第32話:最後の契約(ジール側6)

 第二の人生を歩むミーアが、幸せを噛み締めている頃。


 王都のとある錬金術店の応接室では、冷や汗を流すジールとカタリナの姿があった。


「なぜですか! 急に年間契約を解除したいだなんて、納得できませんよ」

「そうですよ~。ポーションの納期は、まだ先じゃないですか~」


 向かい合って座るのは、取引先であるブルース伯爵。しかし、その目はとても冷ややかなものだった。


「すまないね。こちらにも都合ができてしまったのだよ」


 一方的な契約解除ともなれば、違約金が発生する。それだけに途中で年間契約を切られることはないと思っていたジールは、頭を抱えていた。


「そんなことを言わないでください。長年にわたってポーションを取引してきましたが、トラブルは一度もなかったはずです」

「ポーションに文句を言いたいわけではない。貴殿との付き合い方を見直そうと思い、契約解除を申し出ているのだ」

「おかしいですよ! ブルース伯爵に迷惑をかけていないのに、見直す必要なんてない!」


 心に余裕のないジールは、思わず声を荒げてしまう。


 その姿を見たブルース伯爵は、呆れるように大きなため息を吐いた。


「店の雰囲気から察するに、繁盛しているとは思えませんな。品もない、客もいない、活気もない。今まで店を仕切っていた人間が誰だったのか、考えさせられる光景だ」

「な、何を言っているですか。ここは俺の店です。仕切っていた人間なんて、俺に決まって――」

「少なくとも、誰もジール殿とは思っていないだろう。従業員も客も取引先も、だ。この店の責任者らしい対応をしていた人物は、一人の女性しか記憶していないよ」


 真っすぐ目を見つめてくるブルース伯爵に対して、ジールは目を逸らす。


 従業員に接客の指示を出していたのも、取引先の接待をしていたのも、店内に顔を出していたのも、ジールではない。


 そんなは、ミーアの仕事だったのだから。


「店のポーションは俺が作っていたんですから、責任者は俺です」

「何を寝ぼけたことを言っているのかね。錬金術店なのだから、良質なポーションを用意するのは当然のことだろう。そこに信頼という付加価値を加え、責任を担っていた人物がいなくなった、そう言っているのだ」


 調合作業で工房にこもり、が終われば遊び惚けていたジールを、責任者と呼ぶ者はいない。


 ブルース伯爵との関係を改善するのは、かなり難しいものとなっていた。


「信頼を失った店と契約を結び続けることはできない。契約を破棄するのは、自然のこととは思わないかね」


 否が応でも現実を突きつけてくるブルース伯爵に、ジールは反発する。


「いいんですか。俺、本気出しますよ? 今から本気を出して、とんでもないポーションを作ります。後から取引を再開したいと言っても、遅いですからね」


 子供みたいな脅しに、ブルース伯爵は哀れむような視線を向けた。


「貴殿は、貴族の付き合いというものをご存知かな? 我がブルース家は、武家の家系だ。付き合いの深いホープリル家と取引をしても、愚かなボイトス家と取引を続けようとは思わないよ。相手が子爵家と侮り、ちょいと目立ちすぎたのかもしれませんな」


 痛烈な言葉で返され、ジールは我に返った。


 相手は取引先であり、伯爵家の当主でもある。立場が悪いにもかかわらず、強気な態度を取ってしまったことを後悔した。


「ああ、噂のことを言っているんですね。あれはホープリル子爵が流したデマであって……」

「そういうところですぞ、ジール殿。人の命を助けるポーションを作るのであれば、もっと誠実な姿を見せるべきだ」

「な、何をおっしゃっているのかわかりません。悪いのは、全部ミーアなんです。ミーアが嘘をついているんですよ!」


 自己弁護のために苦しい言い訳をするが、信じてもらえるはずがない。


 ブルース伯爵が信頼している人物は、ジールではなく、ミーアなのだから。


「ホープリル子爵令嬢と関わったことがある者は、決して彼女のことを悪く言わないよ。貴族だけではなく、冒険者も同じことを口にするのだから、非の打ちどころがない」


 アッサリと否定されたジールは、どこか聞き覚えのある言葉を思い出す。


 貴族のパーティーに参加すると、いつもミーアのことを褒められていたのだ。


『良い嫁さんをもらったな』

『君が羨ましいよ』

『ジール殿にはもったいないくらいじゃないか』


 貴族同士がよく使う上辺だけの言葉だと聞き流していたが、今となっては何が真実なのか、ジールには判断できない。


 しかし、ブルース伯爵の声のトーンは、お世辞だと思えなかった。


「王都で護衛依頼を発注すると、彼女は必ず冒険者と顔合わせをしてくれる。たとえそれが、早朝でドシャ降りであったとしても、だ。いつも依頼主と請負人にトラブルが起こらないようにと、気遣ってくれる優しい子だよ」


 思い返せば、ミーアは嫌な顔を一つせずに仕事を手伝っていた。


 眠い目を擦りながらも、休日に誰よりも早く出勤して、ポーションの下準備をしていた。


 それが当たり前だと思っていた。婚約者なら、それが普通だと思っていた。


 でも、きっとそれは世間一般的に言えば……。


「良いお嫁さんだったのではないかね、ジール殿」

「そ、そんなことは――」


 弱々しい声で否定しようとしたとき、今までずっと隣で聞いていたカタリナが、ジールの手を優しくつかむ。


「ジール様、私はもう……無理に否定しなくてもいいような気がしてきました。薄々気づいていたんですよね~。うまくいっていたのは、ミーア先輩のおかげだったんじゃないかって」


 身内ともいえるカタリナの言葉を聞いても、ジールの気持ちは変わらない。ゆっくりとカタリナの手を払い、首を横に振る。


「俺は……天才錬金術師なんだ。簡単に認めるわけにはいかない」


 ミーアの存在を認めてしまったら、自分が無能であることも認めなければならない。ジールには、どうしてもそれができなかった。


 たとえ、ブルース伯爵に辛辣な態度を取られたとしても。


「そうかね。過去の過ちすら認められない君と取引するのは、私には不可能だ。堕ちるとこまで堕ちてから、反省するといい。色々と手遅れかもしれないがな」


 そう言ったブルース伯爵が立ち去ると、ジールは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。


 ――錬金術がスランプに陥っただけで、こうも次々に突き放されるとは。確かにミーアがよく働いていたことは認めよう。だが、それだけだ。どいつもこいつも肝心なところが見えていない。


 最後の契約が打ち切られ、ジールは苛立ちを隠しきれていなかった。しかしその一方で、カタリナはどこか爽やかな笑顔を浮かべている。


「もしかしたら~、私は先輩に憧れていたのかもしれません。平民や貴族、冒険者から好かれる姿が羨ましくて~、甘えちゃってたのかなー」


 いとも簡単に自分の非を認めるカタリナに、ジールは複雑な心境を抱く。


 恥ずかしいような、みっともないような、羨ましいような……。何とも言えない気持ちになり、余計に腹が立っていた。


「今更やり直すつもりかよ」

「う~ん、先輩に許してもらうのは難しいかなぁ。でも~、やり直せるチャンスをくれそうな場所が、一つだけあるから」


 自分だけ反省して、やり直そうとするカタリナに、ジールの怒りは止まらない。


「馬鹿馬鹿しい! 俺は絶対に間違っていないからな! 天才錬金術師である俺を侮辱したことを後悔するがいい!」


 勢いよく立ち上がったジールは、工房へと足を運んでいく。


 無理を言って買い込んだ薬草も、残り僅かだと知りながらも……。

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