第69話 シスターの問い

【ドンレミ村のジャンヌ】


 いつものように私が教会へ行くとシモン司祭の横に修道女が立っていた。


乙女ジャンヌジャンヌ・ラ・ピュセル、君にお客さんだよ。トゥールのベネディクト修道院からいらっしゃったシスターモンテギュだ」


 シモン司祭から紹介された修道女は、私を見るとニッコリと微笑んだ。大きな青い瞳がキラキラと光を放っている。整った目鼻立ちに健康そうな肌色が修道女とは思えない華やかさをまとっていた。白い頭巾の上から黒いベールを被り同じく黒のローブを身に付けている。


「私に……ですか?」


 修道女が私に何の用事だろう、全く思い当たらない。――その時だった、私は神様の声を思い出した。


「やがて西方から旅人がやって来ます。その旅人と協力して使命を果たすために必要なものを手に入れるのです」


 まさか、この修道女が西方からの旅人なのか? 確かめなければならない。


「やっとお会いできましたね、乙女ジャンヌジャンヌ・ラ・ピュセル。私はモンテギュと申します」


「ようこそおいでくださいました。シスターモンテギュ」


 シスターモンテギュに笑いかけるがぎこちなくなってしまった。


「立ち話も何ですからこちらへどうぞ」


 シモン司祭がモンテギュを応接室へ案内するので私もついていく。こんな時、神様の声が聞こえてこの修道女こそお告げの旅人であると教えてくだされば良いのだが、何も聞こえてはこない。学んだ知識を利用して確かめるしかない。


 モンテギュと私は机を挟んで向かい合って座った。シスターの表情は穏やかで落ち着いているように見えた。


「司祭様、もしよろしければ乙女ジャンヌジャンヌ・ラ・ピュセルとふたりで話をさせて頂けないでしょうか?」


 モンテギュはシモン司祭の方に向き直ると穏やかな調子のままそう告げた。


「大丈夫かい? ジャンヌ」


 司祭様の問いに私はうなずいた。


「では、私は席を外しますので終わったらお声がけください、シスター」


 司祭様は私に目で合図をしてから部屋を出て行った。


「あなたは神様の声を聞くことができるそうですね?」


「はい、その通りです。シスターモンテギュ」


 モンテギュは青い瞳をまっすぐにこちらに向けている。私の答えを聞いて嬉しそうに微笑んだ。


「神様は何とおっしゃったのですか?」


「フランスを救うようにと。イングランド軍を駆逐せよとおっしゃいました」


 一方的に質問に答えるだけではだめだ。こちらからも何か聞かねば、そう思い口を開く。


「シスターモンテギュは、フランスを救うのに何が必要だと思われますか?」


 やや唐突に思える問いだと思ったが、反応を確かめたかった。


 シスターモンテギュは黙ったまま、少し首を傾げた。どう答えるのか考えているようだった。


「ひとりで出来ることは限られています。まずはあなたを支え協力してくれる人を集めなければなりませんね」


 それは私も感じていたことだった。今やっていることは文字を学んだり、本を読んで知識をつけたりと自分自身の能力を高めることばかりだ。いかに個人の能力が高くても数の力にはかなわない。それに自分の不得意なことをサポートしてくれる優秀な人材が必要だ。


「シモン司祭や、ドンレミ村の人々が私を応援してくれています。私に付き従ってくれる人もきっと現れるでしょう」


 あえて楽観的な答えを返した。カエサル様ならこんな時なんと答えるだろう?


『カエサルのために働くのではない、ローマのために働けるのだ。我が旗のもとに大勢が集まるだろう』


 こんな風にカッコよく言えればいいのだが、私のキャラではないと思う。


「乙女ジャンヌ、私はあなたの本当の望みを叶える方法を知っているのです」


 シスターモンテギュが声のトーンを落として言った。


「私の本当の望み?」


 シスターモンテギュの青い瞳が怪しい光を放ち始めた。私の望みはシャルル王をお助けしてフランスを救うことだ。それ以外にはありえない。やはりこの女は怪しい。


「あなたは疑問を感じているのではないですか?」


 シスターの声は柔らかく包み込むようだった。


「あなたは文字がお読みになられると伺いました。たくさんの書物もお読みになられたことでしょう」


 私が文字を読めることをなぜ知っている? 書物のことまで知っているのか? まさかシモン司祭から聞いたのか? 様々な疑問と不安が浮かび上がって言葉を失う。


「どうして文字を読めるものと読めないものがいるのでしょう? どうして富めるものと貧しいものがいるのでしょう?」


 シスターの視線は私には向けられていなかった。何もない空間をぼんやり眺めているようだった。


「あなたが本当に救うべきなのは、フランスの王でしょうか? 本当に憎むべきはイングランドでしょうか?」


 このシスターはいったい何を言いたいのだ? 不安はどんどん大きくなっていく。混乱する頭を絞って何とか言葉を発する。


「シスターモンテギュ、失礼ですが……あなたは神様にお仕えされているのですよね?ただ神様の声に従い疑問を持つことなく日々自分のやるべきことをやる、それが正しい行いではありませんか?」


 シスターの口の端がわずかに歪んだように思えた。私の失礼な問いにイラだっているのだろうか?


「かつてこの地はローマ帝国の一部でした。ローマ帝国の領土が最も大きくなった時の皇帝をご存知ですか?」


「トラヤヌス帝の時です」


「そうです、トラヤヌス帝の時にローマの領土は地中海全域、ブリタニア、ガリア、エジプト、シリア、メソポタミア、イスパニアまでに及びました。そしてそのことによってローマによる平和パクス・ロマーナが実現されたのです」


 シスターの青い瞳は再び空を眺めうっとりとしているようだった。

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