第11話 修羅場に備えて現実世界で8万円のお金を貯めます

 場所は保健室から打って変わって、森実駅前。


 時刻は午前2時少し前。


 約束の場所には、もうすでにメバチ先輩が立っており、俺が来るのを今か今かとソワソワしながら待ってくれていた。


 服装は、以前『喫茶店デート』をしたときと同じ、サマードレス。


 どうやら、制服から着替えて待ってくれていたらしい。


 先輩はバックからコンパクトミラーを取り出し、しきりに前髪を気にしていて……控えめに言って可愛い❤


 おそらく、俺の目の前を率先して歩いている『この2人』が居なければ、今頃「せんぱ~い❤」とウッキウキ♪ でメバチ先輩に駆け寄って、本場イタリア人顔負けの、真夏の太陽のごとき熱いベーゼくちづけをぶちかましていたに違いない。



「お待たせしました、メバチ先輩。大神士狼、ただいま参上いたしました」

「あっ、大神くん……っ! ううん、ワタシも今来たトコだから、全然待ってな……いぃ?」



 コンパクトミラーに視線を落としていた先輩の顔が、パッ! と跳ね上がり、笑顔で俺を出迎え――ようとして、ピシリッ! と、その笑みが固まった。


 先輩と俺の視線の先、そこには。



「こんにちは、魚住先輩♪ 今日もいい天気ですね? ねっ、洋子?」

「うんっ! 絶好のお勉強日和だね、メイちゃんっ!」



 俺たちの視線の先、そこには――俺とメバチ先輩を邪魔するように、芽衣と古羊が満面の笑みを浮かべて立っていた。


 まるでメバチ先輩の視線を遮るように、俺の前に立つ2人に、先輩は。



「……えっ? なんで……?」



 と、至極ごもっともな疑問を口にした。


 うん、分かる。俺には分かりますよ、先輩?


 いきなり呼んでもいない奴らが目の前に現れたら、そりゃ混乱しますよね?


 例えるなら、初デートに両親が同伴してきたみたいな……なにそれ? どこの父兄参観ですか?


 ところで、話はごくごく自然に横に逸れるのだが、父兄参観と言って思い出されるのは、やはり小学1年生のときの出来事だろうか。


 父兄参観――それは一言で言ってしまえば、生徒たちの学校生活が狂ってしまう悪魔の日の名称のことだ。


 そう、かくゆう我が残念な親友、猿野元気も、父兄参観日に人生を狂わされた哀れな被害者の1人だったりする。


 あれは忘れもしない小学1年生の秋のことだった。


 俺がいつものように元気の家で遊んでいると、細見のマッチョである猿野家の大黒柱こと元気パパが、愛息子まなむすこの最初の父兄参観ということで、気合を入れて翌日の準備をしていたのがあやまちの始まりだった。


 元気パパは、居間で俺とボードゲームをして遊んでいた自分の息子に向かって、やたら上機嫌に、



『なぁマイサン? 明日の父兄参観なんだが、お父ちゃん、何か持って行くものとかあるか?』



 と尋ねてきたので、元気が、



『いや、ないで。手ぶらでいいと思う』



 と告げてしまったのが、終わりの始まり。


 翌日、元気パパは約束通り『手ぶら』で来てくれた。






 ――そう、上半身裸のまま、乳首を両手で隠しながら学校へやってきたのだ!






