〇〇〇〇
夜の十時過ぎ。
御幸は一階にある栞の寝室で眠っていた。
あの電波塔事件まで、御幸は常に急襲を考慮し常に頭の回転を止めなかったため、眠ると言う行為自体にまだ馴染みがなかった。
そのため、強烈な睡魔に誘われる様にして、いきなり熟睡から入るのが御幸の眠り方だった。
「先輩……」
その隣で横たわっていた栞がむくりと起き上がり、御幸の寝顔を堪能するように見つめる。か細い声で御幸を呼ぶが、未だ夢の中にいる御幸には当然届かない。
やがて彼が起きないことを悟った栞は、その手で彼の胸に触れた。
以前とは違い、少し痩せ細ったかの様に見える御幸の身体の異変に、栞は気づき始めていた。
やがてその手を横にして、腕から手へと指を這わせる。
少し骨ばった手、栞はその手に指を絡ませて恋人繋ぎの様にする。
彼女にしてみればかなり大胆な行動──だが、その顔はやや悲痛だった。
「あまり私を幸せにしないでください……」
これ以上の幸せはきっと、何かが壊れてしまう。
そして人間は、その壊れたことを知って初めて幸せを理解する生き物だと、栞はそう思っている。
「私は、失うのが怖いんです……失うのであれば最初から得ない方が良いんです」
もう失うのはたくさんだ。
だからここで線切りをつける。
「私は先輩のことが大好きです」
誰かを助ける姿、不器用な優しさ、その胸に秘める想いでさえも。
栞は御幸のことが大好きだし、愛している。
世界で御幸のことを一番思っているのは自分だと、そう自負できるくらいには。
──だからこそ、終わらせないといけない。
「私は先輩から沢山のものを貰いました。だから、これ以上は望めないです」
家を、家族を、居場所を、その尊厳でさえ奪われた栞にとって、御幸の存在は最後の砦だった。だがそれを甘んじて受けいられるほど栞は強くはなかった。
何も出来ない自分を恥じ、呪い、死のうとしたこともあったが、その度に御幸に邪魔されては悲しませる。──だから栞は、できる限りのことは自分でしようと、そう考え努力した。
御幸の隣に立つに相応しい存在になるために、ファッションのお勉強をしたり。
いつまでも外食だけでは栄養が偏ると、手料理にも手を出してみた。
裁縫だって、今じゃそれなりの技量になっている。
「だけどそれでも、やっぱり先輩には届きませんね」
御幸が学園に通っていると知って、栞の中には黒い感情が渦巻いていた。
もうとっくに、御幸はあのトラウマを克服しているのだと、そう言われているようで。
きっと彼のことだから、また誰かを助けたりするのだろう。
きっと彼のことだから、また無茶をしてしまうだろう。
今回はまだ命だけは助かったが、次、無茶をすれば死ぬかもしれない。
「──明日には普通の後輩に戻ります。ちゃんとお勉強も続けますし、先輩に相応しい後輩になりますから」
深燈栞の能力──『
操作系の能力でありその効果は『栞に書かれたことを相手に従わせる』と言うもの。
ただし一般の操作系と違い、あくまで相手の行動に『禁止事項』と言う制限を掛けるだけなので、細かな操作とは違い相手依存となる。
ただその代わりなのか、一度発動させてしまえばその効果は半永久的に残る。
そして何より対象者が認知できないという点が大きい。
このため能力的にはCランクだが、きちんと警察のデータベースには危険能力として記載されている。
自身の能力を使用するのは随分と久しぶりのことだったが、栞はなんとか能力を発動させ、手に輝く栞を出現させる。
「先輩、これからもずっと大好きですよ」
小さく、額のところへ口づけをして、その栞を御幸の胸に押し込む。
光輝く栞は御幸の胸の中に沈み込み、やがて完全に見えなくなってしまった。
栞は涙を堪えながら布団に横たわる。
「きゃ――っ」
その時、御幸が急に寝返りをうち、栞と向き合うような姿勢になった。そしてその時に広げられた腕は栞の華奢な体を包み込み、抱き締める。
精神の中の善の栞と悪の栞が戦い始める。
拮抗状態から悪の栞が優勢に、なんなら負けても良いとすら思い始めていた。
