御幸VS禊

 瞬間、御幸と禊はぶつかり合った。小手先も何も無い、純粋な殴り合い。


 禊はその細さとは裏腹に、的確に相手を殺すような突きを放ってくる。それらをギリギリの所で避けながら、こちらも負けじと足蹴りを仕掛ける。


 実力は拮抗している。だが御幸は禊と違って満身創痍の身だ。アリシアに使った能力――あれが、禊の為に最後まで残しておいた余力だった。ここから先は、正に命の取り合いになる。出来れば説得だけで済ましたかったが、結局はこうなってしまった。


「こんな世界でも、彼女がいたからこそ俺は俺でいられた。彼女には帰れる場所がある。なら――そのためなら、俺はどんな悪事も働いて見せよう」


 禊の拳が、御幸の顔面をぶち抜く。だが次の瞬間には禊の方が吹き飛ばされていた。


 不安定な足場の中、カウンターを決めた御幸の鼻から、鼻血が止めどなく零れる。

 限界が近い――玄光の言葉が、一瞬頭を過った。


「持っててくれよ、俺の体」


 少なくとも、この馬鹿を一発殴るまで。

 御幸は走り出し一気に禊との距離をゼロにする。


「国を変えたいだとか、そんな言葉で美化するなよ。辛い過去があるから殺人が許されるとでも? それこそふざけるな。お前がやっている事は、全部ただの犯罪だ! どれだけ言葉を並べようが、結局はそう断定されるんだよ!」


 一つ一つ、言葉を紡ぐごとに拳が繰り出される。顔面、肩、腕などを殴られた禊は、その一瞬の隙を突いて、鋭い一撃を叩き込んだ。


「だが、こうするしか無かった! こうしなければ、殺されるんだよ!」


 強烈な一撃を喰らった御幸の口から、血が噴き出る。

 今の御幸にとっては、正に致命の一撃。

 ――しかし。


「だとしても、もっと別のやり方を探せば良かっただろう! 電波塔の爆破なんて――それこそ奴らが思うツボだって事に、何故気が付かない!」


 それらを堪えて、御幸は重心を下に下げて、禊に思い切りぶつかる。

 禊はよろめきながら、近くの壁に手を付けて態勢を整える。

 御幸のその言葉に、禊は笑った。乾いた笑いだった。


「――分かってない。俺は何度も見てきた。大人の汚さを、アイツらは平気な顔して誰かの幸せを奪う」


「それは……一部分だけだ。そうじゃない人だっている」


「それに賭けろと? なら自分でやった方がまだマシだ」


 立ち上がって、禊は御幸の頬に一発、拳を出した。


 大きく振りかぶっての、痛撃なる一撃。御幸は仰け反りながら、だがしかし、依然として眼光は鋭いままで、こちらもお返しとばかりの一撃を叩き込む。

 互いに言葉を交わすが、得られる事は何もない。


 結局、そういう奴はいつか痛い目を見る。一人では成し遂げられない事だってあるのだ。いずれそれ相応の現実を見る羽目になる。それがただの失敗ならばどれほど良いだろうか……彼の場合、一歩でも間違えれば、死に直結するものだというのに。