 瞬間、水を打ったように静かになる我が1年A組。


 そりゃそうだ。


 なんせ、いきなり20代後半の細マッチョが、乳首を両手で隠しながら入室してきたんだ。


 その衝撃たるや……想像するだけで恐ろしい。


 元気は親父殿が半裸で入室してきた瞬間、「これはアカン!」とすぐさま他人のフリを決め込んでいたっけ。


 が、神様は残酷である。


 元気パパの隣に居たご婦人が、この場に居た全員の気持ちを代弁するかのように、震える声音でこう尋ねた。



『あ、あの……? ど、どうしてそのような格好なのでしょうか?』

『うん? いやぁ、我が息子に『手ブラ』で来てくれってワガママを言われちゃいましてね! ハハハッ! まったく困ったシャイボーイですよ、ホント』



 元気の身体が小刻みに震えていた。


 おそらく、その言い分に『待った』をかけたいこと山の如しだったのだろうが、関わり合いたくないのかスルーを決め込む、我が親友。


 気持ちは分からなくもない。


 俺もパパンが『手ブラ』でやってきたら、その瞬間に親子の絆を断ち切る自信がある。


 例え、俺たちの間にどれだけ美しい思い出があろうとも、何の躊躇ためらいもなく、パパンを見捨てる自信が俺にはあった。おそらく元気にもあった。


 それにして……凄いな元気パパ?


 確かに元気は『手ぶらいい』と言った。


 それを鮮やかにグラビア用語の方だと勘違いし、颯爽と実行に移してしまう行動力。


 もはや意味が分からな過ぎて、逆に神々しさすら感じるほどだ。


 ほんと意味が分からない。


 岡山名物【きびだんご】の箱から、北海道銘菓めいか【日本一きびだんご】が出てくるくらい意味が分からない。


 一体どこの世界に、実の父親相手に『手ブラで来てほしい!』とおねだりする息子が居るのだろうか?


『あそこで乳首を隠しているの、ワイの親父なんやで!』とか、我が親友がドヤ顔で友人達に自慢するとでも思っているのだろうか?


 おいおい? なんだ、その中々に爵位を有する変態息子は? ほんとに同じ人間か?


 ちなみに、そんな変態息子は、ひっそりと1人頭を抱えて『ご先祖様に顔向けできねぇよ!』と、今にも泣きそうな声で小さくわめいていたよっ!


 もちろん、愛息子の心の内など知らない元気パパは『おっ、居た居た!』と声を弾ませ、



『お~い、元気ぃ~っ! お父ちゃんが見に来てやったぞぉ! おまえの底力、クラスメイト達に、いや全世界に見せつけてやれ!』



 うん、もう凄いぞ?


 親父殿が元気の名前を口にした瞬間、クラスメイトはおろか、父兄、果ては担任までもが、バケモノを見るような目で、元気を凝視し始めるんだぜ?


 なんせ今のアイツの立ち位置は【実の父親に上半身裸のまま手ブラを強要し、学校へ来させた息子】である。


 あのガタイのいい父親を、手ブラ強要で学校へさせる小学1年生……一体ヤツはどこの変態の国の王子様だというのだろうか?


 針のムシロのように、教室中からアンモラルでイリーガルなモノを見る視線が、我が親友に突き刺さる。


 後に元気は、この出来事をこう語っていた。



 ――ほんとあと少し、ワイのメンタルが弱ければ、出家するところやった……と。



『おっと、授業の邪魔をしたら我が息子に怒られちまう。静かに見守らないとな!』



 うん、割りともう現段階で怒ってるけどね、結構バリバリに。


 もはや息子に対してのテロリズム以外の何物でもない元気パパの手ブラ姿に、1人静かに涙を溢す我が親友。


『もう街を歩けへんわ!?』と頭を抱え、旅立ちの決意をし始める元気の姿とか、もはやクラスどころか、街の人気者といわんばかりの貫録が漂い始めていて……。


 ほんと、あのときのアイツの雄姿は、今、思い出しても胸が熱くなってくるなぁ。



「あの、大神くん……? 遠い目をしてないで、説明、して欲しいんだけど……?」

「ハッ!?」



 思考の海を彷徨さまよっていた俺の意識が、メバチ先輩の一言で現実世界へと帰ってくる。


 そ、そうだ! 今はこんなどうでもいい事を思い出している場合じゃないっ!


 俺は空気をかき混ぜるように、胸の前で両手をワチャワチャさせながら、慌てて先輩に向かって口をひらいた。



「め、メバチ先輩、違うんですっ! コレは俺の意志じゃなくて、コイツらが勝手に――」



 ついて来て――と、続くハズだった俺の言葉を、芽衣がアッサリ奪っていく。



「実は魚住先輩と士狼の廊下でのやり取りを、偶然、耳にしちゃいまして。出来ればわたし達も、魚住先輩に夏休みの課題を見て欲しいなぁと思いまして、ついて来ちゃいました♪」



 シレっと、悪びれることなく、そううそぶく女神さま。


 なんなのこの? ゾンビ映画とかで最後まで生き残る、メンタル最強系女子なの?


