第66レポート きたれ!岳蝙蝠!

「ざぶ、ざぶぶぶぶ、ざぶーーーーいっ!!」


ガタガタと身体を震わせてジルは咆哮する。

以前レント王国へ行った時以上の重装備だが、それでも寒さが勝つ。


高い山々の間を吹き抜ける風は暴風となって体温を奪う。

先へ進むにつれて極北に近づき、更に気温が下がっていく。


ここはダルナトリア。

龍の国。


中央大陸北方全域を治める大国家であるが外界に興味は無い。

他国も龍の神に戦いを挑む利点も無く、千年の平和を謳歌する平和国家である。


ブルエンシア北門を出て少し歩くと申し訳程度の関所があった。

ほんの数名だけ龍人の兵士が見張りをしている。


入国のための手続きなどは無く、軽く挨拶するだけで関所の通過を許可された。


関所の時点で多少気温が下がっている。


だが彼らは薄着。

袴と着物の上着を半袖にしたものに身を包み、鎧も胸当てだけだ。

ノグリスもそうであるが、龍人は人間と比べると強靭な肉体を持つ。


それこそ極寒の極北にあっても普段着で生活出来る程に。


彼らの着物はアマツ皇国と似通っているが、文化的繋がりがあるのかもしれない。


関所を超えて山岳地帯に入った。

山々の間を縫うように走る、荷馬車が二台ギリギリすれ違える程度の道を進む。

こんな道だがダルナトリアに入る主要な道の一つだ。


ダルナトリアは帝国、ブルエンシア、ユーテリスと国境を接している。

帝国からの道を除けば山岳地帯の谷を行く、糸のような道しかない。

帝国方面も最初の町を過ぎてしまえば同様である。


ジル達が歩くこの道は、いくつかの町を繋いでダルナトリアの首都に繋がる。

その町の名はニクシュバール。


この道は細くとも龍の神の膝元に繋がる、とても重要な道なのだ。


「うっわぁ、落ちたら絶対ただじゃすまないなぁ・・・・・・。」


崖下を覗き込み、寒さ以上に肝が冷えてジルは身震いする。


「あまり道の端に行かない方が良い、崩れるぞ。」

「え!それは怖い!!」


ノグリスの言葉に跳ぶように道の真ん中へ戻った。

今日は北へと二人旅だ。

目的地はもう少し先である。


「ダルナトリアって本当に凄い所だよねぇ、山の中って言うか。」

「まあ、龍人は飛べるからな。町同士は離れているが道で繋がる必要が薄い。」

「そういえばそっか。」

「寒さにも強いからどこにでも住めるしな。」

「それは凄いなぁ。」


重武装のジルと異なり、ノグリスはいつも通りの軽装である。

龍人は強靭だな、とジルはつくづく思うのであった。


「目的地まであとどれ位?」

「もうそろそろ到着するはずだ。まあ、到着した後が大変なのだが・・・・・・。」


行き先に続く岩の壁を見ながら、ノグリスは言う。

向かうは切り立った断崖の中腹である。


「あ!あれ!」

「む。」


ジルが何かに気付き、空を指さす。

空には羽を広げる大きな黒い影があった。


岳蝙蝠 ―オロフテリザ― である。


ダルナトリア山岳地帯の広範囲に生息する巨大な蝙蝠の魔獣。

羽を広げた大きさは寝そべった人間二人分。


吹きすさぶ山谷風やまたにかぜを利用して山々の間を飛び回り、飛行する小型魔獣を捕食する。

地面を歩く人間にも高空を飛ぶ龍にも戦いを挑む事はないため、無害な魔獣である。


しかしそれは、彼らの領域である山の高さを超えない範囲の空を侵さない限り、だ。


「羽を広げて風を捉える姿が見えたという事は、すぐ近くに巣があるはずだ。」

「じゃあ、いよいよか~。」


二人は右手を見上げる。

そこには切り立った断崖がそびえ立っていた。




右足で岩の出っ張りを足掛かりにして右手で更に上の手掛かりを掴む。


左足で岩の出っ張りを足掛かりにして左手で更に上の手掛かりを掴む。


決して早くは無いが、ゆっくり確実に上へと進む。


「ひぃ、ひぃ、ぬおー、負けるか―!」


短い手足でジルは懸命に登る。

彼女の先にはノグリスが同じように断崖を登っていた。


「飛べたら、楽なんだが、なっ。中途半端に空を飛ぶと、彼らに、襲われるっ。」


長い手足を活用して進む速さはジルの倍以上。

いち早く両の足で立てる場所へとたどり着いた。

遅れて登ってきたジルに手を伸ばし、その手を掴んだジルを軽々と引っ張り上げる。


「ふぃ~、ありがと~!いやぁ疲れたぁ!」

「お疲れ様。帰りはロープで降りる、これほど大変ではないから安心してくれ。」

「わーい、それは助かるぅ!」


朗報にジルは大げさに喜んだ。


目的地は断崖の出っ張りを進んだ先。

間違っても落ちないように、岩肌に背中を付けながら慎重に横歩きする。


人など入らない断崖の上、当然補強はされていない。

踏んだ地面の端が細かく崩れ、自身が登ってきた断崖をパラパラと落ちていった。


その光景に冷や汗が頬を伝う。


しばらく歩くと岩肌にぽっかりと開いた洞穴の前へと到着した。

洞穴は巨大で、縦も横もジルの身長の十倍はあるだろうか。

街道からは死角になる位置だ。


「おお、広い!」

「くれぐれも静かにな。」

「りょーかい。」


可能な限り声を抑えて二人は会話する。


洞穴の中は声が響く。

