第99レポート 大森林探検隊【森奥に怪蛇魔蜂を見た!】

森の中でありながら、案外気持ちよく寝られた翌朝。

手早く天幕を片付け、パンを一切れ齧り、三人と一匹は大木の下を出発した。


今日は川を越え、北上して湖へと向かう。

昨日よりもずっと大変な道のりになる事は想像にかたくない。

ジルも昨日のような勢い任せの行動は慎み、周囲に気を配りながら歩を進めている。


「・・・・・・何か、妙っすね。」


ラティナは周囲を見回して気配を探りながら、ぽつりと言った。


「ん?どしたのラティナちゃん。」


眉間に皺を寄せるラティナを不思議そうに見ながらジルは声をかける。

歩みは止めず、藪を切り払いながらラティナは答えた。


「魔獣がいないっす。」

「安全なんだから、いい事じゃない。」


ベルの率直な意見に対してラティナは首を振った。


「違うっす。いなさすぎるっす。気配すら無いのは異常っす。」


そう言われてジルは気付いた。


ここは森の中。

生物は沢山いるはずだ。


だが、鳥の鳴き声が聞こえない。

魔獣の咆哮も、虫のも、聞こえない。

耳に入ってくるのは風に撫でられた枝葉の音と遠くで流れる水の音だけだ。


生物の音がしない。


本来あり得ない空白。

その違和感を認識した途端、ぞわり、と悪寒が背中を走り抜けた。


「そう言われると、なんだか怖くなってきた。」

「警戒はした方がよさそうっすね。」


風が吹き、ざざっ、と枝葉が、藪が騒ぐ。


「二人とも気を付けるっす。」


ラティナはジルとベルに声をかける。

だが返事がない。


わんっ、とマカミが吠えた。


「・・・・・・・・・・・・ジル?ベル?」


振り向いたラティナの前には自らが作った道と森の木々が見えるだけ。

マカミがいなくなった主人を探して、足元をうろうろと彷徨さまよっていた。




それは突然の、一瞬の事だった。

木々の合間から何者かがベルの胸に飛び込んできたのだ。


不意の出来事に踏ん張る事も出来ずにベルは体勢を崩した。

右側からの衝撃に身体が左に傾く。


あ、と一言短く声を発するのが限界だった。

藪の中へと身体がまれていく。


すぐ前を歩いていたジルがその短い声に気付いて振り向いた。

藪に身体の左半分を呑まれたベルの姿がそこにあった。


咄嗟に彼女の右手を掴む。

だが、踏ん張ることが出来ずにジルもまた藪に呑まれてしまった。


歩いている内は気付かなかったが、藪の向こう側は急な坂になっていた。

ジルとベルは抱き合うような姿勢でごろごろと転がり落ちる。

木に身体を打ち、藪で肌を切りながらかなりの距離を進んでいく。


暫く世界が回転した後、それが止まった。

坂を下り終えて平地に至ったのだ。


体中の痛みに耐えながら二人はよろよろと立ち上がる。


「ベルちゃん、大丈夫?」

「え、ええ、なんとかね。」


幸いにしてお互い行動不能になるほどの重篤な怪我はしていなかった。

それに安堵しながら視線はベルの胸にしがみ付く、この出来事の原因に向かう。


黄金の毛を持つ細長いいたちのような魔獣がそこにいた。

まるで何かに怯えるかのように顔をベルの胸に擦り付け、体を震わせている。


「離れてくれないわね・・・・・・。」

「この子、なんでぶつかってきたんだろう?それに何だか怯えてるような?」


体を掴んで引き離そうとするも離れようとしない。

力ずくではぎ取ったら服の方が負けてしまうだろう。

二人は顔を見合わせる。


その時だった。


二人の頭上の枝葉が粉微塵に切り裂かれ、舞い散ったのだ。

自然ではあり得ない事象にジルとベルは身構える。


低い音を立てて空気を震わせながら飛ぶ、二人の身体よりも巨大な蜂がそこにいた。


黄色の体に黒斑くろまだら

獲物を容易にかみ砕く巨大な顎にカマキリのような前脚が攻撃性を示す。


太い腹部とその先端から見え隠れするジルの腕以上に巨大で鋭い針。

薄い六枚のはねが高速で動き、その巨体を空中で静止させていた。


昨日寝る前にラティナから危険な存在として説明された蜂の魔獣。

蜜集め ―ネクタニール― だ。


その名は蜜を集める存在を表す。

しかし、集めるのは花の蜜ではない。


集めるのは他者の肉だ。

それを自身の消化液でどろどろに溶かし、巣に貯める。

彼らの集める蜜は大体の場合、赤黒い。


そして彼らにとって、自身の縄張りに入った相手はその全てが獲物である。

鳥も虫も魔獣も、勿論人間も。


そんな存在が二人の前にいた。

顎をガチガチと鳴らして威嚇しながら。

その姿は増えた獲物に喜んでいるかのようだった。


蜜集めネクタニール!?この辺にはいないはずじゃ!?」

「目の前にいるんだからいるんでしょ!!」


ジルの疑問をベルが事実で打ち消す。