「だ、ダメですよ先輩……こんなに、我慢しているんですから」
御幸のその子供みたいな寝顔を見て、栞は息を吐く。
いつまでたっても御幸のなかでは栞は後輩なのだろう。
「努力はしましたが、先輩が離してくれないのが悪いんです」
そう建前を言っておいて、栞は離れるどころか更に御幸と密着する。優しいぬくもりが全身を覆い、大好きな人の匂いに包まれる。
やがて遅れてやってきた睡魔に誘われて、栞は今日久しぶりに良い夢を見られたのだった。
◆
「そういえばさ、前に彼と面白いお話をしてね」
「世界最強とは何だろう――てね。まあ、中学生なら誰もが思う魅力的なワードなわけなんだけどさ」
「彼は『不敗』だと言っていたよ。今聞けばそれは暗に『俺は最強じゃない』と言っているようなもんだよね。ほんと白々しいと思いながら聞いていたよ」
「ボク? あーなんだっけ。まあありきたりなことを言ってたような気がするよ。そんなの時代によって変わるしさ」
「ああそうそう、それでボクは君に問いに来たんだった。――二年とはいえ、御幸君が成長し台頭するまでの間、君が最強として対等していたんだろう? その名誉とか、賞賛とか、心意気みたいなことを聞きに来たんだった。ねえ、白馬創一ちゃん」
「出力というか、むらっけというか、まあとりあえず、君が本気で闘えば御幸君すら足元には及ばないであろう、そんな能力を持っているくせに、どうして君はほかの格下の相手の下に着いているんだい? 君の若かれし頃は、もっとイケイケだったと思うんだけれど」
そうして少年――〇〇は地べたで這いずる創一を見下す。
「あれ、もうおしまいかな。いやまいったね『ここは僕が。君は今すぐにでも逃げるんだ』――なんて言ったからには、それ相応の活躍をしてくれるだろう! もしかすると、ラスボスみたく登場したこのボクを、御幸ちゃんのトラウマであるこのボクを! 倒してくれるかもしれない!! ……なーんて、思ったりもしたんだけどさ」
――なんだ、実際は三下以下の脇役にすらなれない
創一には、倒れ伏し地面を舐めるように顔を下に向けてる創一には、〇〇の表情が見えない。だがきっと彼は怒ってすらいないのだろう、呆れすらも通り越して、もはや同情の域さえ来ているかもしれない。
「はは。……我ながら、情けないね。言い訳のしようがない。一応言っておくと、別に僕は最強でもなかったよ。アメリカのNo.1さんが事実上の世界最強だった」
そして現世界二位の実力を持つ、アメリカの男を回想しながら創一はそう訂正する。
……何度も言うが、白馬創一はSSSランク能力者の一角である。
そして当然ながら、彼も折木真理の傍にいたものとして、それ相応の肉体戦闘はこなせる。確かに今や事務職に追われ自らが手を出す場面など無かったわけだが。
(禊君との対立も、結局は虚勢を張れて見逃してもらった訳だし)
別に裏方枠の最強として自身をキャラ付けしていたわけではない。
むしろこれが白馬創一だ。そうだとも、これが僕だとも。
仕方がない、ここはやられ役として、謎の強敵にやられる実力者としたほうがまだ体裁は保たれる。
「嘘だ、それは嘘だ。またそうやって自分の限界を悟ったようにして、自分を守ってるだけに過ぎない」
〇〇の声が頭上から降り注ぐ。
そうだよ、そうだよちくしょう。
本気で闘ったし本気でムカついたし本気で能力を使った。
今まで手を抜いていたことなんて一つもない。
「人生で一番辛いときって分かるかな創一ちゃん」
「……本気で物事を取り組んだのに、結果は負け、の時かな」
「そうだとも。そこでボクたちはこう気づくのさ。――あ、自分には才能がないんだ。こんなことに金も時間も掛けてらんねー勉強したほうが身のためじゃねえか、ってね。そうやって人は妥協して、努力することを格好悪いと決めつけて、クールな大人になり下がろうとする」
しかし〇〇はその時、倒れ伏した創一の肩をポンと叩きながら言った。
「君のせいじゃあない」
体中に渦巻く痛みがスッと消えたような感覚。
