第38話 『駄目じゃない』
「それではいってらっしゃいませ、ご主人様、ブラッド様」
「ブラッドどの、カミラどの、いってらっしゃいませ!」
早朝の始発便だというのに、マリアとステラが馬車駅まで見送ってくれた。
「おう、行ってくる」
俺は彼女たちに軽く手を振って応える。
今回の旅は十日ばかりかかる。
俺はファルたち以外には仕事らしい仕事を受けていないから問題ないとしても、カミラはそれなりに忙しいはずだ。
仕事に穴を空けてしまわないのだろうか。
今さらながら、心配になる。
「しばらく店を空ける。マリアしっかり頼むよ」
「お任せください。十日分の配達スケジュールはすでに作成済みです。取引先にも、ご主人様の『出張』は通知ずみです。ご安心を」
「うむ」
どうやらその辺はうまくやりくりしているようだ。
「さあブラッド、行こうか。そろそろ出発の時間だ」
「ああ」
駅舎に設置された時計を見れば、出発間際だ。
急いで馬車に乗り込む。
ここからまず馬車で国境近くのルセラという宿場町まで向かい、それから徒歩で国境を越え、隣国――トレスデン共和国内に存在する古代遺跡を目指す。
それからその遺跡にある転移魔法陣を使いリグリア王都にある地下神殿まで飛び、王宮へ侵入……というのが、ファルたちが進んだ道程だ。
俺たちはこのルートを忠実になぞることになる。
「さすがに、ルセラ行きは空いているね」
カミラが客車を見渡して、そう呟く。
馬車の中には、俺たち以外いない。
十人くらいは収容できる客車だから、やけに広く感じる。
俺たちは荷物を置くと、手近な席に座った。
「ルセラは交易ルートから外れているからな。あそこが宿場町として栄えたのは、街の近くにある金鉱脈が枯渇するまでだったはずだ」
「そうなのか? 君は意外と地理に詳しいな。聖剣工房に引きこもって剣の錬成ばかりしていると思っていた」
カミラが少し感心したような声を上げる。
「前の職場はトレスデンの商人たちがはるばる王都まで聖剣を買い付けにやってきていたからな。連中から仕入れた話だよ」
「……ふぅん」
そこで会話が途切れる。
さして意味のない会話だ。
しばし、客車に静寂が訪れる。
すでに馬車は動き出している。
車窓からは、流れゆくオルディスの街並みが見える。
ちなみにセパ、レイン、モタは荷物――
なぜか?
彼女たちを実体化させると、馬車の運賃が最低二名分余計にかかるからだ。
あと、早朝は彼女たちがまだ
セパはまあ、お子様料金か無料だろうが。
それはさておき。
「……なあカミラ」
「なんだ、ブラッド?」
「これだけ広いんだから、もっとゆったり座ってもいいじゃないか?」
「別にいいだろう? 誰もいないわけだし」
カミラは客車が空いているにも関わらず、俺の隣に腰掛けていた。
というか、彼女はこちらにぴったり身体を寄せており、なんなら俺の肩に頭まで預けている状態だ。
彼女の暖かな重みが、とても心地いい。
「こうやって二人きりで旅をするのなら、日の下に出るのも悪くないな」
「…………」
カミラのテンションがおかしい。
なんだこれ。
そう、これは……口に出すのもアレなワードだが……恋人みたいだ。
いや、すでに恋人どころかそのだいぶ先まで進んでしまっているような気もするが、あれは事故ということになったはずだ。
それでお互い納得ずくのはず。
だというのに、これはどういうことだ。
そもそもカミラは、昔はもっとクールというかダウナーな感じだった気がしたんだが……
ともかく。
これからはかなりハードな旅になる。
だから。
(今くらいは、このままでもいいかもしれない……な)
そんな言い訳にもならない言い訳を心の中でしつつ。
俺は彼女がするまま、馬車に揺られていた。
◇
宿場町ルセラに到着したのは、地平線に日が沈んだ頃だった。
星々煌めく濃紺から淡いオレンジへとグラデーションを描く夕空を、ルセラの街並みが影絵のように切り取っている。
