赤髪の姫




 嗚呼、そうだとも。

 いつだってヒトの幻想とは、理想と妄想の境界からひっそりと白く冷たい手を伸ばし、甘美な妄執を魅せるのさ。


 そうあるべき。

 そうすれば良い。

 言われた通りにやれば全て上手くいく。


 一見、そのヒトを想い発せられた言の音に感じるけれども、実にそれは無責任なものである。尤もそこには主語がないのだから冷静に訊けば、それは幻想であるとわかるはずなのだ。





 ——大雪像祭 翌日 ダフロイト<アスタロトの足跡通り。



「先生、ご希望通りに仔羊の香草焼き、繁殖管理されている仔羊を頼んでおきましたよ。なんかあれですね、僕らを繁殖管理したりする存在が現れたりするんですかね——きたきた。新鮮なエビをボイルしてもらって、エルダール産の甘い塩を振ってもらいました」


 まだ夕食の時間には早い夕暮れ時だが〈妖精の宿場亭〉の小じんまりとしたホールで、早めの夕食に手をつけ始めた男女の姿があった。

 男は癖のある茶髪をゆらしながらせっせとテーブルに運ばれた料理を整理し、向かいに座る黒髪の純白のローブに身を包んだ女へ矢継ぎ早に言葉をかけていた。


 しかし、男は惚けたように話をするのだが、どことなく表情が暗く、言葉に詰まるようなこともあった。どうも向かいの女に何かを気取られることのないよう、どんどんと言葉を重ね、本音を覆い隠そうとしているようだ。

 そんな男の様子を最初から気がついているとでもいうように、向かいの女は頬杖をついて、他愛のない話を続ける男の目をひたすら追っていた。

 目を合わせようとしない男はというと時折女の表情が気になり、サッとそちらに目をやるのだ。変わらずこちらを捉えようとする視線に重なると、弾かれたように急いで上を見たり下を見たりを繰り返し他愛のない話を重ねていく。男はしまいに一生分の話題を放出したのか、大きくため息をついた。そして「勘弁して下さいよ先生」と顔を真っ赤にしながらエール酒を一気に喉に流し込んだ。


「アドルフ君は相変わらず沈黙に弱いのね。面白い」


 女は鈴の音のような声で、そういうとクスクスと向かいのアドルフに笑ってみせた。

 アドルフは髪をわしゃわしゃと掻きながら、もう一口、酒を流し込んで深々と椅子に座り込んだ。

 二人は暫く食事を楽しみながら冬のダフロイトにお似合いの、ほどよく温まった酒で、しつこい寒気を払った。気分が良くなったのか女は傍らに置かれたケースからリュートを取り出し軽く譜の小節を奏でては、時を忘れて語り、食し、そして呑んだ。

 時間もそこそこ経つと宿の女がテーブルに置かれた小ぶりなランプへ明かりを灯しに回り始める。そろそろ宿泊客がホールに降りてきて夕食をとる時間だ。


 <アスタロトの足跡通り>からもチラホラと今晩の酒盛りにありつこうと酒客達がテーブルに陣取りはじめた。仲居がアドルフ達のテーブルに回ってくると「おや、あんたはたしか吟遊詩人のアオイドスじゃないかい?」とアドルフの向かいの女に声をかけた。


「あら嬉しい。私のことを知っているの?」


「そりゃそうさ! あんたの歌声を知らないのは根暗な穴潜りの魔導師か、本の蟲の魔術師だけだろうさ! 先月は大噴水の前でやってくれたろ? あれは、気紛れでやってくれたのかい? あんたの演奏を聴きたければキーンの雪像祭にいくか、一生分の給金握りしめていかなきゃ聴けないんだろ? どっちにしたって無理な話しだよ!」


 そう云うと、仲居は大声で豪快に笑い飛ばし、アオイドスの肩をバンバンと叩いてみせた。


「先月? ああ、先月というか——そうね大噴水の前で唄ったわね。そうそう多分気分がよかったのよ、今日みたいにね。でも、そんなお金を払わなきゃいけないなんて、演奏会の主に改めさせなきゃ。教えてくれて、ありがとうお母さん」


 アオイドスがそう云うと、樫の木でできたカウンターの向こうから料理長らしき小太りな男がひょっこり顔をだし「さぼってるなよ!」と声を荒げた。

「みなよ、蛸坊主が頭まで真っ赤にしてなんか言ってるよ!」と仲居がさらに笑い声を重ねながら、料理長にやり返しカウンターへ戻っていった。


「豪快なお母さんね」

「そうなんですよ、グレンダさんはいつもあんな感じです」

「そっか、ここはアドルフ君の定宿だもんね」

「はい、定宿すぎて暇そうにホールにふらっと降りていっちゃうと、手伝わされます」

 アドルフは、かぶりを横に振りながら小さく笑って見せた。

「手伝うって?」

「ホールをです——」

 アオイドスはそう答えたアドルフの本当に困った顔をみると、テーブルを軽く叩きながら笑って「アドルフ君ここの息子かなんかになったの?」と、茶化した。


「違いますよ。茶化さないでください」

 酒のせいでそうなのか羞恥心からなのか、はたまたはその両方か、アドルフは頭を掻いて、今度はテーブルの皿に残った最後のエビを口に放り込み気分を変えようとした。しばらく他愛の無い楽しい会話を楽しむ一時が流れると、次第に<妖精の宿場亭>はホールが満員となり流石に熱気を帯びてきた。

 グレンダがアドルフのテーブルから少し離れた別のテーブルに料理を運ぶなか大声で「扉をあけておくれ!」と声を張り上げた。アドルフは軽く手を挙げ、出入り口の鎧戸や壁際の窓を、まるで店の人間のように慣れた手つきで開けて回った。アオイドスはアドルフの姿を眺め「あなた、実はここの子でしょ?」とまた、ケタケタと笑い声をあげた。


 一仕事終えたアドルフがテーブルに戻ってくると吟遊詩人は先程の笑い上戸な様子を一変させ真剣な眼差しでアドルフの向こうに見える出入り口を見つめた。

 <アスタロトの足跡通り>がどうも騒がしかったのだ。

 ガシャガシャと鎧の金属音をならしながら門番を務める戦士達がひっきりなしに宿の前を行き来する。よく聞き取れないが、大声で何かを叫んでいる声も遠くに聞こえてきた。


 おそらくこんな内容だった。


「<宵闇>が目を覚ました! 隊長を呼んできてくれ!」や「ジルハードが瀕死の状態だ!」や「北の棚田が!」など——アドルフは黒い瞳を細め、それに耳をそば立てた。





 ——大雪像祭 翌朝 ダフロイト近隣。


 あの光の柱が昇った後の朝。


 人知れず、そしてすべからく吸血鬼の脅威からダフロイトを救ったランドルフ達一行は軍馬に揺られ北の大門を目指した。

 空にはすっかり暗雲はなく、東が白むその頃には陽の光が木々の隙間から漏れ出し始めた。雨の後、木々や草花の呼吸はこの時期でも変わりなく青々とし、凄惨な現場をすっかりなかったことのように思わせる。


 荷馬車がガラガラガラと音をたて、朝鳥の囀りがその隙間から耳に届く。


 少し先では、一名も欠けることなくあの戦いを生き抜いたダフロイト警備隊員達が、誇らしげに馬を進めている。一睡もしていなく腹が空いているということを除けば、実に良い朝だ。帰路では思う所もあり、ランドルフは後から引かせてきた荷馬車の手綱を自ら握っていた。


 荷台ではエステルが気を失ったアッシュを介抱をした。

 大袈裟に「ふぁあああ」と息を吸い込み周囲に誰も居ないことをランドルフは確認をすると、それに目をやる。

 エステルは、冷や水を温め濡らした布でアッシュの顔や首筋に腕、露わになった肌という肌を拭いて汚れを落とす。その手つきは覚束なかったが懸命で、でもどこか、おままごとのようで、まるで人形の手入れをしているようにも見えた。それはもしかしたらエステルの不器用さなのかも知れないし、本当にそういうやり方しか知らないのかも知れない。跳ねっ返りだの異端児だのと言われてもやっぱり本質はお嬢様で、鳥籠から飛び出したばかりの世間知らずの雛鳥なのだ。


 その証拠に、飛び出したのには訳あってと推し量るが、やっぱり不器用というのか世間知らずというのか、彼女はアムネリスと名乗った。それだってこの容姿と符号するのはエステル・アムネリス・フォン・ベーンだ。身元を隠すのには全く用をなさない。ランドルフ達は一般人ではないのだから。

 どんな理由があるにせよ、このまま彼女を秘密裏に送り出してやりたいとランドルフは思うが、危なっかしい。だから、アムネリスには協力をしてもらう必要があった。


「エステル様、<宵闇>の容態はいかがですか? あまり無理はなさらず。介抱であれば部下に当たらせますゆえ、エステル様も少しお休み下さい。到着まで一眠りできます」

「ありがとうランドルフ。こちらは大丈夫よ。あなただって寝ていないのでしょ? 私は大丈夫だからあなたこそ、ここで横になったら? 馬は私が見てあげるから」


 エステルは自然とランドルフの気遣いに満面の笑みで答えていた。


「エステル様?」

「どうしたのランドルフ?」

「エステル様?」

「だからどうし——」


 ここでエステルはハッとし両手で口を押さえた。

 あの時、アレクシスが姿を消し、最初にアッシュのもとに駆け付けたのはエステルだった。

 死んでしまっているのではないか? すぐさま胸に耳をあてると、トクントクンとする鼓動が確認できた。そして鼻に手をあて息の通りも確認できると、その場でアッシュに覆い被さりぐったりとしたのだ。


 今のところは大丈夫。

 あとは街で他の狩人にこの様子を診てもらえれば安心だ。そう安堵したエステルは、自分が身分を隠してこうしていることがすっかりと頭から抜けてしまったのだった。だから、ランドルフに何度かエステルと呼ばれても素直に返答し、そして、この意地悪な大隊長の怪訝な顔を目にするとハッとそれを想い出したのだった。



「これ以上の詮索はしないと申し上げたのですが、これをそのまま押し隠すには少々無理があると思いまして。隊員の中で勘の良いのは、そろそろ気がついていると思うのです。なので街に着く前で然るべき処置を。いえ、大使館へ報告をしようとは思いません。何か理由がおありなのでしょうから、このまま秘密裏に送り出して差し上げたいと思います。しかし、だとしても隊員の口を塞ぐに足りる理由、大義名分をいただけないかと」



 口を両手で押さえ、エステルの驚きにまんまるとした目、その表情があまりにも可愛くランドルフは微笑みながらそう云った。


 エステルに協力をしたいと気持ちは本心だった。

 どこか妹の姿を重ねているところもあり、親身になったというのもある。きっとその妹は帰路のどこかで首を跳ねられ転がっているのだろうが。自分で刃にかけた覚えはない。だとしたら隊員の誰かがそうしてくれているはずだが、自分で介錯してやれなかったことに後悔が残る。


 きっとそれは一生付き纏うのだ。

 だからなのか赤髪の姫に協力をすることで、後悔の念を紛らわそうとしているのだろう。

 大義名分か——随分ともっともらしいこというものだな。

 ランドルフは我ながらにそう思うと、胸をチクリと刺す痛みを覚えた。


「そうですか——申し出ありがとうランドルフ。あ、このままそう呼ばせてもらっても?」

「はい、勿論」

「ありがとう、ランドルフ。そうですね、私が家を出たのは大した理由ではないのですよ。だから大義名分とするにはきっと不十分です。それでも聞いて頂けますか?」


「ええ、勿論です。家を飛び出した理由が、大した理由ではないというのはきっとそれを思うのは他人だけ。ご本人にとってそれは、大した理由だったのでしょ? そうでなければ出奔する理由にはなりませんから」


 だから聞くに値するのだと暗に云うランドルフの言葉に、エステルは小さく、なるほどと伝え、そして自身の身の回りのことを可能な範囲でランドルフに話をした。終始その話に相槌を打つランドルフは時折、私見を延べたり、質問を挟んだり、「それは聞かなかったことにしましょう」などと、エステルの口から漏れた長兄や次兄への愚痴に補足をつけ基本的には聞き役に徹していた。





「それで、アッシュとは旧知の仲ではなかったのですね」

「はい。でも砦で命を救われて思ったのです。逃げ回るだけでは何も変わらないって。アッシュの彼自身の強さもそうですが、それよりも、なんというのか、彼の力強さに心を打たれたのだと思います。それは短い時間の中でのことでした。でも世間知らずの私を打ち据えるには十分な時間でした」

「なるほど。それで今は彼を助けようと」

「ええ、なんでしょうねこの気持ちは。でも今はそうです。彼に報いようと」

「わかりますよ、アムネリス」

「アハハ、良いですよエステルと呼んで頂いて。皆ももう気づいているのでしょ?」

「そうですね。ではエステル様」

「エステルとここでは呼び捨てて頂いて構いません」

「はい、それではエステル。私は小家の生まれで、大家がどういうものかは想像もつきません。でも、あなたがあなたの生きる道を見出したというのであれば、きっとその道を行くのが良いと思います。しかし、きっと縛られている方が楽な時もあると思うのです。その時に後悔をなさらないよう、しっかりと自分の手綱を握っていてください。そうでないと、私のように後悔に塗れた人生を送ることになってしまいます」

「妹さんのことですか?」

「ええ、なんであの時、殺してやれなかったのかと——ああ、すみませんこれは難しい話ですよね。私が妹を斬れなかった理由と、妹が殺してくれと云った理由、互いに本質は同じ理由、つまり自分の手綱を握れなかったということだと思うのです。嗚呼、すみません困らせるようなことを。申し訳ございません」

「いいえ、謝られるようなことは何も。家族とはきっとそういうものなのでしょう?」

「そうかも知れませんね——もう街も近いですね。入る前に箝口令をしいておきます」


 ランドルフは指笛を鳴らし隊員を呼び寄せると荷馬車の御者を交代すると「アムネリス。あなたの事情はよく理解しました。教会相手に良く奮迅されました。でももう安心して下さい。あなたの身の潔白はダフロイトにおいては私が保証しましょう——」そう、大袈裟に、交代をする隊員へ聞こえるようエステルに伝えた。

 どうやらエステルの素性は生臭坊主に追われるアムネリスという線でいくようだ。ランドルフは一礼をすると手綱を引き、軍馬を颯爽と走らせ隊列に声をかけて回ったのだった。


「素敵な隊長さんですね」

「はい!」御者を交代した隊員が眠そうな顔だったが嬉しそうに応じた。

「もし時間があればですが——いえ、すみませんなんでもないです」


 時間があれば——

 ランドルフの妹の遺体を探してやってくれと云うつもりだったが、それはやめた。野犬や狼に食べられてしまう前に自分でもう一度この地に立ち、自分の手でそうしようと思ったのだ。



 2_To Be with You _ Quit



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