スーパーシューター③




 元リードラン解放戦線のハーゼ。

 彼女の父はアークレイリ王国軍、白竜騎士団所属の騎士であった。


 ハーゼが幼い頃のことだ。

 当時、海賊撲滅を掲げた王国軍は積極的に海賊島へ攻勢に出ると大きな戦果をあげ続けた。しかしそれは三十を超える部族の結束を促し、とうとう一大勢力を形成するに至る。

 言わずもがな。海賊島の猛者達は本土への反撃を目論んだ。春も半ば。珍しく北風が吹き荒れたある日であった。多くの船が海賊島を出港すると北風にのった船団はあっという間にレイキャビク運河へ到達すると北海への出入り口を封鎖したのだ。

 これを迎え撃ったアークレイリ軍は吹き荒れた北風に苦戦を強いられた。

 海賊が射かける火矢は風下の王国軍を焼き討ち、軍船は燃え盛ると運河を堰き止めることとなったのだ。この采配を愚策と己を叩いた王国軍が次に駆り出したのは王国騎士団であった。それ以上の海戦が望めないのは海賊も同様。遂に海の猛者達は勢いに任せ陸へあがったわけだが、王国軍はこれを迎え撃とうというわけであった。

 そして、鎮圧に駆り出されたレイキャビクの騎士団は北西の森で海賊共を迎え撃ち、見事に撃退をする。

 ハーゼの父の功績は大きく野営地での主役は彼であった。しかし、その日の夜、森でに助けた女性を陣幕に招き入れ首を掻き斬られた。ハーゼはそのことを何かの間違いだと今でも思っている。父は高潔であったし、ましてや命を救った女性を手籠てごめにするようなことは、家名に誓ってないといって良い。

 

 かぶりを失った冷たい骸が家に帰ると、彼女の母は騎士団へ弁明に向かうが、取り合ってもらえなかった。

 その証言は現場をのは父の上官とその取り巻き数名の騎士であり、報告は正確なものであるというのが門前払いの理由であった。

 それでは、その上官とやらに面会を求め陳情書を握り締めた母はベーン家城館へ押し掛けようとまでしたのだ。しかし、周囲からそれは止められ、その数日後——母は暴漢に襲われた。陵辱の末、一糸纏わぬ姿のまま冬の運河に打ち捨てられた。


 その後、あらぬ不名誉を着せられたハーゼの一家は、レイキャビクの館を国に徴収されると国外追放の処分が下される。一家への極刑を免れたのは、その上官の申し出でがあっての温情だと、まことしやか囁かれハーゼ達はいよいよ騎士団の名誉を踏みにじった一族だという汚名を払拭できぬままに国を追われた。

 その後ハーゼは家を捨て、本名を捨て、ネリウスに拾われると元来の素養もあり魔術を習得。そして——あらゆる汚れ仕事を請け負うようになった。

 それから数年後、父をおとしめた男へ這い寄り何度目かの夜伽の末、首を掻き切った。


(アタシも温情をかけてやるよ。最高の気分で一物いちもつをおっ勃てながら逝けるんだ。それがアタシの温情さ。ありがたく思いな)







 左側頭部へ強い衝撃を感じたハーゼは、これまでの人生が走馬灯のように頭の中を駆け巡ると、これで人生の幕は閉じるのだろうと、そこはかとなく悟った。結局——復讐の為に手を汚してきたのだが、その結末はなのだ。何もかも失い、自身の命もこれで失われる。

 復讐の炎に身を焦がしたところで、不死鳥のように全てが蘇るわけでは無い。そういうことなのだ。不条理も道理もなにもなく、幾重にも重ね合わせた暗く薄汚い情理だけが結末をしたためる。


 つまり、クソッ垂れな人生というわけだ。

 

 その人生の中、唯一見つけた自分と同じ匂い放った男はハーゼの輝きであり羅針盤だった。でも、それも今となっては、自分に覆いかぶさり両腕両脚を押さえつける眼前のイカれた男に頸を落とされた。

 振り払おうとするのだが、この男は、うんともすんともだ。手が塞がれ、お得意の術式も展開ができない。

 青空の一本線を真ん中に背負った男の顔は影になってしまいよく見えなかった。しかし先程までの様子とはからっきし異なる雰囲気を感じる。この男は、自分を追跡しシェブロンズの被害者が可哀想だと叫び、あまつさえ、ぶっ倒れてもなお被害者に謝れだの金を返せだのと青臭い言葉でのたまったのだ。


 それは眩し過ぎるほどの青臭さだった。

 その青臭さは、少なくとも口角から涎を垂れ流し獣のように唸るようなではないことは確かだ。しかし、眼前の男は、あの青臭い男ではあるが、そうではないに豹変した。口角から涎を垂れ流し、黒髪が逆立ち振り乱れ、黒瞳は蛇のように瞳孔が縦に絞られ獣の如く唸り——これではまるで……。







 この揺蕩う感覚は、どこかで味わった感覚のように思う。それがどこでだったかは、ついぞ思い出せない。だが身に染みたのように違和感は感じなかった。

 それはどうだろう、おそらく、きっと<大木様の館>で味わった魔力暴走の渦の中、そこに浮かんだ家財道具のように頼りなく儚く情けない——いや、違う——もっと別のもっともっと別の何かの——無力感だ。


