第5話 敬礼
通話先からパチパチと火花が散る音が聴こえる。
はるか上空を浮遊している宇宙船は真っ赤な炎と黒煙に包まれている。装甲が剥がれ落ちてもはや原形をとどめていない。それでも無慈悲に止むことのない爆発音は、宇宙船がもがき苦しんでいる叫び声のようにも思えた。
「勝ったんだ」、誰かの呟く声が聞こえた。
爆発による衝撃波は屋上にいても感じる。といっても肌がピリピリするくらい軽い程度のもの。生ぬるい風に運ばれてくる火薬の匂いは、警察官時代に何度も嗅いだことのある匂いだった。そこに佐渡警視総監の声が加わると初めて爆弾処理した記憶がよみがえってくる。
『こうして爆発音を聞きながら川崎巡査と話をしていると、君が初めて爆弾処理をした日のことを思いだすよ』
「私もちょうどその頃のことを思いだしていました」
佐渡警視総監がまだ警視長の階級だった頃のことだ。とある地方の廃屋ビルに中型爆弾が発見された。そこで佐渡警視長の指示および監視のもと、新人の私が爆弾処理デビューをした。テキストの例題に載るほど簡易的な爆弾で、処理方法も単純明快なものだった。結果は言うまでもない。
『ビルが木っ端みじんになったとき警察官人生終わったと思ったよ』
「あの時は私もそう思いました。佐渡警視総監、帰りにラーメン奢ってくれましたね」
『ああそうだったそうだった。君はラーメンを食べてるときも泣いていたね』
「そりゃあ初仕事で爆発させたんですよ。帰った後もショックで泣いてました」
『でも次の日には普通に出勤していただろう。目を真っ赤に腫らしてさ』
「泣くのを我慢していたんです」
懐かしい思い出を語りながら一本、また一本とコードを切断していく。コードを切断するたびに佐渡警視総監と繋ぐ音声にノイズが走る。途中で手を止めそうになるが、佐渡警視総監が「その調子だ」と小さく笑うため、止められるはずがなかった。
『二回目も爆発させたときはびっくりしたな。あの時は怒鳴ってごめんよ』
「むしろ怒られたほうがスッキリしました」
『でも君はめげずに何度も挑戦した。失敗を反省、分析し、爆弾処理の高度な知識も会得した。それでも処理するたびに爆発させていたけれど、君の頑張る姿はずっと見てきた』
「はい」
『もしかすると君のソレは、今日という日のために神様が与えた能力なのかもしれないね。そうだとしたら君は世界を救うために生まれてきた救世主だ』
「何ですかそれ、あんまり嬉しくないですね。私は普通の女の子が良かったです。違反切符を切る女性警官になりたかったです。まあもう警察官じゃないですけど」
『あはは、そうかそうか』
「そこ笑うところじゃないですよ」
電話越しで侵略者の慌ただしい声が聞こえる。逃亡を図ろうとしているのだろうか。燃え盛る炎は衰えることを知らず増していくばかり。熱いだろうな。煙で息苦しいだろうな。佐渡警視総監のおかれた状況を想像するだけで、胸が燃えるくらい熱くなる。
「…ひっぐ」
『まったく君は涙脆いね』
「私は弱いですから。強くなりたくて警察官になったのに結局よわいままで、全然変わることができなかった」
『強くなる必要なんてないんだよ。強くあろうとすればするほど挫折したときに立ち直れなくなってしまう。そういう人間をたくさん見てきた。何が起こっても負けない動じない強靭な心を持つ人なんて一握りのヒトだけさ』
佐渡警視総監は『だけどね川崎巡査』と優しい声色で私の名前を包む。
『時には強くならなきゃいけないときがくる。そういう場面に遭遇する。そのときは演じるんだ。強がれる自分を」
「強がれる自分を…」
『普段の君は怯えた小動物のように弱いかもしれない。でも爆弾処理しているときはどうだ。爆弾に怯えず、市民の安全のために命を懸けて立ち向かっている。君は知らず知らずに強い自分を演じられているんだよ。いつかそれが本物の強さに変わる。もしかすると君は自分自身で気づいていないだけで、もう演じる必要もないくらい強いのかもしれないね。そんな君を弱いと笑う者がいるならば私が怒鳴りつけてやろう』
私は電話越しに頷いた。目元から涙が散っていく。
『これから先も君はより多くの人を救うことができる。悪いモノから断つことができる。だからもっと自信を持つんだ。自分自身を卑下するものではない、私は君のような部下を持てて誇らしいと思ってるのだから』
「佐渡警視総監…」
『それじゃあ川崎巡査、君の休暇はこれで終了だ』
「はい……え、きゅ、休暇?」
佐渡警視総監の一言に驚いて声が裏返ってしまった。おかげで涙が引っこんだ。おかげで、というのも変だが。
『残念ながら君の退職届は紛失してしまってね。今は有給休暇中になっているだよ』
「なんですかそのベタなシチュエーションは」
『君のポストは開けてある。警視庁機動隊爆発物処理専門部隊だ」
「そこは交通整理課でしょうに」
漫才のような会話にお互い笑いあった。通話越しでも佐渡警視総監の笑顔が想像できた。
『さてとそろそろ時間かな。さあ残り数本のコードも残っているだろう、一気に切ってくれ。この遊戯を終わらせよう』
「はい」
残り数本のコードに触れる。ケーブルカッターの先端刃を開き、コードを挟みこむ。顔を上げると川北くんもコードを切る準備ができていた。あとは私の指示待ちだった。力を込めればくだらない遊戯が終わる。同時に意味するのは佐渡警視総監の死。なかなか覚悟が決まらない。現実から目を背けたくて足元ばかりに目をやってしまう。私の悪いクセだった。
『お、川崎巡査、空を見上げてごらん』
「空ですか?」
佐渡警視総監に言われて顔を上げた。爆発の衝撃波の影響か、灰色の雲が割れてみずみずしい青空が顔を出していた。宇宙船が陽の光に照らされてまるで天からお迎えが来たようにも見える。
『良かった。これなら天国に登れそうだよ。ありがとう川崎巡査』
どうしてなのか分からないが。私は少しほっとした。力んでいた肩もなんだか軽い。
『川崎巡査の今後ますますの活躍と健康を祈り、』
佐渡警視総監は震える腕を上げて、みずみずしい青空に向かって敬礼をしてみせた。
『最大の敬意を表して敬礼を』
「――っ」
パチンッ。
絶望に満ちた世界に、希望の花火が空に咲いた。
世界中から歓喜の声が上がる中、警視庁の屋上では嗚咽まじりに泣き叫ぶ声が虚しく響いていた。
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