第22話 大鈴先生の礼儀作法講座

 朝餉あさげを終えた紫乃は、自身の腹を撫でさすっていた。

 食べすぎたかな、と思う。

 いつもの朝餉と変わらない量だったのだが、前日の夜に毒味で一膳しっかりとした夕餉ゆうげを食べていたので、何となく胃がもたれている。

 使用人は一食一菜が普通だと聞いているし、明日からは朝を軽めに、夜にきっちりと食べるようにしようと胸に誓った。


「紫乃、どこ行くんだにゃあ」

「御膳所の食料蔵」


 横を歩く花見に聞かれ紫乃は答える。

 使用人の宿舎の隣が御膳所なので、行き来は楽である。

 御膳所の内部に入ると、朝餉と昼餉のくりや内で何やら作業をする音が聞こえた。

 昼餉はともかく朝餉はもうとっくに終わっている時間、一体何をしているのだろうと不思議に思ってそっと中を覗くと、そこではじさまの指示の元野菜の下拵えや漬物瓶で糠床を確認する様子が見られた。

 じさまの細い体のどこからそんな力が出せるのやら、くりや中に響く声で指示が飛んでいる。


ぬかを掻き回しすぎるでないっ! 不味くなるじゃろうっ!」

「はい、じさま!!」

「紫乃、あれ何やってんだにゃ?」

「多分、明日の朝餉の下準備」

「もう? まだ今日が始まったばかりだろ」

「明日やったんじゃ間に合わないから、こうして前日からやってるんだ。なるほど、それでくりやが三つもいるのか」


 紫乃は納得した。

 朝、昼、夕、三つの厨を用意して各料理人がストレスなく動けるようにする。

 たかが一人の食事のために大袈裟すぎるが、まあ効率が良いといえばその通りだ。

 再び食料蔵に向かって歩き、蔵の扉を開けた。

 そこには紫乃が手配したあじわらに包まれ棚に保管されている。

 あじを確認し、隣に置いてある物体を見て、「よしよし」と頷いた。


「これだけあれば十分足りる」

「にゃ?」

「よし、厨に行こう」

「まだ夕餉ゆうげの準備には早いんじゃない?」

「うん、他にやる事が出来たんだ」

「?」


 首を傾げる花見に紫乃はキッパリと告げた。


「礼儀作法ってやつを覚えないといけない」

「レイギサホウ?」


 この世で最も礼儀作法とは無縁な存在である花見は、首を真横を向くまで捻って疑問符を頭の上にたくさん浮かべた。


「行けばわかるよ」


 大鈴だいりんはどこにいるだろうと考えながら、とりあえず夕餉ゆうげくりやに顔を出そうと歩いていた紫乃であったが、後ろから声をかけられて立ち止まった。


「紫乃様」

大鈴だいりん、ちょうどよかった。探していたんだ。今、時間ある?」

「はい。ちょうど朝餉あさげを終えたところです」


 盆を持っていた大鈴は言ってにこりと微笑んだ。


「そういえば、使用人宿舎の朝餉には顔を出していなかったけど、どこに行ってたんだ?」

「陛下の朝餉のご準備に。給仕番の取り仕切りを任されているので、三食の配膳には全て顔を出しているのです」


 大鈴はてっきり夕餉担当なのかと思っていたが、そうではないらしい。

 動きの止まった紫乃に、大鈴は首を傾げておっとりと尋ねた。


「どうかなさいましたか?」

「礼儀作法を教えてもらおうと思ったんだけど……もうすぐ、昼餉の準備だろ? 忙しそうだから伴代ばんだいにでも頼も」

「まぁ、とんでもございません!」

 紫乃に皆まで言わせず、大鈴は大声を出して遮った。

「まだ昼餉までは時間がございます。ぜひわたくしに、礼儀の何たるかを教えさせてくださいませ!」


 大鈴の瞳がイキイキと輝いている。食い気味の彼女に気圧されるがまま、紫乃は「うん、よろしく」と頷いたのであった。




 夕餉ゆうげくりや内にて、大鈴先生による礼儀作法講座が始まった。

 花見は「にゃんでワテまで……」とブツブツ言っていたが、「妖怪といえども人型になれる以上、覚えておいて損はないはずです」と大鈴に諭され講義を共に受けている。

 厨には小上がりの座敷部分があり、そこで普段は膳の盛り付けや最終チェック、最初の毒味などをするらしいのだが、今回はそこで礼儀を教わっている。

 大鈴に向き合って正座をする紫乃と花見。

 背丈の高い大鈴は座っていても上背があり、姿勢を正して向き合うと見上げる形になる。

 美しい顔ではあるが、その大きさ故かどこか威圧感のようなものがある大鈴であるが、紫乃と花見は別に気にしなかった。


