第75話

父がうつむきがちに言った台詞、


――こんなことになって、すまない。


今すぐ父に電話しなければならない。


英理はスマホを手に取った。


その途端、思いを敏感に察知したかのようにスマホが鳴る。


液晶画面に「公衆電話」の文字が躍っているのを見て、心臓が飛び跳ねた。


「もしもし」


声を潜めて出た途端、相手方が鋭く息を呑む。


その気配に、英理は分かりたくもないのに分かってしまった。


受話器の向こうにいるのは、江本弥生だ。


「江本さん?」


じれったい沈黙が一秒、二秒続き、やがて押し殺した声で、


「向井君、ごめんなさい……」


背後で慌ただしい物音がする。


弥生の暗鬱な口調にただならぬものを感じ、英理は戦慄せんりつした。


こめかみが痙攣し、呑んだ息が喉を押し潰す。


――嫌だ。


暗幕を降ろしたように、目の前が真っ暗になっていく。


遅れてやってきた最悪が、背後から振りかぶって脳天を打ちのめす。


――嫌だ、嫌だ、嫌だ!!


「今、病院で、要さんが……」


言いかけた電話を反射的に切り、英理は絶叫していた。


「あああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」


気が違ったのではないかというほどの大声に、店員が慌てて飛んでくる。


「お客様、どうされましたか」


「英ちゃん」


凜が立ち上がり、崩れ落ちる英理を支えようとする。


そのはずみで落下したコップが、澄んだ音を立ててこなごなに砕け散った。


――ごめんなさい。


弥生の静かでおそろしく暗い声が、全ての光を奪って真昼を夜に塗りたくる。


机の上で再び震え出したスマホは、持ち主の応答を求めて、いつまでも虚しくすすり泣いていた。
































【第二章・終】

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