第8話「王女の憂い」
「つかれた……」
晩餐会がお開きになったあと、シンは案内された部屋の、贅沢すぎるベッドの中に倒れ込んでいた。
皆、話し合いたいことは山ほどあったようだが、今日アルゴードに到着したばかりというともあり、夜が更けてゆくのもまた早く、詳しい話はまた明日にということとなった。
結局、緊張ばかりが続くような食事の席だった。満足に食べた記憶もないのに、ひどい胸やけを起こしている気分だった。レリウスたちの話を聞くだけならまだ良かったのだが、リヒタールとルノが折に触れてシンのことを訊いてくるため、質問をはぐらかしたり、上手くかわすしたりすることに全神経をすり減らしてしまった。
食事も部屋も、これ以上ないほどの待遇を受けておきながら、ここへやってくるまでの道中の方がよほど気楽に休めていたような気がする。心からありがたいとは思いつつも、どうしても、そう思ってしまう。
これまでとは無縁すぎる人々と環境そして自分の置かれた状況に、どう対応していけばいいのか。シンはずっと悩み続けていた。そもそも住んでいた世界が文字通り違うのだ。すぐに順応しろという方がおかしい。
そうは言っても、レリウスたちの口から語られる内容はシンにとってすこぶる興味を引くことばかりだった。ましてやシンには、
結局テラの話からは、元に戻る方法はおろか、自分がどのようにしてやって来たのかもわからなかった。真に望めばなどとテラは言っていたが、望んだくらいで家に帰れるのならとっくの昔にそうなっているはずだ。
そこまで考えたところで、またいつもの疑問が頭をよぎる。
自分は本当に、もとの生活に――もといた世界に戻りたいのか、と。
そのまま眠りにつくこともできず目を閉じていると、遠慮がちなノックの音が聞こえて慌てて飛び起きた。
「ど、どうぞ!」
そう叫び、ベッドの上で固まっていると、扉の向こう側からラスティアの顔がひょっこり現れた。
「ごめんなさい、眠るところだった?」
彼女は室内着と思われる簡素なドレスに着替え、結い上げていた髪を無造作に下ろしていた。
先ほどとはまるで異なるその姿に、シンはまた違う緊張を強いられた。
なんだか憧れている女の子の風呂上りの姿を目にしてしまったような、そんな気持ちになっていた。
「シン?」
「あ、まだ寝ないよ。なにかあった?」
努めて自然に言ったつもりだったが、いくぶん声がうわずってしまう。
「少し話せる?」
「うん」
急いでベッドから降り、ソファーへと移動する
「座っても?」
「うん」
シンもラスティアの隣へ腰を下ろす。
「ああいう席って、やっぱり緊張した?」ラスティアが聞いてくる。
「そりゃもう」精魂尽き果てたといった感じで返す。
「私も同じ」
「そうなの? 全然そうは見えなかったけど」
ラスティアが小さく首を横に振る。
「身についていたことで何とか対応していただけだもの。昔から人前に出るのは苦手だし、なるべく避けてきたの。けど……これからはそんなことも言っていられなくなる」
「前から聞こうと思ってたんだけど、いいかな」
「もちろん」
「ラスティアは、どうしてその……アインズの王女になろうと思ったの? 最初は疑問にも思わなかったんだけど、君を見ているとあまり、なんだか積極的にそうなりたいようには見えなくて。レリウスからだいたいの経緯は訊いたんだけど」
「……やっぱり、そう思われちゃうか」
ラスティアは痛いところを衝かれたとばかりに肩を落とした。
それは彼女がときおり見せる少女らしい一面で、話をしていてシンが一番ほっとする姿でもあった。
「本当は嫌だったの?」
「そんなことない、ちゃんと自分で決めたことだもの……そもそも私みたいな人間にはこれ以上ないくらいありがたいお話だし、
「目的って?」
「アインズの王立大学で学び、国政に携われる地位につきたいの。一介の身分では限界があるけど、王女としてならできることがたくさんあるはずだから」