「さて、では、紫乃様に花見様。礼儀においてまず最も大切なことは、『お辞儀』にございます」

「お辞儀」

「そうです。陛下に対面する時は、必ず『平伏へいふく』。陛下に出会ったならば即、その場に正座し、ハの字型に地面に手のひらをつけ、真ん中に頭を置きます。こんな風に」


 言って大鈴はすっと手のひらをやや前につくと流れるように頭を下げた。


「さ、やってみて下さいませ」


 紫乃と花見の二人は見よう見まねで平伏してみた。


「紫乃様、もっと頭を下げてくださいませ。花見様は背筋が曲がっておいでです。やり直し下さい」


 途端、大鈴からのダメ出しが飛んできた。

 こんな感じかな? と二人で指摘された箇所を直し、再度平伏してみる。


「今度は首が畳にめり込みすぎて、形が不恰好になっていますよ。もっとつむじが地面と平行になるように、そして首元を陛下の御前に晒すのです。『わたくしは凱嵐がいらん様になら首を切り落とされてもいい。それほどまでに忠誠を誓い、生涯を凱嵐様に捧げると決めています。凱嵐様に殺されるのであれば、むしろ本望』ーーそう気持ちを込めて、平伏するのです」


 大鈴はかっと目を見開き、腹の底からそう声を絞り出した。

 難しい、と紫乃は思う。

 平伏とはなんと難しいのだろう。

 ただ頭を下げればいい訳ではないのか。相手に絶対の忠誠を誓っている事を、所作で示すーーそうした意図があるとは、思いもしなかった。

 横で花見がボソリと呟く。


「ワテ、あのいけ好かない男に忠誠を誓うのは無理だにゃあ」

「わかる」

「何か言いまして?」

「「イエ、ナンデモアリマセン」」


 花見の言葉に同意した紫乃であったが、大鈴に聞かれたら怒られるので二人は揃ってごまかした。

 何せ、凱嵐がいらんが連れて帰ってきたという理由だけで手放しに紫乃を信頼し、なんの疑問も持たず御料理番頭になるのが当然と考えるような人なのだ。悪口など言ったらどうなるか、考えるだけでも恐ろしい。

 とにかく平伏だ。

 その後も紫乃と花見の二人は、大鈴の指摘されるがままに何度も何度も平伏の所作を繰り返し続けた。

 四半刻は平伏の練習をしただろうか、ようやく「形になってきましたよ」というお墨付きをもらえてホッとする。


「この平伏を、陛下が視界に入った瞬間にいつでもどこでもするのです。例え土砂降りの雨でぬかるんだ地面であっても、平伏をしないという選択肢はございません。『自分の身が汚れるより、陛下への礼儀を重んじる』そうして忠誠を示すのでございます」

「…………」


 もし仮にぬかるんだ地面で凱嵐がいらんに出くわしたら、気づかないふりをして即座にその場から逃げようと紫乃は心に誓った。


「さ、次は立礼りつれいの練習ですよ! 立礼とは、立ったまま頭を下げる礼の事。これは陛下以外の身分の高いお方にお会いしたときにする礼で、大体の方には道を開けて立礼をしておけば難を逃れられます」

「まだあるの」

「まだまだございます!」


 張り切る大鈴に今度は立礼とやらを教わる紫乃。花見はいつの間にか姿を猫に変えていて、畳の上でだらりと寝そべり眠り始めた。


(おのれ、花見……私のそばでサボるなんて許せない。晩御飯はおかず一品少なくしてやる)


「礼儀作法を重んじるのは、凱嵐がいらん様より主に賢孝けんこう様なので、賢孝様にお会いした時のために完璧な礼を覚えておくべきですよ」


 そんな話をしながら、大鈴はテキパキとした指摘を紫乃へとする。


「紫乃様、腕が曲がっておりますよ。もっと優雅に。……あら大変、そろそろ昼餉をお運びする時間だわ」


 時を告げる鐘が鳴り、ようやく大鈴がお辞儀の練習を止めてくれた。


「なかなか様になってきましたわよ、紫乃様。あとは敬語の練習をしなければなりませんね」

「敬語? 何だそれは」

「わたくしのような丁寧な話し方のことにございます」

「あぁ、それ敬語というのか。都特有の方言のようなものなのかと思っていた」

「……紫乃様は、常識も身に付けたほうが良うございますね」


 冷や汗をかく大鈴に言われ、紫乃は己の常識のなさを少しだけ実感できたという。

 

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