第7話 ゆずれない想い

 俺とママンの拳が、お互いの頬を完全に捉える。


 瞬間、「パパスッ!?」という謎の奇声と共に、磁石が反発するかの如く、左右反対方向に仲良く吹き飛ぶ母と息子。


 家具やら何やらを巻き込みながら、ドンッ! と壁に激しく背中をぶつける俺。



「ブハッ!? あ、相変わらずなんて重いパンチをしてんだ母ちゃん。中年の放つ拳じゃねぇよ……。顔が消し飛んだかと思ったぜ」



 切れた唇の端から流れ出る血を、乱暴に手の甲で擦る。


 口の中が芳醇な鉄の香りでいっぱいになる。


 ドアに背中をぶつけた母ちゃんがゆっくりと起き上がった。



「当然だ。『母は強し』って言葉を知らねぇのか? これはな、お母ちゃんが世界で1番強いって意味なんだよ」

「なら今日で2番目に格下げだな」

「フッ、抜かしおる」



 嬉しそうに口角を引きあげる母ちゃん。


 それにしても、現役男子高校生の本気の一撃を喰らってもなおピンピンしているだなんて……本当に2児の母親か?


 我が母親ながら、どうかしているとしか思えない。



「行くぞシロウ! 我が一撃を持って、ほふりさってくれる!」

「来いよクソババァ! 返り討ちにしてやるわ!」



 全身の細胞が「駆け抜けろ!」と命令を下す。


 瞬間、床を蹴り上げ母ちゃんの懐に潜りこむ。


 そのまま荒れ狂う感情と共に、母ちゃんの顎めがけて掌底を叩きこんだ。


 ――はずが、俺の掌底は軽く体をのけ反らし、最小限の動きで躱されてしまう。


 そしてのけ反った反動を使い、無防備になった俺の顔面へとヘッドバッドを繰り出してくる。


 ゴンッ! という鈍い音と共に、目の前が白黒にチカチカと点滅する。



「ブフッ!? く、くそったれめ!」

「これで終わりだ、シロウ!」



 視力が回復した俺の瞳がまず捉えたのは、迫りくる母ちゃんの拳。


 それは無慈悲なまでの『力』の結晶。暴力の権化。


 ソレが無防備な俺の顔面へと吸い込まれるように迫ってくる。


 ヤバい、コレは避けられない!? 


 意識が飛ぶ! と瞳を閉じて諦めかけたそのとき。




 ――まだだ! まだ諦めるな! 




 と耳の奥で誰かが囁いた。


 俺はこの声を知っている……これは魂の声。


 俺の体に宿った絶対の命令。


 諦めるな、諦めることはいつでも出来る。


 でも目指すことは今しかできない!




「ッ! そうだ、絶望している時間は俺にはねぇんだよぉぉぉぉっ!」




 折れそうになっていた心を奮起させ、瞳を見開く。


 眼前へと迫る母親の拳。


 もう避けることはできない。


 なら顔面の1つくらいくれてやる。


 その代わり俺は、2人の入浴シーンをもらうぞ!


 俺は顔面を守ることを止め、渾身の一撃を母親の側頭部に叩きこむべく右足を振り上げた。


「なに!?」と驚愕する母ちゃんの顔を、最大火力で蹴り抜く。


 と同時に、母ちゃんの拳が俺の顔面を捉えた。


 刹那、目の前が突然真っ暗になる衝撃と、謎の浮遊感が身体を襲う。


 次の瞬間、俺は放り出された人形のように、背後にあったソファーへとぶつかっていた。


 俺は霧散むさんしそうになる意識の手綱を慌てて握り締めつつ、素早く顔を上げた。


 母ちゃんは左手で俺の蹴りをガードしたようで、悠然と俺を見下ろしながら、



「……やるじゃないか、シロウ。まさかこのお母ちゃんに一撃を入れるなんてな」



 ツツーと唇の端から血を流す。



「知らなかったのか、母ちゃん? 人は『おっぱい』のためなら……本気になれるんだぜ?」



 にやっ、と挑発するような笑みを無理やり顔に張り付ける。


 そうだ、脱衣麻雀しかり、野球拳しかり、人は『おっぱい』のためなら限界なんて軽く超えていけるんだ!