 よくもまぁ、顔色1つ変えず、ここまで厚かましいコトが言えたもんだ。


 逆に凄いわ、尊敬するわ!



「この前の喫茶店のときから、思っていたんですよ。魚住先輩って、教えるのが上手だなって。ねっ、洋子?」

「うんうんっ! 痒いところに手が届くって言うのかな? 思わず『なるほどっ!』ってうなっちゃったよ!」

「……別に、アレくらい普通……」



 メバチ先輩はどこかムスッ! とした口調で、淡々とそう口にした。


 気のせいか、先輩がほんのり不機嫌になっている気がしてならない。


 う~ん、ちょっぴりむくれている先輩も可愛いなぁ♪



「それに、3人一緒に勉強を見るのは、ワタシには出来ない……」

「なら魚住先輩は洋子の勉強を見てあげてください。しょうがないので、士狼はわたしが面倒を見ますよ」

「うんうんっ! ウオズミ先輩がボクを見て、メイちゃんがししょーを見れば、万事解け――つぇ!? なにソレ、メイちゃん!? 聞いてないよ!?」

「……それはダメ」



 突然の裏切りにでもあったかのように、素っ頓狂な声をあげる古羊と、静かに、されど強い意思を持って芽衣の提案を拒絶するメバチ先輩。


 季節は夏真っ盛りだというのに、おかしいな? 背筋が寒くてしょうがないや。


 あれれ、風邪でも引いたかな、俺?


「だ、だだ、ダメダメッ! そんなのダメだよ、メイちゃんっ!? 認められないよ!?」

「庶務ちゃんに完全同意……。会長には、会長の勉強がある……。大神くん如きのために、時間を使うのはもったいない……」

「ウオズミ先輩の言う通りだよっ! ただでさえ、メイちゃんは忙しいんだから、ししょーなんかのために時間を割くのは、もったいないよ!」



 一瞬の内に結託けったくした古羊とメバチ先輩が、鮮やかに俺をこきろしながら、2人して芽衣に食ってかかる。


 ……あの、みなさん?『大神士狼の勉強を見る』ことが、罰ゲームみたいな感じになってませんか?


 そろそろ泣くよ、俺?



「ご心配ありがとうございます、2人とも。ですが、わたしなら大丈夫です。人の勉強を見るのも立派な勉強の1つですので。ねっ、魚住先輩?」

「む、ぐぅ……。そ、それは……」



 水を向けられた魚住先輩が、ばつが悪そうに言葉を詰まらせる。


 数日前の喫茶店で、魚住先輩が芽衣に言った言葉そのモノが自分に返ってきて、何も言えなくなってしまう先輩。


 メバチ先輩は助けをうように、弱々しい視線を俺によこして。



「もしかして、会長って、かなり意地が悪い……?」

「気づくの遅いですよ、先輩?」

「うふふ、それはどういう意味ですか士狼?」



 むぎゅ! と器用に俺の足を踏み抜きながら、上品に微笑む女神さま。痛い……。


 若干ドン引きしているメバチ先輩に、何故か古羊が慌ててフォローに入る。



「め、メイちゃんは別に、意地が悪いワケじゃありませんよ?」

「そうですね、古羊の言う通りです。芽衣は意地が悪いというよりも、性格が悪いんです。その胸の内には【暗黒女神ダークビーナス】とも呼ぶべき、圧倒的な深淵がうごめいているんですよ」

