黄昏の前哨戦




 吹き荒ぶ嵐のような剣戟が、繰り広げられていた。

 時折立ち止まり、凄まじい剣速での撃ち合いが見えたかと思えば、忽然とまた姿が見えなくなる。そしてまた別の場所でであるのだ。

 かつての<宵闇の鴉>は、這いつくばるアレクシスの赤髪を鷲掴みにし、背後から何かを話している。きっとそれはアレクシスが強いた甘言をことごとくに否定をしているのだと思われる。


 

 そんな光景も「そろそろお開きね。お父様が来ちゃう」とメリッサの一言で、がらりと様相を変えたのだ。

 立ち止まったメリッサは強く足を踏み鳴らす。彼女の首をとらえようとしたショーンがそれに合わせるように地面に唐突に平伏した。


「な、何をしやがった」


 ショーンの呻き声にメリッサは「ごめんね。もう時間なの。行かなくちゃ」と返し、今度はすぐ傍にいるアッシュへ向かって左腕を振るった。

 アッシュは目には見えないに吹き飛ばされ、やはりショーンと同じように地べたに這いつくばった。


 苦悶の声を上げたアッシュ。

 腹の底から聞こえてくるような、くぐもった呻き声を上げながら、自分を押し付ける何かに抗おうとした。半開きになった口から漏れ出るその声は、恐ろしく低くまるで獣のようだった。


 メリッサは二人の無様な様子を眺めると「どの子が<楔>を持っているのだっけ?」とアレクシスに訊ねながら——足元で呻き声を上げるショーンの首根っこを掴み、そして、レジーヌ達のいる方へ放り投げたのだ。

 バサバサバサと馬車が疾駆する音よりも早く、その音を刻ませながらショーンはエステルとカミルに激突をし、壊れた人形のようにゴロゴロと転がった。


「あの魔術師よ」


 アレクシスはゆっくりと立ち上がり、そばに転がるアッシュの元へ歩きながらレジーヌを指差した。それにメリッサは「食べたら駄目よ」と、アレクシスの足元へ寝転がるアッシュを一瞥し短く云うと魔術師に向かって一足跳びで移動をする。


 ダン!


 メリッサはレジーヌの背後に立つと、再び足を強く鳴らす。

 それに合わせ、レジーヌ、ショーン、エステル、カミルの四人はその場に平伏した。四人は抗うことも許されず、その場で呻き声をあげるばかりだ。


「あなたね、ハーゼに預けた<楔>を盗んだのは」

 メリッサはレジーヌをひれ伏せさせると、彼女の傍に立ちそう云った。

 そして、それに答える間も与えずレジーヌを仰向けにすると、片手に握った剣の切っ先を彼女の胸に這わせる。

 声を上げることもできないレジーヌは、なんとか動くかぶりを振って「なんのことかわからない」と無言で伝えようとする。しかし、それはメリッサにとっては何の意味も成さない。そもそもそれを聞く気もメリッサにはなかったからだ。


 身体の縦中央に沿わせ這いずった切っ先が、レジーヌの外套を紙のように斬り裂いた。綺麗に中央から切り開かれた外套が、その中を露にするとシェブロンズでキュルビスにやはり胸元まで斬り裂かれたローブ見えた。

 メリッサはそれに仮面の奥で小さく笑うと剣を投げ捨て、次にはゆっくりと優雅にさえ感じる所作でレジーヌに跨り、そして腰を降ろす。


「どこに隠したの?」

 最初はゆっくりと、次第に荒々しくメリッサは五指を艶かしくレジーヌに這わせ、露になった素肌とローブの間へそれを滑り込ませた。これにレジーヌは目を丸くし、いよいよ激しく首を動かすのだが、どうやってもその拘束から逃れることができない。


