第22話

その時はまだ、病魔びょうまの影など微塵みじんも見られなかった。


それとも母だけは、そのきざしを感じていたのだろうか。


母がこの世を去った翌年、就職した兄は家を出て、英理も友達の家を泊まり歩いたり、外で夜を越すことが多くなった。


母のいない家に帰ることが怖かった。


誰も口にこそしなかったけれど、全員が同じ気持ちだったろうと英理は思う。


そして、あの家にぽつんと、たった一人きりで取り残された父は、どんどん年を取っていった。


「英ちゃん」


声をかけられ、英理は手が止まっていることに気づいてはっとした。


「ああ、ごめん。何言おうとしてたんだっけ」


「私、ついて行こうか」


麦茶を飲み干したコップをテーブルの上に置くと、凜は申し出た。


「そこまで心配しなくても大丈夫だよ」


「何なら私たちも結婚して、英ちゃんのお父さんと一緒に挙式ってどう?」


英理は飲んでいたビールを吹き出しそうになった。


むせ込んでいる様子を指さして、凜はけらけら笑う。


「動揺しすぎ」


「だって、お前、そんないきなり」


「言っとくけどね」


人さし指を突きつけて、凜は高らかに告げる。


「いつまでも、のんびり待ってもらえると思ったら大間違いだからね。花の命は短いんですから」

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