第88話

――何で、こんなやつがいるんだろう。


そこにいるだけで全ての光と注目を吸い上げてしまい、後には何も残らない。


その一挙手一投足が英理のような凡人を追い詰め、恥じ入らせ、むやみに敗北感を覚えさせるような。


「大体、本人がここにいないんじゃ話にならないわ。自分から遺産分割協議の話を持ちかけておいて、欠席するなんて信じられない。葬式も初七日もお墓のことも、面倒事は全部こちらになすりつけて、自分だけぬくぬくと安全な場所でおいしいところだけもらおうだなんて、そうは問屋がおろしませんよ。ねえ、あなた」


恵美子は眼光鋭く夫に同意を求める。


「いや、ほら、そこはお前。相手さんにも、いろいろ事情があるんだろうから」


玉田宗助は権威ある優秀な眼科医であり、理解ある夫でもある。


だが、恵美子のヒステリーを治す手立ては、結婚して三十年以上経っても見出せなかったようだった。


「奥様はご主人である向井要様を亡くされた悲しみとショックで体調を崩され、現在入院中です。葬儀や初七日に出席できなかったことも非常に悔いておられ、せめて四十九日はと思い決めていらっしゃったのですが、心身の消耗が激しく、どうしても参加できないということで、このような運びとなりました。

ここで話し合われたことは全て責任もってこの私が持ち帰り、奥様にお伝えいたします。有理様が英理様に全権を委任されておられるのと同様、私も奥様に全権を委ねられております。決定されたことには何一つ異議を差し挟まないという委任状もいただいておりますので、どうぞご安心ください」


と言うと、久世はテーブルに証拠として委任状と医師による診断書を提出した。


委任状には弥生の署名と押印がなされており、診断書には医師による心身症との記載があった。


どうやら、弥生はこの久世という男に全幅の信頼をおいているようだ。


久世の自信に溢れる態度からしても、彼が今の弥生の実質的な庇護者であることは間違いない。

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