第12話「女王と戦士」

「アーゼムの崩壊……それがおまえの危惧きぐしていることなのか」

 リヒタールが訊いた。一時の動揺はすでに見られず、その声には先を見えるかのような力強さが感じられた。


「そうだ。もちろんこれはサイオスによってもたらされたことであるし、たんなる思い過ごしであればそれに越したことはない。だが、いまだ続いているアーゼムの不在、ラスティア様の襲撃、そしてバルデスによる侵攻……何かが起きようとしているのは確かだ。いや、サイオスはこう言っていた。『今起きていることの背後には、何者かの意思が感じられる』、と」


「それが今こいつが言っていた『混迷の時代へ陥れようとする勢力』か」

 リヒタールが顎でフェイルを指し示す。


「ああ。サイオスはその存在を突き止めるため動いていた。行き先は告げなかったが、ずいぶん先を急いでいるように見えた」

「そうだったのか……しかし君はずいぶん興味深い言い回しをする男だな、フェイル。どうしてレリウスが君を同行させているのかと正直不審に思っていたのだが、どうやら見た通りの人間というわけではないらしい」


 ルノに対し、フェイルは首を傾けるような礼で応える。

「根無し草である私を拾ってくださったレリウス様とラスティア様には感謝しかありません。お二人もどうぞ、お見知りおきを」


「本当にころころと顔を使い分けるやつだ」

 レリウスが苦笑する。


 ルノもリヒタールも、今は落ち着き払った様子でそれぞれ考え込むような仕草を見せていた。

 これが国を動かす側にいる人たちの姿なんだろうか。シンはふと、そんな感想を抱いた。


「ずいぶんと話が長くなってしまったが、シン。今我々の世界を取り巻いている状況が、なんとなくでも理解できただろうか」


 はっとして今耳にしたことを頭の中で反芻はんすうする。


「えっと、うん。だいたいのことは、理解できたと思う。だから、教えて欲しいんだ」

「なにをかな」

「レリウスが言っていた、おれに協力して欲しいということについて。今回のことだけでなく、もしかしたらレリウスは出会ったときからおれに何かを言おうとしていたんじゃないかなって……」


 それはほとんど直感のようなものだった。だからこそ具体的な質問としてこれまで口にできなかったのだ。


「……私がラスティア様を主君として選んだのは、彼女が誰よりもアーゼムに精通している人間である、というのも大きな理由の一つだった」

 しかしレリウスはシンの疑問に直接答えようとはせず、ラスティアについて語りだした。

「先ほど言った、このエルダストリーの地で暗躍しているやもしれん『何者か』は、もしかすると、ということにもなりかねん。それはつまり今まで我々を守護者であったアーゼムが、今度は敵して立ちはだかってくるかもしれないということだ」


「サイオスの話や動きからすると、そうなってもおかしくはないな」

 リヒタールがふんと鼻を鳴らしながら言った。


「おかしくはないで済ませられるような事態ではないぞリヒタール」ルノが肩を寄せるようにして詰め寄る。「主だった顔ぶれを集め、いち早く今後のことについて話し合わなくては」


「何にせよ、夜が明けないことにはどうにも動けんだろう。ここはせいぜいじっくりと話し合おうではないか。どうせ明日から激流を遡るような日々ベシオールネスが続くことになるんだからな」


「シン、これはなんとも恐ろしいことなんだよ。以前話したかもしれないが、アーゼムがひとたび牙を剝けば国が亡ぶとまで言われている。それほど彼らの力は強大であり、私たちの想像の遥か上をいく存在なんだ。アーゼムに比べればヘルミッドやベイルなど赤子のようなものだろう」


 あの二人が赤子……シンがアーゼムという人種を理解するには、それで十分だった。


「それに加え、北と東の脅威も迫っている。この混乱に乗じて暗躍するアーゼムがいたとして――〈敵対者〉とでも呼ぼうか――彼らと対抗し、これから襲い来る混迷の世を切り開いていくためには今の王子王女たちでは役不足だ、到底務まらん。真に必要なのは、揺るぎなき信念により国を率いる偉大なる指導者とアーゼムを凌駕するほどの力を持つ戦士たちなのだ」


「その戦士ってのがシン、おまえってことだ」

 いつの間にか隣に立っていたフェイルがシンの肩を軽く小突いた。


「おれが……?」


「シン」

 レリウスが急に立ち上がり、まっすぐシンを見つめてくる。

「ラスティア様の隣に立ち、我が国を――いや、ラスティア様のゆく道を共に支えてはもらえないだろうか。彼女のことを守り、彼女が守ろうとするものを守り、共に生きてゆくことはできないだろうか」


「急にそんなこと言われてもおれなんかが――」


「これまで私に話してくれたことやテラと交わした会話についても、むろん承知している。君が闘いなどとは無縁な世界で生きてきたということもだ。だが、我々は見た――見てしまったのだ。五万のバルデス軍を背走させるに至った、あの力を」


「そ、それはそうかもしれないけど、あんなこともう一度やれって言われても」


「先ほど君は、ラスティア様と共にいると言ってくれていた。私が言ったこととはおそらく違う意味だとは思うが、ラスティア様自身もそれを望んでいたのではないか」


「ラスティアからは、ただその……友人としてって意味で言われたのであって、レリウスが言ったようなことは何も」


「なら、今はそれで構わない。ただ、ラスティア様のそばにいてくれるだけでいい。これからは王女としての役割や振る舞いが求められ、相応の者でなければ近づくことすら難しくなるかもしれないが、シンがラスティア様の傍らにられるよう、私も全力で動くつもりだ。シンさえ頷いてくれれば、そのための道筋はすでに描けている」


 レリウスの迫力に押され、何も言えなくなってしまう。今自分が何を言われたのか、何をしろと言われたのかしっかり考えようとするが、焦りからか頭がうまく回ってくれない。


「あまり難しく考えるなよ」

 ふとフェイルの声が割って入ってくる。

「アルゴード侯が言っているのはつまりこういうことだ。『ラスティア様のそばにいてやってくれ、そうできるよう、全力を尽くすから。それでもし何か彼女に危険が及ぶようなときは、シンの出来る範囲でいいから守ってやってくれ』と」


 上手く頭にはまってくれなかった言葉が、フェイルの説明でカタンとはまった。レリウスの言わんとしたこととはかなりの隔たりがあるように思えたが、今のシンにはそれで十分だった。


「本当に、そんなんでいいなら。って言っても、おれなんかに何ができるかわからないけど……ラスティアとも約束したし、ただお世話になってばかりもいられないから」


「ありがとう、シン」

 レリウスはいたって真剣な表情のまま深々と頭を下げた。


 一緒にいると、そう本人に告げたばかりだったから。

 自分にできる範囲で守ると、うなずいたばかりだったから。

 何か、少しでも自分にできるようなことがあればいい。その思いに嘘はなかった。

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