第17話 特等室

「じゃ、俺は部屋に引っ込みますが、紫乃姐さんは部屋の場所知ってますか?」

「いや」

「私が教えます」


 案内を買って出たのは大鈴だいりんだった。


「こんな夜に、男性である伴代ばんだい様に部屋まで付き添われるのは嫌でしょう。私に任せてくださいませ」


 言うが早いが大鈴が先導する。紫乃は「では姐さん、また明日!」と言う伴代ばんだいに頭を下げると、そのまま大鈴だいりんに付き従った。


「使用人の宿舎はこの御膳所の隣にある建物で、さっき湯浴みに使った場所と同じです。一階は使用人用の湯殿とくりやが、二階には下級の使用人が使う広間が、三階には中級の使用人が使う相部屋が、そして四階に上級使用人が使う個室がございます。紫乃様は四階ですね」

「大鈴は?」

「私は相部屋を使っていますよ。個室を持てるのはごく一握りだけなのです」


 それは有難い。心して使おうと紫乃は思う。


「はぁ……それにしても、本日も素敵だったわ、凱嵐がいらん様」

 道すがら、大鈴が唐突にそんな事を言い出した。頬は赤く染まっており、凱嵐の様子を思い出しているのは明らかだ。


「ねぇ、紫乃様もそう思いません?」

「私は別に」

「まぁ! あの色気を間近にして、平静を保っていられるなんて、紫乃様の心は鋼のように鍛えられているのね。……ご帰還なされた時の凛々しいご様子も素晴らしいけれど、私は夕餉ゆうげの席で少したもとをくつろげた凱嵐様のお姿がとても好きで……あの滲み出る色気は、一体何なんでしょう」


 はぁ、と悩ましげな息をつく大鈴。

 紫乃ははぁ、と適当な返事をしてごまかした。

 あの姿でここまで悶絶できるのなら、小屋でひん剥き紫乃の寝衣を無理やり着せた凱嵐を見たら、きっと気絶してしまうに違いない。

 何せあの時の凱嵐は丈に合わない着物からにょきにょき手足を出していたし、髪も乾かすためにざんばらな状態になっていた。今とは比較にならないくらいの無防備な姿である。

 しかし紫乃は凱嵐がいらんの見かけなど、どうだっていい。気になるのは検分されたという調理道具の行方のみである。


「さ、着きましたよ。こちらが紫乃様のお部屋でございます。では、おやすみなさいませ」


 言って大鈴が下がったので、紫乃はガラリと戸を開けた。


「おぉ、ちゃんと調理道具が運び込まれてる」

「ワテがいっといたんだにゃあ。ちゃんと返してって」

「さすが花見。握り飯食べる?」

「食べる」


 花見は、今はもう猫の姿に戻っている。人型を維持し続けるのは力を食うらしく、基本的には猫型の方が良いらしい。


「立派な部屋、もらったにゃあ」

「うん」


 この部屋、紫乃が住んでいた小屋よりも清潔でこざっぱりとしている。花見と二人で住む分には全く問題ないだろう。

 紫乃は部屋を横切ってふすまを開けた。すると夜風が部屋に入り込み、爽やかな空気が肺を満たす。

 四階というのは、眺めがいい。使用人の部屋ということであまり天栄宮の中でも目立たないよう、周囲に木々が植わっていて遠くまで見通すことはできなかったが、それでもこんな高い建物に登った経験のない紫乃からすれば十分な見晴らしだった。

 一際高い立派な建物は、凱嵐がいらんが住まう御殿であろうか。遠くには木造の見張りやぐらも見える。

 紫乃は木造りの欄干らんかんにもたれかかり、くりやから持ってきた握り飯を一つ花見に渡し、自身でも頬張った。中身は焼き味噌だ。砂糖と絡めて焼いた味噌の握り飯は塩分も取れるし腹も満たされるし、紫乃が好きな具材の一つだ。


「紫乃、逃げるの止めたの?」

「止めた」

「それってやっぱり、紅玉こうぎょくの事が気になるから?」

「うん」


 握り飯を咀嚼しながらも花見に問われて紫乃は即答した。

 かつてこの天栄宮てんえいきゅうで『伝説の御料理番頭』として腕を振るったという紅玉。

 その人物は、紫乃のよく知る人物で間違い無いだろう。

 凱嵐に調味料の類に関して問い詰められ、口をつぐんだ理由。


「隠し事をしている」と指摘され、話さなかった理由。

「母さん……」


 紫乃の母の名は、紅玉こうぎょく。伝説の御料理番頭、その人だ。

 母はかつてこの天栄宮で働いていた。そして何らかの理由があって、追い出された。

 なんで? という疑問が胸の中を渦巻く。

 伴代ばんだいの様子を見る限り御膳所では慕われていたようだし、なぜあんな山の中で暮らす羽目になったのかわからない。

 母が口を酸っぱくして言っていた、『高貴な人と関わるな。関わればお前は殺される』という言いつけが頭をよぎった。

 母さん、何があったのか、私は知りたい。

 この天栄宮で何が起こったのか。

 凱嵐に協力を求めればすぐさま真相にたどり着くのかもしれないが、紫乃はまだ凱嵐を信用しきっていない。

 仮に母が大罪を犯して天栄宮を追い出されたのだとすれば、娘である紫乃にも危害が及ぶだろう。きっと母が危惧していたのは、それだ。

 だから紫乃はこっそりと、御膳所で働きながら真実を突き止める。


「花見、頼りにしてるよ」

「にゃ?」


 あぐと大きな口を開けて握り飯を食べる花見が紫乃を見上げる。


「任せるにゃあ」


 花見は猫の前脚でポンと胸を叩いた。全く頼もしい限りだ。


(凱嵐の言っていた、花見に関する話も気になるけど)


 凱嵐に使役されている事にしろといったのはなぜなのか。


(この場所は謎に満ちている)


 しかし、ひとまず紫乃のやるべき事はただ一つ。


「明日の自分達の朝餉あさげと、凱嵐の夕餉ゆうげ。何にするかな」

「紫乃、ワテ、明日は魚が食べたい」

「町から食材が運び込まれるらしいよ、魚もあるといいね」

あゆ! あじ! たい!」


 涎を垂らす花見を苦笑しながら見つめ、「今日はもう寝ようか」と布団を敷く。

 連れてこられた時は逃げ出す気満々であったが、今はそんな気は消え失せた。


凱嵐がいらんのタメじゃないけどね)


 知らなかった母の過去に触れられるかもしれないと、紫乃の心は少し踊っていた。

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