 すぐそばで手も足も出せずに呻く三人も、やっと出せた制止の声を上げるが、そんなものはメリッサの耳に届くはずもなかった。

 相変わらずメリッサの向こう側で獣のように呻くアッシュは、狂おしい瞳で——縦に絞られた瞳孔の瞳で、その様子を見ることしかできないでいる。


 メリッサはそのままレジーヌの胸の丘陵に指を沿わせ、不気味なのっぺらぼうの仮面をレジーヌに近づけた。


「そうよね、答えることができないんだもんね」と、愉しむように零すと「私もあなたのようになれるかな? 私ね、アレクシスのような容姿も好みなのだけれど、あなたのような均整な容姿に憧れているの」と、脈絡のない独り言を口にした。


 そして唐突に今度は身体をもたげたメリッサは両手でレジーヌのローブを腹の辺りまで引き裂く。とうとう露になったレジーヌの慎ましい胸の丘陵を仮面の奥から眺め——きっと眺めているのだろう——「どこにも、ないね」と、惚けるようだった。


「きっと外套の隠しにしまっているはずよ。メリッサ、お遊びが過ぎると時間がなくなるわよ」

 メリッサの陵辱にも感じられたそれにアレクシスは呆れかえったのか、それとももっと別の感情なのか。随分と低い声でメリッサに忠告をすると、エストックの切っ先をアッシュの首根っこやり片方の手を腰に当てた。


「怒らないでよアレクシス」

「怒るも何も、さっさとしないと、ほら」









 とっぷりと暮れた空は相変わらず方々で燃え盛る炎に赤く焦がされた。

 だが、その勢いは少しづつだったが、魔術師達や警備隊達の手によって鎮火をしてきているようで、先ほどと比べるとだいぶ良くなってきている。

 アドルフはアオイドスと共にクレイトンの南から街道を北上しシェブロンズへ走っていた。この状況では馬を走らせる方と余計な時間が取られてしまうからだ。ダフロイトの惨劇のように、突然に巻き起こった災厄へ身を委ねるしかなかった人々は、命からがら逃げ出せた者は思い思いに通りに腰を下ろし項垂れ、そうでなかった者は焼け焦げた炭のような身体を通りに投げ打った。

 先ほどクレイトン全体を包んだ術式のおかげか街中を駆けずり回っていた魑魅魍魎は、すっかり姿を消した。

 

「先生、本当に行くんですか?」

「ええ、<楔>をメリッサに渡しては厄介だからね」と、アオイドスはそんな光景を横目にアドルフへ答えた。しばらく走り、アドルフが腕を落とされた通りを抜けると、まだまだ炎が燃え盛るシェブロンズのある通りに交わった。進路を東に素早く折って、遠くに聞こえる剣戟の音を頼りにその現場へ二人は急いだ。

「急ぐわよ」とアオイドスは声をかけ、グンと走る速度を上げた。

 白い外套はそれに合わせ炎の赤を拾いながら、大きく裾をたなびかせる。


「はい、先生」とアドルフもそれに合わせ足を早めた。

 その光景を目の当たりにするには、そう時間は掛からなかった。

 二人がその場に到着すると、メリッサに放り投げられたショーンがエステル達を薙ぎ倒した。

 遊び道具を放り投げるようにそうしたメリッサの手を離れたショーンは、射られた矢のような勢いで飛んでいきエステルとカミルに激突した。転げた三人はそこからピクリとも動かない。


「うわ、あれ大丈夫ですかね?」

「どうだろう、あの双剣士は大丈夫でしょうけれど、他の二人が心配ね。あれ?魔術師の娘は?」

「先生、あれ!」


 アドルフが指差した先にあったのは、レジーヌに跨り彼女を陵辱するメリッサの姿だった。







「やめなさい、メリッサ!」


 アオイドスはレジーヌのローブを引き剥がそうとするメリッサに目掛け、牽制の<魔力の矢>を放った。そしてそれはメリッサに届く寸前で弾け魔力の硝煙を残した。アレクシスが一足跳びに駆け寄りそれをエストックで叩き落としたからだ。