そして、すぐに対処に移った。


「我、氷蒼ひょうそうを呼ぶ、て風を束ね、穿うがて。」


黒熱火球シュバルメフォイゲルとは異なる詠唱。


森の中で黒熱火球を放てば、自身も炎に巻かれる可能性がある。

そう判断したベルは攻撃手段を変えたのだ。


右腕を伸ばして手のひらを広げて蜜集めに向け、魔力を集中させる。

暑くすらある森の大気とは異なる、零下れいかの風が集まっていく。


「氷銀凍閃 ―リオレントラール― !!!」


声と共に、零下の大気を更に下回る極冷きょくれいの光線が放たれた。


避ける間もない程の速度で撃たれた光線は蜜集めの胴体を貫く。

ばきばきと音を立てて生物が内部から凍り、地面へと落下して粉々に砕け散った。


「おお!凄い!」

「ふふん、燃やすだけが能じゃ無いのよ!」


ジルの驚きの声を受けて、ベルは得意げに胸を張った。


修練を積んで黒熱火球以外の魔法も会得えとくしたのだ。


言葉にすれば短いが簡単な事では無い。

彼女の地道な努力が結実けつじつした物である。

その威力は努力に比例し、危険な蜜集めをほふるに十分な威力を備えていた。


だが。


「うえっ!?」


胸を張って上を見たベルの目に驚愕の光景が映る。

先程倒したものと同程度の大きさの蜜集めが三体、高速で向かってきていた。


氷銀凍閃リオレントラールはその性質上、複数相手には向かない魔法だ。

この状況は非常に分が悪い。


つまり。


「逃げるわよ!!!」

「うわぁぁっ!!!」


三十六計さんじゅうろっけい逃げるにかず。

二人は脱兎のごとく逃げ出した。


しかし、その行く手にはジル達の背丈と同じ程に巨大な木の根が横たわっている。


「ああもう、邪魔っ!」

「言っててもしょうがないよ!乗り越えよう!」


ジルが先に登り、根の上部の突起に手をかけベルを引き上げる。

胸にしがみ付いている鼬を落とさないように気を付けながらベルは根をよじ登った。


その時、動かないはずの木の根が、ずずず、と動く。


「「へ?」」


二人の出した声が重なった。

木の根の先端が頭をもたげる。


いや、違う。


ジル達が乗ったのは木の根などでは無かった。

大きな、あまりにも巨大な蛇だ。


全長はジルの背丈の二十倍近くあるだろうか。

木の根に似たふしくれ立った焦げ茶の体には山が連なるように突起がそびえていた。


巨体を巧みに動かし、木々の間を縫いながら獲物を呑みこむ。

ユーテリスの森を這う悪夢の山脈。


山脈蛇 ―モンドゥラルエンテ― が目を覚ました。


その目は、自らの体に断りなく乗った獲物を見ている。

血の様に赤黒く長い舌が、口からチロリと一瞬顔を見せた。


ジルとベルは言葉を発さずとも意思を通じ合わせ、入山した反対側へ飛び降りる。

そして、一目散に駆け出した。


背後で巨大な質量が動く音がする。

だが、もう後ろを見る余裕などありはしない。


「わあぁぁぁっ!」

「ぎゃあぁぁっ!」


二人の叫びが森に木霊した。




二人が坂を転がり落ちた後。

ラティナは一瞬、理解が追い付かずに固まった。


しかし、すぐに不測の事態が発生した事を理解する。


上を見る。

飛行する魔獣や木の上に生息する魔獣に連れ去られたわけではなさそうだ。


二人がいたはずの場所を見る。

藪を何かが通った破壊痕があった。

二人がここを抜けた事が分かる。


だが、その先は急な坂になっており、森の暗さもあって下が見えない。

二人の無事を確かめるために大声で呼びかけようと考え、深く息を吸う。


「ジ――――――」


発する瞬間にそれに気付いて言葉を呑み込んだ。

振動音にも似た大きな翅音はおとを響かせながら寄ってきた五体の蜜集めだ。


歩いて来た道を三体に塞がれる。

自身の左右で移動する翅音が聞こえた。

道の前後を塞いで獲物を狩るつもりだ。


「そうはさせないっすよ。」


三体の蜜集めを睨みながら、足元のマカミを抱き上げた。

服の首元を開けてマカミを放り込む。

胸を足場にマカミは顔だけを服から出している状態となった。


右の機械手甲から鎌を取り出す。

左手でそれを引っ張り、じゃらり、と音を立てながら鎖を引き出した。

十分に長さを確保した鎌を右手に持ち直す。


猛然と突撃してくる三体の蜜集め。

ラティナは振り返るのと同時に鎌を全力で投げ飛ばす。


自身から遥かに頭上にある木の枝に鎌が掛かった。

魔力を込めて巻上機を駆動させ、一気に鎖を巻き取る。

ラティナの身体が勢いよく宙へと射出された。


突っ込んできた三体の蜜集めの鎌は空を切る。

対するラティナは弓から放たれた矢の如く、真っすぐに空へ向かって飛んで行った。

鎖を掴んで振り、枝に掛かっていた鎌を取り外す。


勢いはそのままに木よりも高く、ラティナは宙に舞った。