「シロウ……我が息子よ。大神の名を受けつぎし大いなる息子よ。お母ちゃんの屍を踏み越えて行く覚悟は、出来ているか?」

「出来てるよ」

「上等。ならば次の一撃を持って、すべての決着をつけてやろうぞ!」



 望むところだ! と吠え、脚に力をこめる。


 いよいよ親子喧嘩もクライマックス。


 泣いても笑っても次が最後の一撃だ。


 やることは至極ハッキリしている。


 最大速力で、俺が持てる最高火力の右足を、母ちゃんに叩きこむ。


 ただそれだけだ。



「行くぜ、母ちゃん!」

「来い、バカ息子!」



 全神経を右足に集中させる。


 今の俺の力じゃ、きっと足りない。


 母ちゃんには届かない。



 ――それがどうした?



 俺は弱い。


 だから最高だ。


 弱いから、簡単に打ち倒せる。


 簡単に乗り越えられる!


 今日も明日も明後日も、未来の【俺】は今の【俺】を笑って軽く超えていける!


 そうだ、俺は――ッ!




「『おっぱい』のためならば、限界なんて、何度だって超えてみせるっ!」




 脳裏に古羊の、芽衣の女体を思い描く。


 あの柔らかそうな肌を。


 きめ細かい肌を。


 火照った肌を思い描く。


 あの推定Fカップを、自己申告のBカップ(おそらくAカップ)を思い描く。


 ぷるん♪ と古羊の乳が揺れ、揺れるほどない芽衣のAカップ(確信)を鮮やかに思い描く。


 それだけで身体中から力が湧いてくる。


 ……だが足りない。


 これじゃまだ、足りない。



「俺の性欲よ、もっとだ。もっと力を寄こせ! 俺を性欲の権化にしろっ!」



 ありったけの性欲をエネルギーに変換する。


 気が狂いそうになるほどの莫大なエネルギーを、全て右足に注ぎ込む。


 すべての準備は今、整った。


 そして俺は――




「蓮季さん、お先にお風呂いただきました。ありがとうございます」

「き、気持ちよかったです! あ、ありがとうございまふっ!」

「……う、嘘だろ?」




 居間へと帰ってきた2人と遭遇し、膝から崩れ落ちた。



「えっ? し、士狼? どうしたんですか、急に泣き出して? お腹でも痛いんですか?」

「だ、大丈夫ししょー? どこか痛いの?」

「あぁ、心が痛いよ……」



 チクショウ! 俺の運命力が足りなかったばっかりに!


 全国のムッツリスケベのみんな……ごめんな?


 どうやら俺は主人公の器じゃなかったみたいだ!



「あの士狼? なんで顔をケガしているんですか?」

「ほ、ほんとだ!? 私たちがお風呂に行っている間に何があったの!?」



 心配して俺に駆け寄る2人。


 その瞬間、我が家のシャンプーとは違った女の子らしい香りがふわっ、と鼻先をくすぐった。


 ハッ!? として顔をあげると……そこには失われたハズの桃源郷が広がっていた。


 湯上りのせいか頬を蒸気させ、俺をマジマジと見つめる2人。


 芽衣はしっとりと黒髪を濡らしながら、宝石のような大きな瞳で俺を捉える。


 母ちゃんから借りた寝巻きはサイズが合っていないのかブカブカで、なんだか普段よりも幼く見える癖に妙な色っぽさがあった。


 同じく古羊も寝巻きのサイズが合っていないのか、体のラインがハッキリと分かるくらいピチピチピッチのパッツパツ♪ で胸の前でプリントされたクマさんが左右に引っ張られて「ひぎぃ!? もうらめぇ~っ!?」とエロマンガみたいな悲鳴をあげていた。


 その暴力的な色気を前に、気が付くと体中に走っていた痛みはどこかへ消え去り、心が洗われるかのように自然と笑みがこぼれ出る。


 おいおいコイツら、もしかして俺のことを誘ってやがるのか?


 我、夜戦に突入しちゃうか?



