第21話 鯵のたたき②
細長い食卓に各人の盆に乗せた料理が並ぶ。全員が一斉に、祈りの言葉を口にする。
「雨神様の加護にて育ったこの土地の食物を頂ける事に感謝を」
両の手を合わせて食物への感謝の気持ちを捧げ、それから箸を取った。
まずは自分で作った鯵のたたきから。
コリっとした食感の生の鯵に、生姜と大葉の爽やかな味わい、ネギのシャッキリした舌触り。
うん、我ながら美味しく出来ているなと満足した。
やはり魚が新鮮だと、たたきも美味しく出来上がる。
そう思ったのは紫乃だけではないようだった。
「この
「さっすが紫乃姐さん、こうも絶妙なたたきを作れるとは」
「並のやつがやると鯵が大きすぎたり、逆にたたきすぎて粘っこくなったりするもんなぁ」
「あぁ、美味い」
手放しで誉めてくるのは、同じ御膳所で働く料理人たちだ。
他の使用人たちも美味い美味いと絶賛してくれ、紫乃は内心で「そうだろう」と大きく頷いた。
何せ母直伝の作り方だ。まずいわけがない。
「にしても、こんなに美味いたたきが陛下に出せないのは惜しいですなぁ」
「どうして出せないんだ、
「どうしてって、紫乃姐さん。いくら毒味が簡略化されても陛下のお口に入るまでに最低でも
「そうか……! そうだった」
紫乃は目を見開いた。
「同じ理由で、陛下は
「阿呆らしい」
紫乃は呆れて思わずそう言ってしまった。
「食べてこその料理。見るだけでおしまいなんて、水菓子を冒涜しているとしか思えない」
「俺らもそう思っているわけですが……せめて目で楽しんでいただけるよう、切り方を工夫したりしています」
「工夫の仕方が間違ってるだろ」
紫乃は考えた。
この鯵のたたきは絶品だ。紫乃が凱嵐の
紫乃は料理人として、その素材が最も生きる調理方法を取りたいと思っている。
今回はたたき一択だ。それ以外は許せない。塩焼きや煮つけなどもってのほかだ。
この素晴らしく美味しい鯵のたたきを、ぜひ
見るだけでおしまいなど、言語道断である。
腕を組み、どうやって凱嵐に鯵のたたきを食べてもらおうかとうんうん唸る紫乃に構わず、周りの使用人たちは勢いよく飯を食っていた。
「この
「そりゃあこの伴代様が作ったもんだからな」
「漬物は誰が漬けたやつだ?」
「俺だ。程よいだろ」
「ああ、ちょうどいいな」
皆、好き放題言いながらも箸を動かす手が止まらない。
いい案が思いつかない紫乃は、とりあえず白米とやらを食べてみた。
艶やかで真っ白な米は甘みがあり、なるほど舌触りが良い。
麦が入っていないので、米の味が直に伝わってくる。
噛み締めるほどに甘みが増し、なるほど虜になるのもわかる気がした。
しかし紫乃としては凱嵐同様、慣れた麦米の方が好みだ。
(朝餉はともかく、夕餉は御膳所で麦米を多めに炊いて握り飯にして食べよう)
そう心に誓う紫乃である。
あっという間に朝餉を終えた使用人の一人が、楊枝で歯を磨きながら呟いた。
「あー、ウメェ。久々にご馳走食ったな」
「ご馳走? どのあたりがご馳走だ?」
「どのあたりって……おかずが二皿もついてくるあたりだろ」
言われて紫乃は首を傾げた。
「日に一回は一汁三菜、が当たり前ではないのか?」
「そんな贅沢な暮らしができるのは、貴人様くらいなもんよ。俺らは一汁一菜がせいぜい。そんでも天栄宮で働いてると、一皿のおかずが豪勢だったりするからいいよな」
「そうだったのか」
「御料理番頭様ともなると、日々の食事も豪華なもんだなあ」
「ま、
「おうよ、俺の生まれ故郷じゃ、いまだに米よりひえや
「米をたらふく食えれば、満足できるもんなぁ!」