「あら、アオイドス。愛しの泥棒猫さん」


 右手に赤黒い光を放った短剣——と云うには無骨なアーティファクトを握ったメリッサは仮面の奥で小さく笑うように、そう云うと「遅かったね」とアレクシスの傍に立った。


「あんまり良い趣味とは思えないわねメリッサ」

「そう? まるで自分が犯されているみたいで嫌? そういうもの? それとも、あなたがこうして欲しかった? てっきりあなたは、攻める方かと思っていたわ」

「やめてメリッサ、耳障りよ。その手のものを渡してちょうだい」

「なんで?」

「あなたには不要なものでしょ?」

「いいえ違うわ。必要なの」

「まだ?」

「惚けないで、アオイドス。私はこれがまだ必要だって知っているだけ。あなたは、違うでしょ?私にはまだこれが必要だったということを見てきているのでしょ?」

「こんな時に言葉遊びはやめてちょうだい。あなたも時間がないはずよ?」

「それはお互いさまでしょ。早くしないと、ほら」


 メリッサは奇妙な仮面をアッシュの方へ向けた。その先ではうつ伏せになり、身動きの取れないアッシュが呻き声をあげ、こちらを狂おしい瞳で見つめた。身体を震わせ——白い湯気のようなものを全身から湧き立たせている。


「アレクシス」


 そう云ったメリッサの傍へアレクシスが近寄ると「ええ」と小さく返した。

 すると彼女の背中からアッシュが湧き立たせるそれに似た紫紺の湯気をゆらりと立ち昇らせる。すぐさまにそれは合羽マントの姿を成すと二人を覆い隠した。


「じゃあね——」


 メリッサの最後の言葉は聞こえなかった。

 誰かの名前を、きっとアオイドスの名を口にしたのだと思ったが、それはアレクシスとメリッサが忽然と姿を消す音に掻き消されたのだった。アオイドスはその様子を静かに眺め、純白の外套を脱ぎレジーヌにかけた。そして、ただレジーヌに一瞥くれただけで何も云わず足早にアドルフの元に向かった。








「アオイドスさん、お願いします」


 メリッサが姿を消すとエステル達五人を押さえ付けた不思議な力は綺麗に消え去っていた。エステルは力から解放されると、身体を摩りながら、通りの端に佇んだアオイドスとアドルフのところへ駆け寄ると礼を云い、矢継ぎ早にそう云ったのだ。

 アオイドスはそれに「どうしたの?」と怪訝な顔で返した。エステルのあまりもの真剣な表情に、それに続く言葉がそこはかとなく予想ができたからだ。

 それもそのはずだ。

 あの奇妙な仮面の女をアオイドスは知っていた。

 交わした会話から旧知の仲なのであろうことは容易に想像できるのだから。


「教えてほしいのです」

「何を?」

「今、リードランで何が起きているのかを。あなたなら全て知っているのではないのですか?」

「何も知らないわ。だって私は神でもなければ——」

「ならなぜ——」


 目を合わせず、そう答え歩き出したアオイドス。

 それに喰らいつくよう後を追うエステルは言葉をかぶせアオイドスの言葉を遮った。

 それは、まともな回答を得られないと分かったからだ。


「ならなぜ、あなたとアドルフさんは何か起きる毎にそこへ居合わせ、そして——」

「そして?」


 言葉を詰まらせたエステルに目を合わせたアオイドスが強く訊ね返す。

「そして——傍観するだけなのですか? 起きていることを知っていて、それが進んでいるのを監視しているように思えるのです」

 ショーンの傍に跪き、彼の傷を癒やし始めたアオイドスにエステルは弱々しく答えた。

「もし私とアドルフ君がただの傍観者、いえ、観測者なのだとしたら、何故あなたを助け魔術師の娘が犯されるのを見過ごさず、今こうして誰かを癒しているの? 観測対象に手を出しては駄目でしょ」


「そ、それは——」


 答えを詰まらせたエステルだったがアオイドスに倣い、ショーンの近くで蹲ったカミルの手当てを始めた。


「話をすげ替えないでください。私が訊きたいのは——」


 向こうではアドルフがアッシュを抱きかかえ治療を始めた。

 アッシュはすっかり元の様子に戻っているようだった。

 エステルはそれに目をやり言葉を続けた。


「私が訊きたいのは、これから先に何が起きるのか? ということなのです。知っているなら教えてください。私は——」


 ありがとうな——そう云ったショーンの傍を離れたアオイドスは吐き捨てるように「アッシュを護りたい? アッシュが大切?」と云った。エステルはそれに慌ててついて行こうとしたのだが、苦悶の表情を浮かべたレジーヌを見ると放っておけなく彼女の治療も始めた。