「うふふ、ブチ殺しますよ士狼?」



 そうそうコレコレ。コレのことです、先輩♪



「……なんとなく会長の性格が分かった気がする」



 芽衣の深淵にうっかり足を踏み入れたメバチ先輩の強ばった声が、俺の耳朶をくすぐる。


 並みの人間なら、ここでゆっくりとフェードアウトしていく所なのだが、メバチ先輩は何故か強気に1歩前へと踏み出してきた。



「それでも、ダメ……。大神くんの勉強を見るのは、ワタシ……。約束した……」



 でしょ? と目だけで俺に語りかけてくるメバチ先輩。


 その有無を言わさぬ静かなる迫力を前に、自然と俺の首が縦に振れる――よりも速く、メバチ先輩の視線を、芽衣がすかさず身体ごと遮ってくる。



「魚住先輩は受験生ですよね? 士狼の相手をするヒマがあったら、数学の公式の1つでも覚えたらどうですか?」

「この時期に公式を覚えている人は、受験に間に合わないよ会長……。ワタシのことは心配しなくて大丈夫……。それよりも、会長たちこそ、進学を目指すなら夏期講習にでも行った方がいいんじゃないの……? 2年生の夏は大事だよ……?」

「それこそ大丈夫ですよ。受験対策はしっかり進めていますから。メバチ先輩こそ、人の心配をしているヒマがあるなら、自分の勉強を進めた方がいいですよ? じゃないと、いつか足元をすくわれますよ?」

「今の会長みたいに……?」

「いえいえ、一般論としてですよ」

「そうだよね、一般論としてだよね……」

「「うふふふふ……」」



 もはや写輪眼ですら見きれぬ展開スピードに、浮気現場に踏み込まれた新妻のごとくオロオロしてしまう、俺。


 あ、あれ!? も、もしかして、この2人……かなり仲が悪い?


 メバチ先輩は古羊寄りの人間だから、てっきり芽衣とも波長が合うとばかり思っていたんだけど、どうやら違うっぽいぞ!?


 まるで先に笑顔を崩した方が負けの『逆にらめっこ状態』で微笑み合う芽衣とメバチ先輩。


『ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴッ!』と、2人の間に不穏な擬音が見え隠れしているのを感じながら、俺はスススッ! と静かに古羊の方へと身を寄せた。



「ねぇ古羊ちゃ~ん? もしかしなくても、あの2人って、かなり仲が悪い感じで?」

「う~ん、どうなんだろう? あんな猫を被りながら感情的になる芽衣ちゃんを見るのは、ボクも初めてだし……ちょっとよく分からないや」

「だよね? 猫を被っているときのアイツは、誰にでも優しいハズなのに……一体ナニが原因なんだ?」



 はて? と首を捻っていると、ガツンッ! と斜め下から質量を孕んだ視線が俺を襲ってくる。


 今度はなんだ? と視線の先に意識を向けると、何故かジトッとした湿った視線で、古羊が俺を睨みあげていた。



「えっ、なに? どったべ古羊? そんな『女心をもてあそぶ鈍感クソ野郎』を見るような目で、俺を見て来て……?」

「ううん、別に。なんでもないよ。ただ、ししょーはそうやって、今まで何人の女の子を泣かせてきたのかなぁ? って思っただけで、他意たいはないよ?」

「他意しかないんだけど?」



 勘違いもはなはだしいとは、まさにこのこと。


 俺がレディーを泣かせてきただと……? 


 確かに俺は、ジャニ●ズもビックリの女泣かせのイケてる顔面をしてはいるが、泣かされるのはもっぱらコッチである。


 俺が女の子に泣かされることはあっても、女の子を泣かした事なんて、人生で1度も無い……あぁ~。


 いや、1回だけあったな。


 俺の脳裏に、もう会うことも出来ない後輩の笑顔がフラッシュバックし、思わず苦い笑みが顔に走る。



「どうしたの、ししょー? そんな悲しそうな顔をして? 大丈夫?」

「なんでもねぇよ。ちょっと昔の事を思い出しただけだから」

「???」



 頭の上にクエスチョンマークを乱舞させる古羊を尻目に、俺は未だに険悪な雰囲気のまま微笑み合っている芽衣とメバチ先輩の間に身を滑り込ませた。



「ストップ、ストップ! もう、なんで2人ともそんな喧嘩腰なの?」

「「誰のせいだと思ってるの!?」」



 何故かメチャクチャ説教された。

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