おかげで、聞いていたほどには寂れているようには見えない。
馬車から降りたのは、結局俺たちだけだった。
途中からの乗客もゼロ。
ちなみに馬車は回送らしく、そのまま路地の暗がりへと消えていった。
「ふう……ようやく着いたか。慣れない旅路で尻が砕けそうだよ」
疲れた顔のカミラが、尻をさすっている。
客車の腰かけは、木製だった。
おかげで俺も身体がバキバキだ。
はやく熱い湯を浴びて身体を清めたい。
ルセラは金鉱山で栄えた街なだけあって、温泉が湧き出ている。
これが、まだこの街がかろうじて宿場町としての体裁を保っていられる原因の一つだった。
さっそく宿へと向かう。
「いらっしゃいませ。ようこそ『黄金亭』へ」
街の中心部にたった一つある宿は、見栄えだけは豪華だった。
おそらくゴールドラッシュの時代に建造されたのだろう、フロントのホールは広々としていて、あちこちに高そうな調度品が据え置かれている。
ただ、そのすべてのデザインが前時代的だったが。
「二名だ。部屋は空いているか? 二部屋だ」
「申し訳ありません、あいにく本日は空きが一部屋しかありませんでして……」
申し訳なさそうな顔で、フロントのお姉さんがそう告げてくる。
「……なんだと」
……マジか。
この宿、結構大きめだぞ?
少なくとも、オルディスにある冒険者用のものよりは大きい。
部屋数で言えば、十や二十ではきかないはずだ。
そんな俺の胸中を顔色で察したのか、フロントのお姉さんが慌てたように訳を話してくれた。
「……実は、当宿はかなり老朽化が進んでおりまして。改修を進めてはいるのですが、現在使用できる部屋は数えるほどしかないのです。ほかにも宿泊されるお客様がいらっしゃいますし、これが最後のお部屋でして」
どうやら街の衰退はこんなところまで及んでいるらしい。
まあ、位置的にはオルディスよりも辺境に位置しているし、かつての栄華を誇った宿場町も時代の流れには逆らえない、ということだろう。
「うーむ。ならば、仕方ないだろう。ブラッド、さっさと手続きを進めてくれ。私はお腹が空いて仕方ない。荷物はここで預けて、先に食事にしないか?」
カミラは今、例の魔術師用戦闘服を着ていない。
そのせいか、これまでの長旅で疲労が蓄積しているらしかった。
まあそれを言うならば俺もだが。
「……そうだな。じゃあ、一部屋で頼む」
「かしこまりました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「いや、気にしてないよ」
実のところ、俺もかなり空腹だった。
そのせいで、あまりよく考えずに決めてしまった。
フロントで宿泊の手続きをしてから荷物を預け、すぐに食事に向かう。
ちなみに街の定食屋はそこそこ美味かった。
……そして。
「おい、マジか」
食事から戻り部屋へ通されたら……である。
ベッドが一つしかなかった。
いわゆるダブルベッドというやつである。
二人で寝るには窮屈、というわけでもない。
だが、これは……ガチの恋人か夫婦用のやつだろ。
「こ、これは……」
俺はカミラを見る。
彼女は俯いていた。
だが髪からのぞく耳は真っ赤である。
俺の顔がどうだったと言われれば……まあ彼女と変わらないとは思う。
「……ちょっとフロントに行って、どうにかならないか交渉してくる」
「……ブラッド」
部屋から出ようとして、クイと引っ張られた。
振り返れば、カミラが俺の服を掴んでいた。
俯きながら。
「……ブラッド。やはり私じゃ……嫌なのか?」
………いや、ただ寝るだけですよね?
そんな涙目で言われても困る。
もちろん駄目じゃない。
ただ……彼女と一緒のベッドで寝て、我慢できるわけがないわけで。
「………………っ!」
で、結局。
今度はなんの状態異常の力も借りず。
まあ……そういうことになった。
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