 アッシュはそんな感覚の中、肉体の制御を奪われ黒々と赤々と渦巻くうねりに力無く揺蕩った。

 身体をよこせと云ったは、アッシュの意思には関係なく四肢体躯を駆ったかと思えば、自分のどこにそんな力があったのかと疑いたくなるほどの強靭さで目の前の女を吹き飛ばした。そして、倒れ込んだ女へ飛び掛かった。


 獣のように唸り、眼下で慄く女を見下ろすさまは、まるで屍喰らいのようだったし、さもすれば数百年前に現れたと記録される塚人<蜘蛛男爵>アモニマスのようだ。

 アモニマスは地を這うように素早く蠢くその姿が蜘蛛のような塚人だ。闇夜に紛れ人々を襲いフォーセット王国王都オッターを恐怖のどん底に叩き落とした。女に覆いかぶさる自分はきっと、そのような姿をしているのだろう。


(ちょっと待って! 一体、あなたは誰なのですか?)


 アッシュは、あやふやした世界の中、ただそれだけが知りたく必死に声をあげた。

 しかし、返事はなく赤黒の渦の向こうから、不快な呻き声が聞こえてくるだけなのだ。それは何かに憤り、怒り、妬むようなだ。いや、肌触りと云ってもいいかも知れない。時折、渦の隙間から垣間見える怒りの向こう側は、全くの深淵であり、覗こうとすれば、向こうからは怒りに狂った赤黒い瞳がアッシュを捉え離さない。だから深淵の全貌を見ることも叶わず視線は弾かれ、またあやふやとした感覚の中に揺蕩うこととなる。


 しかし何度かのそんな不毛なやり取りの中、唐突に鈍く深く銅の鐘のような声が語りかけた。


『儂を覗くのはよせ。この壁を超えてくるな。後悔するぞ』

(君は誰なの? 僕の身体を動かしているのは君かい?)

『そうだな。かつてのお前の一部。何かそう云ったものだ。あの忌々しい聖霊共の口添えで、お前は儂に名前を与え、ここに縛りつけた』

(な、なんの話? 聖霊?)

『ああ、そうとも。その反応こそがその代償よ。お前はこの吹けば消し飛ぶような世界を救う為に、全てを失った。愚かな話だ』

(ごめん、さっきから全然話が噛み合っていないようなのだけれども)

『うむ。そもそも儂とお前の関係などというものは、噛み合わない組み木のようなものなのだから。まあ、そう云うな。儂はこれで暫くへ沈むことになる。せいぜい儂を呼び起こさないよう今の自分を大切にすることだ』

 

(だから、君は一体全体——)

『バーナーズ。これが、お前が儂に与えた名だ。ゆめゆめ忘れぬことだ。今はおめおめとお前の命を下賤の輩にくれてやる訳にはいかぬからな、沈む前に、ここは助けてやろうってわけだ。しかしだ、次はないぞ——』







るなら、一思いにやりな——なんだったら、アタシをここで抱いてからにするかい? アタシは全く構わないよ。いい加減、そのよだれで顔を濡らされるのに辟易するんだ。とっとと——」


 顔を背けていたハーゼはそう云うと、唸り続けるがただただ押さえつけてくるだけのアッシュをキッと睨み付け吐き捨てた。すると、どうだろう蛇目のようだったアッシュの瞳孔は、すっかり元通りになると今はぼんやりとハーゼの顔を見つめている。

 そして「うわあああ!」と大声を挙げたアッシュは目をまん丸と見開いた。


「アッシュ! アッシュ!」

「まどう——え? アッシュ!?」


 裏路地の向こうから聴き馴染みの声が自分を呼ぶのに気がついたアッシュは、ありったけの声を張り上げ思い当たる名前を叫んだ。


「エステルさん! レオン! こっちです!」


 それにはハーゼも目を丸くすると小さくため息をつき「一体なんなんだよ。アッシュ? 結局あんたはアッシュ・グラントなのかい?」とアッシュをゆっくりと押し除けた。どうやらハーゼは呆れ返ったのか、逃げる気力も失せその場で座りこむと、握っていた黒鋼の短剣をアッシュの足元に放り投げたのだ。


「返しておくよ」

「ごめんなさい、僕は記憶を失っていて。でも周りの皆は僕をアッシュ・グラントと呼びます。だから、僕はアッシュなのだと今は思っています」

「なんだい、その話は。誰かがそう云えば、自分をそうだと云い切れるのかい?」

「どうでしょうね。でも、それがどんなアッシュかは僕次第ってことですもんね。なんと云っても僕には記憶がないのですから」

「は! 坊主の禅問答かいそりゃ」

 ハーゼは「馬鹿馬鹿しいよ、まったく」と大の字に倒れ込んだ。







「な、な、な、な、な、な——アッシュ! こ、これは、どういう状況なの!?」

 胸元がはだけた寝転がるハーゼの傍で満面の笑みで手を振ったアッシュに駆け寄ったエステルは、卒倒気味に声を震わせた。


「ごめんなさい、どうしてもこの人を捕まえないとと思って、このざまです。心配かけちゃいました。すみません」

「いえ、それはいいの。なんでこの人は。その……服がこんなに乱れているの?」


「え? あ——ごめんなさい」

「ごめんなさい? え? 何に謝っているの?」

「あ、いやその——」

「アタシはその男に襲われたんだよ」


 ハーゼは、ほくそ笑み意地の悪い顔でアッシュへ「なんだい、あんた女が居るならそう云いなよ」と場を掻き乱そうと、頼みもしない一石を投じた。それに動揺をしたエステルは何度もハーゼとアッシュの顔を往復する。記憶をなくす前のアッシュには女の影を感じなかった。ましてや今のアッシュにそれはあり得ないとエステルは、激しくかぶりを振ったのだ。その頃には一足遅れ到着したレオンも合流をし寝転がる女盗賊に杖を向け警戒をしたのだ。

 

「もう逃げる気も失せたんだ。そんなもの向けるんじゃあないよ」

 ハーゼは片手をあげ大きく手を振ってみせると表情を暗くした。失せたというものがハーゼの希望だったのか。まさかこの状況で何かを目論んでいる訳ではなさそうだった。

 「虫のいい話だとは思うのだけれども——」と身体を起こしながら云うと「アタシの連れ。キュルビスの遺体は犬共に喰われないように埋めてやってくれないかい」と寂しそうに、かぶりを垂れた。


「ちょ、ちょっと待ってください——アッシュ、この人を襲ったの? 遺体? なんの話?」

 いよいよエステルは、そばかす顔を赤くしたり青くしたり忙しくそう云うと「ねえ、アッシュ?」と最後にはアッシュに詰め寄る。アッシュを追いかけるレオンと偶然に出会ったエステルは「黒髪の魔導師を見かけなかったか」とレオンに訊ね、そこで行動を共にしたそうだ。だから全くこの状況が把握できなく、ついついアッシュへ何故かの弁明を求めるようだった。


 そしてアッシュは弁明する——弁明するような話でもないが、ハーゼをここまで追い込むまでのことを何故かエステルを気遣いながら説明をしたのだった。——しかし、身体の制御を奪われたことについては、そこはかとなくぼやかした。

 何故かハーゼはそこでは素直に何も云わず、ただエステルへ「あんたが心配するようなことは何もないよ」と付け加えたのだ。


「よかった。本当によかった」

 エステルはそう云うと、ヘナヘナと肩を落とし赤瞳を濡らし「アッシュ。もう一人でどっかいくのは、少なくとも記憶を取り戻すまでは止めてちょうだい」とボロボロのアッシュの顔を優しく撫でつけた。







 裏路地のずっと向こう。

 教会の鐘楼に人影があった。

 その人影は青空に浮かぶ冬の雲を背負いアッシュ達を眺めた。そろそろ西に傾き始める陽を背にした人影は踝を隠すくらいの外套に身を包みフードを目深に被っている。陽の光がそれを黒々とさせたからハーゼの瞳にはその外套の色まではわからなかった。何故だろうかハーゼにはその人影が自分を迎えにきた死神のように感じられた。


 でもそれはそれでよかった。

 復讐の炎に焦がしたこの身。

 眼前で生きていることを喜び、それを分かち合う——きっと想い人同士なのだろう——二人の姿の前では燃え滓の灰のようで、ともすれば二人の熱風に吹き飛ばされそうだ。

 

(アタシもキュルビスのところへ行きたいよ——って焼きが回ったもんだね。これで、本当に真っ当な人間になれるもんかね。あの黒髪。どんな自分かは自分次第だなんて最後の最後で禅問答を寄越しやがって。だったらこうするしかないだろう)ハーゼはそして、空と同じ薄い青色の瞳を鐘楼に向けあの影を映した。


「ねえ、あんたら」

「どうしましたか?」答えたのはレオンだった。

キュルビスと一緒に埋葬してもらっても良いかしら?」


 鐘楼の影が手を振り上げたように見えた。

 胸元あたりで止まった腕はハーゼに向けられているようだ。そして、空の薄い青色よりも少し濃い青い粒子が輝いた。


「え? 何を云って——」アッシュはそれに驚きハーゼへ顔を向けた。

「お願いしますね」

 

 そう云うとハーゼはアッシュの頭を抱え込みながら地面へ伏せさせた。

 何が起きたのかアッシュにはわからなかった。突然視界が真っ暗になり、地面が見えるとエステルとレオンの悲鳴が轟き、そして生暖かい何かがぶちまけられたのだ。

 それはハーゼの鮮血だった。

 ハーゼの頭は何者かに撃ち抜かれ、跡形もなく吹き飛んだのだ。


(ありがとう——いい夢を見させてもらったよ)


 ハーゼは目を瞑った時にそう心で呟いた。

 それは眼前の赤髪へなのか、それとも鐘楼の人影へ投げた言葉なのかはわからない。

 そして——ハーゼの身体が力なく横に倒れると、鐘楼の鐘が空に鳴り響いた。



4_Wonderwall _ Quit

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