泣きたくなるほどに、優しい暖かさがあった。
もはや彼が何の能力者なのか皆目見当がつかなかった。
「本当は嫌なんだろう? こんな事務職ばかりやらされて、本当は御幸ちゃんのように、主人公らしく誰かを救って、女の子と接したいんだろう?」
「ぼ、僕は……」
「別にやましいことなんかじゃないさ! むしろ健全だ、いいんだよ何もかも諦めて自堕落に生きるよりかはずっとマシさ。今の自分が嫌いなんだろう? ならそんな自分なんか切り捨ててしまえばいい。放って、殴って、殺して、埋めて、蓋をして、完全に見えなくなってしまえばいい。きっとそうすれば、君は――君の望む君になれるよ」
何が正しいのかさえ分からなくなる。
トラウマをほじくり返され、見せつけられ、創一の精神は疲弊していた。
全盛期に戻りたいと願う一方でもう無理だと諦め、劣等感を抱きながら『
彼のことは嫌いではない。むしろ好きなほうだ。
だがその完全無欠さが、時として創一の心を波立たせる。
「助けてほしい――そんな簡単な一言でさえ、大人になれば言うのが難しくなる。だからこちらから手を出そう。――助けてあげようか? ボクが、君を、あの時の完全で完璧で非の打ち所がなく、堂々と御幸ちゃん達と肩を並べられる。そんな君に仕立ててあげよう」
○○の提案はひどく魅力的だった。
どうやってなれるのか、創一を助けるメリットは、どうして創一なのか。
創一はまだ良い方だ。もっと自分より救われる人間がいるはずで、その為ならば創一は投げ出されても良かった。
どうして恵まれている自分が助けられるのだろう。きっとこういうとき、御幸ならば直ぐに断り、その提案を他の人にしてくれとでも言うのだろう。そうしてまたいつもの如く人を助けるのかもしれない。
「だから僕は――」
「人は人だよ創一ちゃん」
創一が何かを吐こうとする前に、○○は言った。
「君は誰かになれないし誰かは君になれない。君がどんなに頑張ったってその人には届かないし、きっとその辛さも苦しみも、理解されないだろう。それに恵まれているからと言って助けを求めないのはバカだよ創一ちゃん。助かりたければ手を出せばいい。救われたければ救われたいと言えばいい。そんな、誰も知ることもできない思い込み一つで無下にするのは、大罪よりも極罪ものだ。君が君に優しくしなければ、誰が君を優しくしてくれる? 世界はこんなにも痛みに溢れているのに」
一つ一つを丁寧に折り曲げ、そしてそれらを良しとする。
世界は狂っている、社会は間違っている――そんな、陰謀論じみた○○の意見は、一見聞くに値しない譫言のように感じるだろう。
だがそれは正常な者の意見だ。
堕ちたもの、踏み入れたもの、そして今まさに葛藤している者にとって、その言論は正しいことのように思えてしまう。
これが○○自体が持つ能力とはまた別の、もっと異質な魅力だということに創一は気づけずにいた。
「素直になろうぜ、そうすれば世界はマシにならなくとも、君の未来は明るくなる。大事なのは開き直りさ、未来はいつだって変えられるんだから」
「――――」
「……ま、焦らすのもよくはないか。どうやら向こうでは向こうで面白そうなことをやってるし。本当は携帯のメアドとか教えたいけど、前それやったら秋葉ちゃんに凄く怒られたんだよなー……まあいいや。どうせこの後会うしね。質問の返答はその時にでも聞いておくよ」
○○は飽きたように創一を一瞥して、ビルの屋上から御幸の自宅付近を眺めていた。
興味深そうな顔になり、顎に手を添えてへぇ……と頷いている。
「予定とは違うけどこれはこれで良いね。彼と会うのが楽しみだよ」
ビルの縁の上に立ち上がる。
顔面蒼白でものを言わない創一に向かって、ばいばいと手を振りながら――。
「それじゃあボクはこの辺で。お相手は君たちの隣人、○○○○でした~」
空中に身を投げ出し、創一の視界から消え去った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます