旅立ちの日に

「本当にもう大丈夫ですか?」

「ええ。お世話になりました、ヒルダさん」

「忘れ物はありませんか?」

「大丈夫です」

「ハンカチとティッシュは持ってますか?出発の前にトイレには行きましたか?それから……」

「ええ加減にせえ」


 矢継ぎ早に質問を浴びせるヒルダさんの頭を、アインス殿は杖でポカリと小突いた。


「だって、ツヴァイ君がまた旅立ってしまうのですよ!?母として心配するのは当然ではありませんか!」

「限度と言うものがあるじゃろう」

「いいえ!息子の安全を祈る母の気持ちに限度などありません!」

「常識の話をしとるんじゃ!」


 館の前に立つ俺達を尻目に、アインス殿とヒルダさんは本日何度目かになるかもわからない口論を始めた。

 アインス殿から新たな力・白騎士ヴァイスリッターを受け取ってから数日。俺達は彼らの世話になり、傷を癒した。そして、体力が完全に回復した今日。遂にこの館を後にすると決めたのだ。


「もう少しゆっくり休んでもいいのですよ?」


 ヒルダさんは俺達の身を案じ、何度もそう言ってくれた。だが、ここの居心地の良さは俺の決心を鈍らせる。だから、体が治ったと同時にここを出ていくと彼らに告げたのだった。


「大体アインス様は勝手過ぎます!私に内緒でツヴァイ君と戦うなど……」

「だって言ったらお前、止めたじゃろ?」

「当たり前です!!」

「あ、あのー。ヒルダさん?俺達そろそろ……」


 ヒルダさんの顔が、パッと切り替わる。


「あら?私ったらごめんなさい」


 そしていつもの慈愛に満ちた表情に戻ると、仲間たちの手を一人一人握っていった。


「カタリナちゃん。いつでも遊びにきてね。また一緒にお料理しましょう」

「はい!お義母かあ様のお料理、大変勉強になりました!」

(お義母……?)

「ミアちゃんも体を冷やさないように気を付けてね?これからどんどん寒くなるから」

「うん。ありがとう、ママ」

(ママ……?)

「ラウロンちゃん、お酒もほどほどにね?健康が第一なんですから」

「ははは!お母上には敵いませんな」

(お母上……?)


 三者三様の呼称に俺が戸惑っていると、ヒルダさんが真剣な顔でイツキの方を見た。


「皆さんからお話は聞きました。あの子を……ツヴァイ君をあなたが助けてくれたのですね?本当に……、本当にありがとうございました」


 ヒルダさんはそう言うと、深々と頭を下げる。その姿に、珍しく慌てた様子のイツキは両手をブンブンと振って顔を赤くした。


「い、いやいや!むしろ彼には助けられているというか、守ってもらっているというか……。ですから、うーん。あの、うまく言えないですけど……。人間のアタシ達が魔族のツヴァイと仲良くできてるのって、やっぱり育ってきた環境のおかげだと思うんです。だから、その。……アイツを育ててくれてありがとうございます」


 今度はイツキが頭を下げる。しかし、なんだ?このむず痒い気持ちは。

 以前魔王軍にて行われた意識調査アンケートで、俺の結果は散々なものだった。つまり、褒められ慣れていないのだ。それ故、こうも手放しに褒められると、嬉しさよりも羞恥心が先にきてしまう。

 謎の羞恥心から逃れるように、互いに頭を下げる二人から少し距離をとる。そして俺はぼんやりとその様子を眺めていた。


「ツヴァイや」


 気が付くと、アインス殿が隣に立っていた。


「本当に旅立つんじゃな」

「はい」

「そうか。じゃがこれから先、もっと強大な敵が主を待ち受けるじゃろう。特に危険なのが……」

「最後の四天王、フィーアですか?」

「うむ。魔王軍きっての狂戦士『古今無双』のフィーア。彼女の力は四天王の中でも飛び抜けておる。いくら勇者と言えども勝てるかどうか」

「大丈夫です、俺が守ります。だってあなたに、もっと強くなると宣言しましたから」

「……そうか。なら一つ約束じゃ」

「なんでしょう?」


 アインス殿は俺に向かって拳を突きだした。


「無事に帰ってこい、絶対に。旅ってのはウチに帰るまでが旅じゃからの」

「はい!約束します!」


 そう言うと、俺はアインス殿の小さな握り拳に自らの拳を突き合わせた。


「さーて、これからどうする?」


 アインス殿の館を出て数刻。俺達は見晴らしのいい丘で、ヒルダさんの作ってくれた弁当を広げていた。


「現在ツヴァイ殿の地の鍵、ドライ殿の風の鍵、アインス殿の水の鍵が我らの手元にあるわけですが」

「なら簡単じゃない。次に目指すは最後の四天王!ソイツから鍵を奪えば魔王城は目前よ!」

「で、でもその人ってどこにいるんでしょう?」

「カタリナ殿の言う通りですぞ。何か当てがあるんでしょうな?」

「それは!……ないけど」


 ガクリと肩を落としたラウロン。そんな彼の脇から顔を出すと、俺は丘の遥か向こうに見える山々を指差した。


「あそこの火山地帯。四天王・フィーアは基本的にあそこを根城にしているハズだ」

「なによ、ツヴァイ。アンタ知ってたなら早く言いなさいよ」

「お前が勝手に盛り上がっていただけだろう」

「くっ……。ま、いいわ。じゃあさっさとあの火山地帯までいってそのフィーアとかいうやつをぶっ飛ばせばいいのよね?」


 その瞬間。小動物のように弁当を頬張っていたミアが飛び上がると、俺にしがみついてきた。


「ね、ねえご主人?あのフィーア様と戦うの?本当に大丈夫?」


 カタカタと震えるミアの頭を撫でると、俺はできる限りの優しい声をだす。


「大丈夫だミア。俺達も日々強くなっている。恐れることはないさ」

「なに?そのフィーアとかいうの、そんなに強いの?」

「ああ、強い。単体の戦闘力なら、間違いなく四天王最強だろう。だがそれ以上に、アイツはめんどくさいんだ」

「めんどくさい?」

「ああ。なんと言うか……。ま、会えばわかるさ」

「何よそれ?余計気になるじゃない……。まあいいわ。じゃ、次の目的地はあの火山地帯ってことで!はい、決定!」


 叫ぶやいなや、イツキはミアに負けじとヒルダさん特製弁当を口いっぱいに掻き込むのだった。


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