紫乃の生活はずっと一日一回は一汁三菜であったので、特に疑問に思った事はなかったのだが、どうやらそれは普通ではなかったらしい。
調味料や調理器具についても同様だ。
母がかつて御料理番頭だったから、天栄宮を去った後も特別な便宜がされているのかな、と紫乃は考える。
(そうだ、黒羽)
ふと紫乃はいつも差し入れをくれていた黒羽について思いを馳せた。
(黒羽も天栄宮にいるんだろうか。そのうち会えるかな)
会えたらぜひ、今までの礼を言いたい。そして母について何か知っている事があるならば、ぜひ教えてほしい。
そう考えながら漬物に箸を伸ばし、口に放り込んだところでむせ返りそうになった。
「……しょっぱ!」
「お? お口に合いませんでしたか」
「ていうか、しょっぱすぎだろう、この漬物!」
紫乃は慌てて湯呑みに手を伸ばし中身を一気にあおった。漬物を担当した御料理番の男は「そうかなぁ」と頭をぽりぽりとかきながら漬物を咀嚼した。
そんな様子を横目で見つつ、伴代はそっと紫乃に耳打ちをする。
「姐さん、漬物の塩気が濃いのには理由があるんでさぁ」
「理由?」
「そうです。漬物がしょっぱい方が、飯が進むだろ? 少ない量の漬物で飯をたらふく食べるために、使用人が食べる漬物はこんくらいの塩気で漬けるのが普通なんだ」
「なるほど……」
目から鱗である。
まさか、米を食べるために漬物をあえてしょっぱくつけているなどとは思いもよらなかった。漬物とは箸休め。しょっぱすぎず、薄味すぎず。適度な味に漬けよと教わってきた紫乃にとっては、青天の霹靂だ。
「奥が深いな」
改めて料理の奥深さを知った紫乃は一人頷いた。
そうこうしていると、「紫乃〜、紫乃〜」と紫乃を呼ぶ声が聞こえる。
「何だ?」
「誰の声だ?」
怪訝に思った使用人達が箸を止めて声の出どころを探ると、一際大きい「紫乃ぉぉおお!」という声と共に厨の扉が派手に開かれた。
そこには人型の花見が、半べそをかきながら立っている。
「花見、おはよう」
「おはよう、じゃにゃい! 起きたら紫乃はいないし、腹は減ったしで散々な目覚めだったんだぞ!」
「よく寝てたから、起こすのが申し訳なくて」
「確かに、あまりの布団の寝心地の良さに起きたくなかったけど!」
天栄宮の布団は、紫乃が山小屋で使っていた煎餅布団とは比べるべくもない寝心地だった。
紫乃は知らないが、山小屋での暮らしは食事を除くと基本的に平均以下だった。
着物は付近の里の者が着ているものと変わらない生地と仕立てだったし、小屋の作りも簡素で大雨が降ると雨漏りがした。
なので、確かに布団に心奪われる花見の気持ちもわからないでもない。
騒ぐ花見を見て、食事を取っていた使用人達が「耳が生えている」「噂の猫又様か」などとひそひそ話していた。もう噂になるほどには、花見の話が出回っているらしい。
紫乃はどっこいせと立ち上がり、花見に声をかける。
「心配しなくても、まだ朝餉はたんまり残ってる。食べなよ」
「さっすが紫乃」
「あんまり遅くなりそうだったら、起こしに行こうと思ってたんだ。今日のおかずは
言いながら紫乃は、花見のために飯をこんもりと腕に盛る。白米を物珍しそうに見つめていた花見は、何気なく呟いた。
「それなら、たたきの状態で氷室にでも突っ込んで保管しておけば良いんだにゃあ」
瞬間、紫乃の朝餉を用意する手が止まった。
そして首をぐるっと回らし、花見を見る。
「花見、それだ」
「にゃ?」
凱嵐に鯵のたたきを食わせる方法が、見つかった。
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