 御幸は差し伸べられる手はなるべく取ろうとするが、逆を言うならばその手を差し伸べない者の所には無理していかない。厳しい様で甘い、御幸の信念であった。


 こういう奴には無理して助けようとはしない。最低限の手助けはするが、そのツケを払う気は更々無い。


 だが――


「こっちは、頼まれてるからな……」


 そうだ。こっちには既に頼まれているのだ。

 優しいあの人を助けてくれと、その手を握らなければ、御幸は御幸足りえない。


 殴られる、殴る。蹴られる、蹴り返す。


 零れる血の殆どが御幸によるものだった。今だって、口から血を吐いている。立ち上がれることがもはや奇跡に近い状態で、だが御幸は決して諦める事は無かった。


「もう、良い――退け御幸。茶番に命を懸けるな」


 禊は口に溜まった血を吐きつつ、御幸に言った。


「この事件で得する人間がいる。被害者もなるべく少なくなるように抑えているだろう。こんな、つまらない事で――」


「つまらなくなんか、ねぇよ」


 御幸は立ち上がって、その鋭い眼光をぶつける。


「能力者が罪を犯す前にそれを止める――それが『異能課』だ」


「――――」


 平行線だ。彼らの会話は終わりが見えない。

 だけど、ここで御幸は言わなくてはいけないのだ。


 託されているから――少女の思いを。何よりも教えなくてはいけない。こんなどうしようもない世界で足掻き続けている彼に、まだ救いの手はあるという事を。


「――どうして、俺を頼らなかった」


「……は」


 そのあまりにも唐突過ぎる言葉に、一瞬禊の思考が停止した。

 だが御幸は止まらない、続けて言った。


「だから、どうして俺に頼らなかった。いや、俺じゃなくてもいい。アリシアとか、リースさん、澪や玄光……どうして『異能課』に相談しなかった」


 御幸は、どうしても彼を救いたかった。

 あの目を見てしまったら、助けない訳にはいかない。


 あの目は、誰かに助けを求めている目だった。どんなに強大な力を持っていたとしても、今の彼に味方はいない。いや、本当はいたはずだ。だが――


「一言、言えば良かったんだ――『助けて』と。だけどお前はそれをしなかった。相談もせずに、勝ってに行動して。傷つくのは自分だけで良い? ――お前が傷つく事を悲しんでいる人がいるって事が、何故分からない」


 何度も言うが、実力に関して禊と御幸はほぼ互角だ。だが明らかに分があるのは、体力が有り余る禊の方だろう。しかし……今確かに、禊は押されている。満身創痍の御幸に。


 想いを拳に乗せてただ殴りあう。そこに正義も悪も何もない。勝敗を決するのは小手先の勝負でも、実力でもなく、ましてや体力勝負なんてもっての外で――


 ――ただ、最後に立つのは、折れない芯を持っている者のみ。


 御幸の一撃をくらった禊は、その態勢を崩した。


「……強いな、お前は……」


「アンタもな……禊、お前はもう十分に頑張った。後は俺達に任せろ」


 御幸のその言葉に、禊は跪いて立ち上がろとうする。

 だが、足ががくがくと震えて上手く立ち上がれなかった。


「でも……もう遅い。俺はあまりにも多くの人達を傷つけた」


 禊が、足の震えに手を添えながら、言葉を返す。その言葉はあまりにも弱々しかった。彼がやって来た行いはどれもが犯罪行為。もはや、助けられる義理は無いと。

 だから禊は立ち上がろうとする。足を止めるには、あまりにも自分は進み過ぎたと。


 だから禊は立ち上がる。自分がしでかした過ちを、目的の為に必要だと割り切った犠牲を、正しいものにするために。


 だから禊は――




「それでも俺は、お前には救われてほしいと、そう思う」




 だからこそ、御幸はボロボロになった右手を前に差し出す。

 彼の目の前に、傷だらけになった手を差し伸べる。

 御幸は、その灰色の瞳に僅かな情を宿しながら言った。


「白紙楼禊――お前はまだ、やり直せる」


 確かに禊は失敗した。だがまだやり直せる。取り返しがつける。

 彼の行動は確かに犯罪だ。だが、誰かの為にと思い行動を起こした。


 ――それだけは、『悪』と断じてはいけない気がした。


「お前は一人なんかじゃない。お前が救われてほしいと思う人間は、少なくともここにはいるんだから……だから、もうお前はここで俺に倒されろ」


 良いのか――この薄汚い自分が、多くの人を殺して来た犯罪者が、救われても――。


 だけど禊は、その右手を掴んでしまった。


「後は、お前たちに――任せても、良いのか? 俺は――救われても、良いのか?」


  禊のその問いに、御幸はフッといつもの様な笑みを浮かべながら、いつもの常套句を口にした。


「当たり前だろ――この世に、救われていけない人間なんて、一人もいないんだから」


 そう言って、御幸と禊は笑い合った。馬鹿みたいに、笑いあった。

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