳で舗装された道の両脇には木々が均等に据えられている。今は冬になるため見られないが、春になれば手入れが行き届いたお花畑も咲き誇る。


 不必要なほどに広大な土地に華美な装飾。どれも過分で私の好みではない。


 これ見よがしにお金持ちをアピールしているようで、あまり好きにはなれないのだ。


 それはいいとして、だ。


「はあ……」


 思わずため息。


 今日はエメの前で我ながら私らしくない姿を見せてしまった……。


 エメとミミアとの間には秘密がありそれを共有していると知った途端、胸の中が異様にざわついたのだ。


 エメと仲良くしているミミアを憎らしいとすら思った。


 この感情は何だろうか……?


 今まで、こんな抑えきれないような激しい感情なんて抱いたことはない。


 いつだって自分の感情には蓋をしてきた。


 それが出来なくなるなんて……私は大事な何かを欠落してしまったのだろうか。


「お帰りなさいませ、セシルお嬢様」


 考え事をしている内に、家に辿り着いたらしい。


 扉が開くと、そこには白と黒のメイド服を着た女性がお辞儀をしている。


「昨日のご宿泊はいかがでしたか?」


「……楽しかったよ」


「左様でございますか。それは何よりです」


「うん」


 踊り場から自分の部屋へ戻る際も、メイド服の女性は私の後を付いて来る。


 彼女の名前はアンナ。


 幼少期の頃からの私専属の従者だ。


 紫色の髪はふわったと緩いカーブを描いていて、いつも朗らかな笑顔を絶やさない物腰の柔らかい女性だ。


 歳はきっと私より随分と上だろうが、その見た目は全然変わっていない。


 私と同じ10代と言っても信じてしまう者がほとんどだと思う。


「ご友人の家とは言え、慣れない場所では眠りが浅かったのではありませんか?」


「いや、そんなことない。むしろ……いつもよりよく眠れた」


「あらあらまあまあ……。いつも十分にお休みになられないセシル様にそんなことがあるなんて。これは是非、お礼をしなければなりませんね」


 その言葉を聞いて、ふと私は足を止める。


「……お礼?」


「ええ、一泊とは言えお世話になったのですから何かお礼を差し上げてもよろしいかと」


 なるほど、お礼か。


 それはいいかもしれない。


 私もエメから貰いっぱなしでは申し訳ないと思っていたのだ。


「お礼って……例えばジュエリーとか?」


 あまりに安い物より、それなりに値が張る物じゃないと喜んでくれないかもしれない。


「いえ、セシル様。それではちょっと一泊のお礼にしては高価すぎるかと」


「あ、そうなの……?」


「確認ですが、セシル様がご宿泊されたお家はごく一般的な家庭なんですよね?」


「多分、そうだと思う」


「僭越ながら私も庶民の出ですから分かります。一泊の恩義に宝石なんて貰ってしまっては逆に困るものです、お返しが出来ないので罪悪感を抱いてしまうかもしれません」


 私はお礼なんていらないけど。


「じゃあ、どうしたらいい?」


「それよりはもっと手軽な、お菓子などが宜しいと思いますよ?」


「おお……さすがアンナ」


「それでは私の方でご用意しておきましょうか?ご住所を教えて頂ければ送らせますが」


「……うーん」


 普段なら全てアンナに任せるところなのだが、今日はどうしてかすぐに返事をするのを躊躇った。


 人に任せるより、自分で渡したい。そう思ったのだ。


「お礼なんだから、自分で選んで渡した方がいい気がする」


 その言葉を聞いてアンナは目を丸々とさせていた。


「セシルお嬢様がそんな労りの心を……成長なされましたね」


 目元にハンカチを当てるアンナ。


 そんな感動するような場面だったろうか……?