青く澄み切った空と遠くに霞む山脈、眼下の緑の絨毯が実に絶景である。


しかし、感慨にふけっている場合ではない。

先程の三体と共に背後を取ろうとしていた蜜集めの一体が追ってきているのだ。


空中を自由自在に飛行する蜂の魔獣の蜜集め。

地を歩く事しか出来ない人間のラティナ。


空中での戦いでどちらに分があるかは火を見るよりも明らかである。


「と、思ってるんすかね?」


空中で振り返り、下方から迫りくる蜜集めに向き直る。

先程、自らを引き上げた鎖がその横にじゃらじゃらと音を立てながら伸びていた。


回収忘れだろうか。

否、そのような事があるわけが無い。


垂れた鎖を右手で掴む。

腕を真っすぐに蜜集めに伸ばした。


大きく反時計回りに円を描くように、円の中に蜜集めを閉じこめる様に腕を振る。

十二時から時を遡り、零時へと。


腕が零時を指した瞬間に巻上機を全力で作動させた。

けたたましい音と共に鎖が猛烈な勢いで巻き戻る。


円を描かれた鎖は渦を巻く。

先端に付いたが空中で暴れた。

巻き取られる過程で暴れたそれが蜜集めの首に襲い掛かる。

その姿は、獲物に巻き付く蛇のようだった。


豪快かつ繊細な操作によって鎌が蜜集めの首に食い込み、鎖が何重にも巻き付いた。


「くたばれ、っす。」


片手で持っていた鎖を両手で握り、肩に担いで振り返り、空へと腕を振り抜く。

それと同時に巻上機を駆動させた。


巻き取られる鎖の勢いにかれ、先程のラティナの様に蜜集めが空に射出される。

だがそれでは終わらない。


ラティナは身体を大きく使って鎖を真横に引いた。

ぐるり、と蜜集めの体が錐揉きりもみ回転する。

巻上機の威力によってそれが加速し、そして。


ばつん、と太い弾力のある物が断ち切れる音がする。

錐揉み回転を続ける体を残して蜜集めの首が青空に舞った。


だが、終わりではない。


背後を取ろうとしていた蜜集めはもう一体。

そして先程正面から向かってきた三体。

まだ四体残っているのだ。


背後を取ろうとしていた残りの一体が猛然と下方から向かってくる。

だが、ラティナは慌てない。


目の前に武器があるのだ。

鎌の事では無い。

ようやく錐揉み回転を終えようとしているだ。


全身を使って遮るものが無い宙で前転する。

両腕を自身の上方に目一杯伸ばして振り下ろした。


鎖で繋がった鎌が少し遅れて腕と同じ軌道を描く。

ずどっ、と二つの鎌が首を失った蜜集めの体に突き刺さった。

それを確認し、ラティナは下方から迫る蜜集めに向き直る。


腕をそれに向かって振り抜く。

そして巻上機を全力で動かした。


鎖によって牽かれた物体が風を切り、弾丸の如く目標に突撃する。

ほぼ同質量の物体が二つ、空中で衝突して粉砕された。

緑色の体液を宙にぶち撒けながら、蜜集めだった物体は墜落していく。


その残骸の更に下方から残る三体が突っ込んでくる。

数が多かろうとラティナの優勢は決して揺るがない。


未だ空中にある身体を反時計回りに一周、横回転させる。

右手で鎖を掴み、回転の勢いを載せて横に振った。


遠心力を得て重量以上の威力を持った鎌が蜜集めの一体に襲い掛かる。

破裂音にも似た衝撃音と共に、蜜集めの体に横から鎌が突き刺さった。


次は左だ。


左手で鎖を掴み、肘を中心にしてくるくると回す。

ぶおん、ぶおん、と風を切る音と共に鎖が回った。

数回、円を描いた後に大きく腕を振り下ろす。


発砲音かと思うほどに乾いた衝撃音が空に響く。

鎌は正確に蜜集めの眉間に突き刺さっていた。


両の鎌が二体の蜜集めを仕留めた。

だが、蜜集めはもう一体存在する。


飛ぶ力を失い、重力に従って堕ちていこうとする二体の間からそれが突撃してくる。

蜜集めは翅を力強く動かし、両の鎌を振り上げた。


ラティナは左右の腕を自身の前で交差させる。

しかし、それは防御の為ではない。


蜜集めに向かって水平に伸ばした両腕をそのまま交差させたのだ。


「甘いっすね。」


交差させた状態で巻上機を駆動させる。


二本の鎖は蜜集めに巻き付く事は無い。

その先に付いた鎌は他の二体に食い込み、目標物を斬り払う事は出来ない。


だが、鎌よりも重い二つのが牽引されているのだ。


ラティナに迫る蜜集めよりも更に速く、その後方から二つのついが目標を砕く。

三体の残骸がラティナの眼前を通り過ぎ、綺麗な青の画布キャンバスに撒き散らされた。


程よい枝に鎌を投げて掛け、難なくラティナは樹上にまった。


「さて、ジル達をどう探すっすかね・・・・・・。」


胸元のマカミに相談するようにラティナは独りちたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る