第62話



兄がアメリカに帰った後、英理はようやく重い腰を上げて、実家の整理に行くことにした。


日曜日の朝、普段の父は近くの公園まで散歩に出かけた後、馴染みの喫茶店で遅めの朝食をとる。


コーヒー片手に読書したり、店主と話したりして十二時を回るまで帰ってくることはない。


その時間を見計らい、こっそり家に帰って気兼ねなく身辺整理をしようという作戦だった。


久しく使っていない合鍵を使って玄関に入ると、寂れた空気の匂いが鼻をついた。


予期していた光景――男物の靴の横に、ちょこんと並べて揃えられた弥生の靴――を目にすることもなく、やや安堵の息をつく。


たかが自分の家に戻るだけだというのに、まるで泥棒のようにこそこそしなければならないことが滑稽こっけいでもあり、哀しくもあった。


だが、感傷かんしょうに浸っている暇はない。


時計を見ると、午前十時を過ぎたところだった。


長く見積もっても、せいぜい猶予ゆうよは二時間。


英理は自室に入ると、机の引き出しやクローゼットを開け、衣類や小物や本といったものを段ボールにつめ始めた。


就職が決まって家を出たとき、あらかた整理はし終えていたから、ほぼもぬけの殻と言っていいくらいだった。


虚ろな表情をした部屋の窓辺に、薄緑のカーテンが揺れている。


ここで過ごした二十数年を思い、英理は胸の軋みを覚えた。

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