思ってもみなかったラスティアの言葉とその途方もなさに、シンは言葉を失った。
何と言おうか迷っていると、ラスティアが笑って手を振った。
「そんなに真に受けてくれなくていいのに。私自身、どこまでできるかなんてわからないもの。父には特に反対されなかったけれど、実際どのように思われているか……」
シンはレリウスから聞いた話を思い出した。
そもそもラスティアは、サイオスなる人物の働きかけでアインズ王室に迎え入れられることになっていたが、彼女自身はそのことを知らないでいる。
シンは食事の席のあとレリウスから、「ラスティア様が来るまで交わされていた会話は、くれぐれも他言無用で頼む」と言われていた。なぜ当の本人にまで秘密にしなければならないのかについては訊く暇がなかった。
「じゃあラスティアは、なんて言われてここまで来たの?」
シンは余計な口をすべらせてしまわないよう、慎重に訊いた。
「父から『アインズの王女となって外の世界を見てこい』って、ただそれだけを告げられたの。きっと家に閉じこもってばかりで何もしようとしない娘に愛想を尽かしたんでしょうね。丸一年くらいはそうしていたから。おかげで頭も体もすっかりなまってしまって、もとの感覚を取り戻すまでにずいぶん時間がかかりそう」
つまり彼女は、一年間家に引きこもっていたにも関わらず、シンが今まで目にしてきたことをやってのけてきたといっているのだ。シンは初めてラスティアと出会ったときのことを思いだし、言葉を失った。
「私がいくら反対しても、『もうすべての
「最後の機会?」
ラスティアがこくりとうなずく。
「アーゼムの始祖である十二従士の末裔として生まれながら器すら与えられなかった私は、『エルダストリーを安寧へと導く』という使命を果たすことができない。そんな私に与えられた、最後の機会。私という個人にできることはほとんどなくても、アインズの王女としてならきっとあるはず。そう思い至った後は、迷いがなくなったわ。今まで実現したかったことが次々に思い浮かんできて、すぐにでもオルタナへ発ちたいと思った。
「あ、もしかしてそれで俺なんかのところへ?」
ふと思いついて訊いてみる。
「俺なんかだなんて言わないで」ラスティアは首を横に振りながら続けた。「バルドー侯リヒタール・シュナイツ、シャンペール侯ルノ・ベイリッチ――アインズの中枢でも指折りの実力者たちだわ。本来ならアーゼムでもない私が会えるような人たちじゃないのよ。でも……これからはそんな人たちの前に出て生きていかなくてはならない。そう思うと――自分で選んだこととはいえ、身のすくむ思いがするの」
「自分で選んだって……結局はお父さんから言われたことなんだろ? そんなに自分に厳しくすることないと思うけど」
素直に思ったことを口にしただけだったが、なぜかラスティアは不思議そうに首を傾げた。
核光色と呼ばれる翡翠のようなラスティアの瞳が、まっすぐにこちらを見つめてくる。そうされてしまうと、目を逸らすどころからその瞳の中へと吸い込まれてしまうような気さえした。
「確かに父に言われたことではあるけど、結局は私が決めたことだから。それに、本当に嫌だと思ったら最後までその意志を貫き通したと思うし、ロウェインの家を出ることもいとわなかったと思う」
これは、自分なんかには到底言えない台詞だな。思わず感嘆のため息が漏れそうになるが、今までの話を聞く限り自分で決めたからすべて割り切れるというわけでは決してないのだろう。
「それでも、不安なことに変わりないんだよね? なにか、俺にできることがあればいいんだけど……こうして話を聞くくらいのことしか――」
「それでいいの」
柔らかな笑みを浮かべながら、ゆっくりと頷く。
「話を聞いてくれるだけでいいから……私はシンに、これからも一緒にいてほしいと思ってる」
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