岳蝙蝠オロフテリザが暴れ出したら、この狭い空間の中では対処が難しい。

それを防ぐためには大声や大きな物音を出さないようにするべき、という事だ。


ゆっくり、足音を立てないように、忍び足で洞穴の中へと歩みを進める。

内部に光は無いかと思いきや、淡く光るこけきのこが群生しており、ぼんやり明るい。

少なくとも自身の手元は見える程度の明るさだ。


洞穴の壁面は自然のまま。

それに対して天井は不思議な形状をしていた。


建物のはりのように天井が削り取られており、その破片が地面に散らばっている。

岳蝙蝠によって洞穴の上部が加工されたのだろう。

それを足で掴んで逆さに吊り下がるのだ。


天井の残骸は石どころか岩だ。

人間ジル達にとっては大きすぎる障害物。

その隙間を縫って、瓦礫を越えて、更に奥へと進む。




急に半球状の空間に出た。


先程の洞穴もジル達には巨大だったが、それが鼠の穴の様に小さく感じる程の空間。

内部の地面には光る苔が大量に群生しており、空間の中を薄明るく照らしている。


そして―――


「これは・・・・・・。」

「いっぱいいる!」


天井には複数の梁があり、びっしりと岳蝙蝠が吊り下がっていた。

彼らは身体を寄せ合い、鼠のような顔をすり合わせている。


数体の岳蝙蝠はキイキイと鳴きながら、空中を自由に飛び回っていた。


「こんな暗い穴の中でぶつからないんだ・・・・・・!」

「中々興味深い。しかし妙なのは糞がない事だ。」

「あ、確かに。」

「これだけの数なら相当量あっても不思議ではないはずだが・・・・・・。」

「臭いもしないね。」


周囲を見渡しても排泄の形跡が全く無い。

糞は生態調査の基本、ただ不衛生な物ではなくそこから多くの事が分かるのだ。


それが無い、となるとここまでやって来た目的の一つが失われる事になる。


「だが、排泄をしない生物など居ないはずだ。何か・・・・・・ん?」


周囲を見渡したノグリスが何かに気付く。

それは先程から見かけていた光る苔だった。

上と下、双方を見ると天井のの真下に苔が一直線に群生していた。


「なるほど、そういう事か。この苔が彼らの糞なのだな。」

「へぇ~、魔獣を食べて苔を出す、って事?」

「そうなる。実に不思議な生態だ。」


苔の一部をサンプルとして取り、ビンに入れて栓をする。

これで彼女の目的は終了だ。

次はジルの番である。


「えーと、えーと、あ、あった!」


壁際を探しているとそれを発見した。


緑色で茎が先端に行くにしたがって太くなっている植物、鉄鞭草てつべんそうだ。

茎の先は名の通りで鉄のような硬さ、根元では四方に小さな葉を伸ばしている。


「よーし、採取・・・・・・さいしゅ・・・・・・さい、しゅ・・・・・・っっっ!」


先端を左脇に抱え、ナイフを根元に当てて切り取ろうと力を籠めるも刃が入らない。

更に力を籠めるがそれでも刃が立たず、プルプルと手が震える。


その時。


「あ。」


抱えていた左脇から鉄鞭草がすっぽ抜けた。

ひゅわん、と空気を裂く音がジルの左耳を掠め、前方の岩壁に鉄鞭草の頭が当たる。


硬い物同士がぶつかった、甲高い音が響いた。


「ジル!伏せろ!」


ノグリスが咄嗟にジルの頭を掴んでその場に伏せさせる。


頭上全ての岳蝙蝠が慌ただしく飛び立った。

ギイギイと大きな鳴き声を発しながら、半球状の空間の中を四方八方に飛び回る。


その後、全ての岳蝙蝠は通路を抜けて、洞穴の外へと飛び去って行った。


「う、うわぁ・・・・・・。」

「行ったか・・・・・・。」


大騒ぎが収まり、二人はゆっくりと立ち上がる。

洞穴の中は、しん、と静まり返っていた。


「リスちゃん、ごめん。」

「いや。だがなぜ飛び立ったんだ?鉄鞭草の音はそれほど大きな音ではない。」

「う~ん、突然の音にびっくりした、とか?」

「それなら私達の話し声もそれほど変わらない音量だったと思うが・・・・・・。」

「それもそっか。」


悩むノグリスを横目にジルは鉄鞭草に再度攻撃を仕掛け、遂に討伐した。

鉄鞭草を両手で抱えるジルを見て、ノグリスは閃く。


「ジル、それでもう一度壁を叩いてみてくれないか?」

「え?うん、分かった!」


根元を両手で握り、茎を右肩に乗せて、大きく横方向に振る。

壁に衝突すると先程と同じような、甲高い音が響いた。


「ああああ、手が痺れるるるぅぅぅ~・・・。な、何か分かった~?」

「ああ、ありがとう。おそらくこの音だ。」

「音?」


首を傾げるジルにノグリスは頷く。


「飛んでいた岳蝙蝠はキイキイと鳴いていた。その声とこの甲高い音が似ている。」

「むー、確かにちょっと似てる、かも?」

「おそらくはこの音を使って距離を測っているのではないか、と思ってな。」

「ほほぅ。」

「実際、天井に吊り下がっていた岳蝙蝠は鳴いていなかった。」

「あ~、そう言われてみれば確かに!」

「調査はまだ続ける必要はあるが、一先ず今日はこの辺にしよう。」

「りょーかい!」


確かな成果を得て、二人は岳蝙蝠の巣を後にしたのだった。

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