「その方がいい、よね……?」


「ええ、間違いございません。そのご友人もきっとお喜びになられるかと」


「そっか……。うん、ならそうする」


 アンナもそう言ってくれているのだから、間違いないのだろう。


「ですが、セシル様をそこまでするなんて本当に珍しいですね。そのご友人はどんな方なのですか?」


「え……?どんなって……?」


「もしかして殿方ではありませんよね!?」


「違う!女の子!」


 急な話の転換に驚いてしまう。


「あら、そうでしたか。女の子……。女の子にお返しをしたくなったのですか?今までそういったことに無頓着だったセシル様が?」


「そうだけど……」


 不思議そうしていたアンナだが、すぐにうんうんと頷き始める。


「なるほど……。それで一晩でこんな色香を纏ってしまわれたのですね」


 アンナはたまにこうして一人で暴走して何を言っているのか分からなくなる。


「可愛い方なんですか?」


「え、いきなり何……?」


「お答えください」


 ずいっ、とアンナに身を寄せられる。圧が凄い……。


 それに質問も何だか恥ずかしい……。


「可愛い方なんでしょ?」


「……う、うん、可愛い」


「その方の喜ぶ顔が見たいのですか?」


「え、あ、うん。見たいかも」


「その方を想うと胸が高鳴るのですね?」


「え、なんでそれを……」


「その方が他の人に目を奪われているのを見てしまうと、セシル様は炎のような激しい感情が抑えきれなくなるのですね?」


「み、見てたの……?」


 ――バンッ!


 アンナはいきなり私の両肩を力強く掴んだ。


「えっ!なにっ!?」


「セシル様、おめでとうございます」


「だからなにが……?」


 この会話の中のどこにおめでたい要素があったの……?


「それは恋でございます」


「……へ?」


        ◇◇◇


 私はアンナにお勧めされた洋菓子店に赴き、店員さんと相談しながらお礼のケーキやプリンを購入した。


 両手にはそれらが詰まった紙袋を下げている。


「な、慣れない事をして時間掛かった……。もう真っ暗」


 街灯の光が道を照らす。


 エメが住む住宅街は家がひしめき合っていて、外観がどれも似ている。


 迷路のように入り組んだ道を何度も右往左往してしまい、予想以上に時間が掛かってしまった。


 それでも見覚えのある家が何とか見えて来た。


 体が火照っているのは、ずっと歩きっぱなしだったからだけではないだろう。


 アンナのおかしな発言のせいだ。


「アンナったら……いきなり恋とか言い出すなんて。いくら何でもそんなわけ……」


 恋とは男女でするものだと聞いている。


 エメは可愛いし、目を惹くし、ドキッとすることもある。うん、好ましくは思ってはいる。


 けれど、エメは女の子だ。


 女の子が女の子に恋をするだなんて変な話。


 生物学的に見ても、どう考えてもおかしい話だ。


『んもー。セシル様は恋がまだ何か分かっていらっしゃらないから、そんな頭でっかちになるんですよ』


『仮に私がそうだとしても、アンナはどうなったらその気持ちが恋だと判断するの?』


『そんなの簡単です。ハートがズキューンとしたらそれが恋ですよ』


『……』


『分かりました?』


『……全然』


 そんなやり取りを経て、恋とは何かを把握することが諦めたのだけれど……。


 まあ、それはもうこの際どうでもいい。


 私は素直に心から、エメに感謝をしたかった。


 そしてちょっとでもいいから、私が贈った物で喜んでくれればそれで良い。


 ただ、それだけ。


「……ついた」


 荒くなった呼吸と、乱れた前髪を整える。


 部屋の灯りもついているし、この時間だから二人ともいるだろう。


 夜遅くなったのは申し訳ないけれど、渡すだけですぐ帰るから許してくれるだろう。


 一息ついてから、インターホンを押す。


「……?」


 人がいる気配と、声もしているのだけれど反応がない。


 まあ、夜だから出ないこともあるのかな……?


 ――バタンッ!!


「え、何かが倒れた音……?」


 かなり近くで、激しい衝突音が響いた。


 家の中で何が起きているのだろう……ちょっと心配。


 思わずドアノブに手を掛けていた。


 ――ガチャ


 あ、鍵開いている。


 本当だったらこんな失礼なことしないけど、何かあってからでは遅い。


 安否だけは確認しないと、そう思って私は玄関に足を踏み入れてしまった。


「……え?」


 目の前には、下着姿のエメとそれに覆いかぶさるようにしているシャルロッテの姿。


 まさか、そんな……。


 アンナから聞いた、女の子同士の恋もあること、ハートがズキューンしたらそれは恋だという言葉が頭の中を反芻した。


「エメ?勝手に入ってごめんなさい、でも人が倒れた音がしたから何かと思って……」


 手に力が入らない。


 ――バサッ


 買ってきたお菓子の袋を床に落としてしまう。でも、拾う気にもならない。


「ご……ごめんなさい……!私、そんな関係だって、し、知らなくて……!」


 目頭が熱い……。


 あ、あれ。気付けば涙が溢れて……?


 自分でも訳が分からなかった。


「違うのセシル!!これは全然そういうことじゃなくて……!!」


「ごゆっくり!!」


 私は自分でもどうしていいか分からず、その場から逃げ出してしまったのだ。

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