 どこか冷ややかな一瞥をくれて歩き出したアオイドスの背中が遠ざかっていく。

 エステルはその背中をしばらく眺め「ずるい人」と小さくこぼした。







 メリッサ達が姿を消し、しばらくすると消火にあたった魔術師達がシェブロンズ近辺にも集まってきた。


 夜風に乗って方々から重々しい湿った燃え滓の臭いが漂ってくる。

 空を見上げながら、周囲を見渡す。

 そこらかしこでは、瓦礫が白い糸のような煙を立ち昇らせていた。

 消火に使われた大量の水が、大きな水溜まりを作り、この騒動を生き延びた野良犬が、それの匂いを確かめていた。

 飲めるようなものではないと思ったのか、野良犬は小さく鼻を鳴らしどこかに去っていってしまった。


 レジーヌはそんな惨憺たる光景に目をやりながら通りに佇んだ。まだ火の手が上がる家屋に魔術師達が水を送り消火活動をする。レジーヌはそれに「ここら辺は任せて」とその魔術師達に声をかけた。

 転げた自分の杖を拾い、地面を小突く。

 すると、火の手の上がった家屋の上空に術式が浮かび上がる。目の届く範囲で火の手が上がる家屋全てにそうすると、もう一度地面を小突いた。青くパッと輝いた術式からは大量の水が流れ出し、あっという間に火の手がおさまった。通りを練り歩きながら、火の手を見つけてはそうして回った。


「しかしなんだったのかしら」


 怪訝な顔でレジーヌは呟いた。

 ふと、外套の隠しに手を滑り込ませたが、それが自分のでもなく、アッシュから借りたそれでもないことを思い出したレジーヌは「そうだった」とハッとした表情をした。遠くでアッシュを囲んで集まる一同、そこから少し離れたところに立つ吟遊詩人と野伏の二人に視線をやる。


「この外套、返さなくっちゃ。それにしてもあの二人、どこかで——まさかね」

 レジーヌはメリッサから受けた陵辱はさほど気に留めている感じではなく、どちらかというと、自分に外套を投げてよこしたあの吟遊詩人と、その傍にいる野伏が気になるようだった。その二人にどこか見覚えがあり、そして、その二人は到底このような場所に居るとは思えなかったからだ。それに——あの吟遊詩人は、レジーヌにそっくりだった。


 アッシュがシェブロンズで名前を呼び違えそうになる程にている。

 レジーヌはそれを思い出しながら、粗方周囲の消火を終えると、小走りに一同が集まる方へと足を向けていた。





 大崩壊から始まった一連の災厄。

 クレイトン大災厄を最後にその連鎖は一旦の終わりを見た。しかし、先に緊急招集された世界会議で保留された各国の対応決議が行われる前に引き起こされたこの大災厄は、更なる混乱の種を世界中に撒き散らしたのだった。

 フリンフロン王国は相変わらずの沈黙を続けるのだが、水面下で<月の無い街>が<世界の卵>と七つの獣の関係を追いかけた。その傍<大木様の館>には別命が下りトルステン達はリリーを館へ残し秘密裏に各国へと出向いた。

 

 アークレイリ王国では行方不明のベーン家の長女がクレイトンの大災厄に巻き込まれ命を落としたと情報が錯綜した。

 アークレイリ軍元帥アルベリク・シュナウトス・フォン・ベーンはその真偽を確かめる為、大使館を通じ情報収集を急ぐ傍、フォーセット、ブレイナットへ密使を送りフリンフロンの包囲網を固めようとしたのだった。

 こうして世界中が不穏な空気に包まれた。

 街の酒場のテーブル、家庭の食卓、街の広場、魔術学校、あらゆるところで「戦争」の二文字がチラつき始めた。


 後に様々な文献では、この時期が「黄昏戦役」の隠された火種であったと記された。


 



 

5_Born Slippy (Nuxx) _ Quit

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