第19話 新旧の御料理番頭、三人衆②

(凄い、食材が沢山ある)


 紫乃は山のような食材を前にして目を輝かせた。

 紫乃は調味料や調理道具こそ一級品を使っていたが、食材は自給自足で賄うか屹然きつぜんから近い里に降りて物々交換で手に入れていたかのどちらかだったため、こうして溢れんばかりの食材を目の当たりにするのは初めてだった。

 近づいて見てみると、どれも状態が非常にいい。

 この時期によく採れる甘藍キャベツふきなどはみずみずしく、おそらく収穫してすぐに持ってきたのだろう。豊富な山菜、茸、筍などもあり、旬のものは全て揃っていそうですらあった。


(魚はどうだろう)


 隣の荷車に移動すると、まだ生きた魚が水槽の中でピチピチとしている。


「今日はさわらがいるのぉ」

「……俺は昼にスズキを使いたい」


 魚をじっと見つめていた紫乃の横に並び立ったのは、朝餉と昼餉の御料理番頭の二人だった。


「夕餉の、お前さんは何の魚を使うんじゃ?」

「そうだな……」


 言われて紫乃はじっと魚を見つめる。

 どれもこれも艶が良く、イキイキとしており実に美味そうだ。その中でも紫乃が気になったのは。


あじにする」

「そうかの。意見が被らなくて何よりじゃ」


 頷いたじさまは手早く必要な食材を指示して荷車に乗せると、運び役の男たちと共に「よし、行くかのぉ」と言って御膳所の方角へと去っていった。その足運びは意外に速い。

 今から朝餉を作るとなると、時間はそうそうない。

 やや急足で去っていくじさまを見送り、紫乃は無愛想な昼餉の旦那と相談をしながら夕餉の献立を決めていった。旦那は必要最低限の言葉しか喋らないので、意思疎通が難しい。


「昼餉は何の献立にする?」

「飯に、汁に、ひら。なます、香の物」


 それはそうだろう、と紫乃は思う。逆にそれ以外に何を作ると言うのだ。


「野菜と肉は何を使うんだ?」

「…………」


 昼餉の旦那は黙って使う野菜を荷台から取り上げ、後ろに待機している運び役の荷車へと載せた。

 喋らない。

 全然喋らない男だ。

 やがて旦那は食材を選び終えたらしく、紫乃と伴代ばんだいに一つ会釈をすると、そのまま去っていく。

 結局何の相談にもならず紫乃は呆然とした。話し合って決めたのは、魚の種類だけだ。 


「姐さん、誤解しないでくれよ。昼餉の旦那は普段から言葉数が少ないんだ」

「……特に気にしてないから大丈夫」


 こうなれば仕方がない。なるべく昼餉の旦那が持って行ったものと違う野菜を使う他ない。


「ところでここにある残りの大量の食材は何に使うんだ?」

「あぁ、この後に奥御殿おくごてんの御料理番が品定めして、その後は使用人用になります」

「何っ」


 紫乃はぐりんと首を横に向け伴代を見て目を輝かせた。


「使っていいのか、これ」

「あぁ」


 それは嬉しい。これだけ食材があれば、さぞ豪勢な朝餉が作れるに違いない。

 まだ寝こけている花見も、起きたらびっくりするだろう、と紫乃はワクワクと考える。


「そういえば、他の天栄宮で働いている貴人や役人の食事はどうしてるんだ? 要らないのか?」

「大体の人は弁当持参で登城するから要らないのです。そうでない人は一度自分の屋敷に帰って食事を取るし、必要なのは陛下と奥御殿に住む白元妃はくげんぴ様、それから住み込みで働く使用人たちの分だけです。ちなみに住み込みの使用人も、数で言えば全体の半分以下ですよ。家族がいれば城下町に居を構えるから、住んでいるのは若くて気楽な独身者ばかりなんです」

「なるほど」

「ほら、噂をすれば奥御膳所おくごぜんしょの御料理番頭のお出ましです」


 伴代が顎でしゃくった方角を見ると、年嵩のいった女性が歩いて来るのが見えた。


「奥御殿は男禁制の女人の園。男で入れるのは皇帝陛下のみの特殊な場所でしてね。通常であれば皇后と側室が住まうのだけど、今は特殊な状況です。先代皇帝の妃、白元妃はくげんぴ様の支配下に置かれているんですよ」


 すれ違い様、ちらりと御料理番頭の女性の目線が紫乃と伴代に送られた。非常に刺々しい、敵意剥き出しの視線である。涼やかな顔でその視線を受け止めると、女性はこちらに近づいてくる。


「娘。頭くらい下げなさい」

「何で?」

「何でって……わたくしは奥御膳所の御料理番を司る者。貴女のような下賎な者とは身分が違うからに決まっているでしょう」

「私も御料理番頭だけど」

「嘘おっしゃい」


 ピシャリと決めつけるように言われたが、これに助け舟を出したのは伴代ばんだいだった。


「嘘じゃないんだ。昨日、この娘、紫乃に夕餉の御料理番頭が交代した。陛下の命令だ」

「まぁ」


 目を見開き、とても信じられないという顔で紫乃と伴代を交互に見つめる。


「誰も娶らないと思ったら、陛下は随分と年若い娘がお好きでしたのね。どうせ足でも開いたんでしょう」

「おい、無礼だぞ」

「ほほ。伴代、あなたもこの娘に骨抜きにされたのかしら? 貧相な体の割に、床上手なのね」

「俺らの頭を侮辱するな」

「まあ怖い」


 そっと着物の袖で口元を隠し、笑みを浮かべる。明らかに小馬鹿にした笑いを残し、優雅に会釈をすると去って行った。


(……床上手って何だろう。私はそんなに拭き掃除は得意じゃないけど)


 首を傾げた紫乃は、一人意味を考えてうんうん唸る。


「気にする事ないですよ、姐さん。奥御殿の奴らは自分が一番偉いと思ってんだ」

「全然気にしてないから大丈夫」


 そんな事より、紫乃が気になるのはアジだ。ぜひ自分の朝餉にも使いたい。あの御料理番頭が根こそぎ鯵を持って行ったらどうしよう。


アジ以外を選べ、鯵以外を選べ、鯵以外を……)


 紫乃が御料理番頭の背中に向けて念を送ると、それが功を奏したのか彼女はサワラを持っていく。


(よしっ)


 ぐっと拳を握った紫乃は、立ち去った御料理番頭と入れ違いにそそくさと荷車に近づき、朝餉用のアジをたんまり手に入れた。

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