第33話 『アンチェインド 上』
話は、ほんの少しだけさかのぼる。
それはブラッドとカミラがダロン火山に出発した、その翌日のことだった。
「それではマリアどの、行ってまいります!」
「はい、行ってらっしゃいませ」
早朝のオルディス旧市街に、声が響く。
ステラとマリアである。
ステラは背中に大きな袋を背負っていた。
十かそこらの少女には、かなりかさばる荷物である。
中身は鋼材だとか、魔獣の角だとか、魔物の毛皮だとか、いろいろ重たいものが配達する店ごとに分けて詰まっている。
大人の男性でも、持ち上げるのに一苦労する重さだ。
カミラ魔道具店は申し訳程度に魔道具を作って売っているものの、主要な業務は人造精霊の創造だ。
それと、素材類の卸みたいなことを片手間にやっている。
彼女が頼まれているのは、その素材類の配達である。
「よし、今日もがんばりますよ!」
ふんす、と勢いよく鼻息を吐き出すステラ。
獣人である彼女にとっては、自分の背丈ほどもある満杯の荷物袋を背負っても、大した重さに感じられない。
それに今は、カミラとブラッドが造ってくれた義手があり、それが身体能力の底上げをしてくれている。
確かに荷物はかさばるが、彼女の心も身体も羽のように軽かった。
「ええと、最初はマルクどののところですね」
早朝の閑散とした路地を歩きながら、今日の訪問先を確認する。
最初のお届け先は、二区画ほど離れた通り沿いの店だ。
ここからのんびり歩いても、五分もかからない。
マルク防具店はカミラから最初に頼まれたお使い先でもあり、ご近所様ということでステラともすっかり顔なじみになっている。
「こんにちはー! カミラ魔道具店のステラです!」
防具店の扉を開けて、元気よく挨拶をする。
「おっ、ステラちゃんか。今日も元気だね。どうだい、お仕事は慣れたかい?」
店に入ると、大柄な初老の男性が出迎えてくれた。
店主のマルクだ。
「いえ、このくらいなら軽いものですので!」
ステラはこれまた元気に返事をする。
これはマリアから教わった、お仕事のコツだ。
まずは元気いっぱいにあいさつ。
それで大抵の仕事はうまく回る。
実際、ステラがそうすると、お使い先の皆は笑顔になってくれた。
だから彼女はいつも精一杯元気に挨拶をする。
仕事のことはともかく、皆の笑顔が見たいから。
「うんうん、若いっていいねえ。王都にいる孫がね、ステラちゃんと丁度同じくらいでねぇ」
「マルクどのには、おまごさんがいらっしゃるのですね!」
ちなみにこの話は店に来ると毎回されるのだが、ステラはいつもニコニコ聞くことにしている。
マルクの優しそうな笑顔を見ていると、ついつい聞いてしまうのだ。
「ちわーっす。オヤジさん、もう店やってるー? おっ、おチビちゃんも来てんのか。オッス!」
と、扉を開けて若い冒険者が入ってきた。
ステラも知っている顔だ。
たしか、ここの店の常連さん。
「ジョイスさん、おっす!」
「おお、いいねえその返事。冒険者は気合が一番だからな」
「おいジョイス! てめーステラちゃんに変な挨拶教え込んでじゃねーぞ!」
「いいだろオヤジさん。そこのチビだって、いつか大人になるんだからよ」
「その挨拶が大人じゃねえっていってんだよ!」
二人はいつ来ても、こうやって言い合いをしている。
ステラはすっかり慣れっこだった。
だが、仕事は完遂しなければならない。
「あの、マルクどの」
「おっと、ついつい話し込んでしまったな。今日の届け物は……これだね。……はい、お代金だよ」
「ありがとうございます!」
と、ステラは代金を勘定してからふと気づいた。
「……すいませんマルクどの。いただいたお代金がすこし多いみたいなのですが」
「ああ、それはお小遣いだよ。ステラちゃんはいつも頑張っているからね。……ああ、魔女さんには内緒だよ? 彼女、ステラちゃんを甘やかすなってうるさいんだよ」
マルクがヒソヒソ声でそう打ち明けてくる。
ちなみに『魔女さん』とは、マルクが呼ぶカミラのあだ名である。
なぜそう呼ばれているのかはステラには分からなかったが、それを彼女に聞くと危険だと野生の勘が囁くので、聞いていない。
たぶん今後も聞くことはないだろう。
「なるほど……わかりました。つつしんでちょうだいいたします!」
「ははは、ステラちゃんは難しい言葉を知っているねえ!」
マルクが嬉しそうに笑う。
「おいオヤジ、そろそろ俺の相手もしてくんねーか? 孫みてーな年の子が遊びに来て可愛いのは分かるが、もう店やってんだろ? この鎧、いくらだよ。値札ついてねーぞ」
冒険者の若者が呆れたような声を上げる。
「おっと、すまんすまん! じゃあステラちゃん、頑張ってな。……おうジョイス待たせたな。このミスリル鎧なら三十万ビルだ」
「待てオヤジ、ミスリル製が三十万は、さすがにぼったくりすぎだろ! 十万ビルまで負けろ!」
「うるせー若造! そいつは俺がバキバキに
「ふざけんな! 錆だらけじゃねーかこっちは! 殺す気か!」
ニコニコ顔から一転、いかめしい
そろそろステラの方も、頃合いだろう。
「それでは!」
やおら騒がしくなったマルク防具店を出て、彼女は次の店に向かった。
◇
「ふう……疲れましたね……」
オルディスの商業区は広い。
ステラがすべての取引先を回り終わったころには、日が高く昇っていた。
そういえば、今日のお昼はかねてよりマリアどのが仕込んでいたベーコンを使った『パン挟み』だったはず。
ステラはその料理が大好きだった。
食卓にならんだ、ベーコンと生野菜のパン挟み。
かぶりつけばあふれ出るベーコンの肉汁と、野菜のシャキッとした食感。
それを想像するだけで、ステラのお腹はクゥと鳴った。
「……はやく戻りましょう!」
すっかり軽くなった荷物袋をたたんで、足取り軽く家路へと就いた。
……そして、すぐに尾行してくる連中に気づいた。
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