「……なんで急にゲス顔になるんですか士狼?」

「……ししょー? ちょっと怖いよ……?」

「そこのバカ息子のことは気にしなくていいぞ2人とも。おいシロウ、そろそろ現実世界に戻ってこい」

「はわッ!? ハッ!」



 映りの悪くなったブラウン管テレビを直すかのように、ゴンッ! と俺の首筋に手刀を叩きこむマイマザー。


 その衝撃で妄想の世界に翼をひろげていた俺の意識がカムバック。そのまま現実世界へリボーン。


 おはよう世界☆ Good Morning World♪



「わ、ワリィ、ワリィ。ちょっと母ちゃんとじゃれ合っていてさ、何も問題ねぇよ。心配してくれて、ありがとよ2人とも」

「……爽やかに洋子のおっぱいをガン見しながら言うんじゃありませんよ。殺すぞ?」

「はぅわっ!?」



 母ちゃんには聞こえない声音で殺害予告を口にする生徒会長と、風呂上りの自分のデカパイを両手で隠そうとする古羊。


 だが残念ながら古羊の細腕では、そのたわわに実ったバイオ兵器を隠し切ることが出来ず、むしろより強調される形となって今まで以上にくっきりハッキリと浮かび上がり……ほほぅ?


 まるで中学生の時に買ったエロいフィギュアのような格好になった古羊に、心の中に住んでいた小さなシロウたちが「やったね!」と歓喜の声音をあげる。


 しかも古羊のヤツ……ノーブラじゃないかアレ!?


 なんというか、左右の胸の中心部分がTシャツを押しのけて浮いているような? アレ絶対地区Bだよね!?


 お、おいおい! 目を凝らせば先端ポッチが見えるんじゃねぇか、コレ!?


 ぎょうッ! と心の中でつぶやきつつ、目にオーラを集中させようとした矢先、いつの間にかは背後に回り込んでいた芽衣が、ぷにっ、とその小さな手で俺の目を塞いでしまった。



「いつまでデレデレしているつもりですか? このスケベめ」

「お、おまえ俺の完璧なポーカーフェイスを見破るなんて……名探偵かよ?」

「なにが完璧なポーカーフェイスですか。不自然なくらい無表情のくせに、目だけは食い入るように洋子の胸ばかり見て」



 どこか責めるような声音で俺に抱き着く芽衣。


 だが残念なことに、俺の背中からは「ぽよん♪」とか「ぷにゅっ♪」といった素敵な擬音を感じることはなかった。


 うぅ、頑張って芽衣の女性ホルモン!


 諦めたら、そこで豊胸ほうきょう終了ですよ?



「確かに、これはちょっとセクシー過ぎるだわさ。でもこれ以上の大きなサイズはお母ちゃんもチワも持って無いし……しょうがない。ごめんねヨウコちゃん、シロウの持っている服で我慢してくれない?」

「し、ししょーの服でふか!? は、はひっ! だ、大丈夫でふっ! も、問題ないでふっ!」



 でふでふっ、と不気味に噛みながら「でゅふふふ」と気持ち悪く笑う古羊。


 目を塞がれている手前どんな表情をしているのか分からないが、何故か脳裏に例の変態仮面の姿がよぎって背筋が震えた。


 そのまま2人分の足跡が遠ざかっていくのを耳にしていると、ようやく芽衣の手から解放される俺。



「よし、2人とも行ったわね。もう目を開けてもいいわよ」

「開けるも何も、おまえが塞いでるんじゃねぇか……って、なんでよその目は?」

「別に? ただ洋子のお風呂上りの姿が見れてよかったわねって思っただけで、他意はないわよ」



 だったら、なんでそんな湿った瞳を俺に向けるんだよ?


 なんだかどことなく責められている気分になるんですけど? 落ち着かないんですけど?


 母ちゃんが居なくなったからか、素に戻った芽衣がやけに刺々しい口調で俺に絡んでくる。


 なんでコイツこんなに不機嫌なんだ? ……って、はっは~ん? なるほどなぁ。


 さては古羊と自分の戦闘力バストの差に絶望……いえ何でもないです。


 だからそんな殺人鬼ような目で見ないでください。怖い……超怖い。



「ふふっ、どこ見てんだ貴様? 殺すぞ?」

「しゅ、しゅみません……」



 ガッ! と片手で頬を掴まれ、強制的にタコ唇にされてしまう俺。


 なんでこの女はイチイチやることがヤクザチックなのだろうか?


 前前前世はヤーさんだったのかな? そのぶきっちょな笑顔めがけてやってきたのかな?



「これだから彼女の居ない童貞はたちが悪いのよ」

「あぁん!? テメェ今、童貞をバカにしたな!?」



 はぁ、とため息をこぼす芽衣をジロリと睨みつけてやる。


 俺は「冗談じゃない!」とばかりに烈火の如く口をひらいた。



「言っておくがな、俺は半端な気持ちで童貞やってねぇから! 本気で童貞やってから!」

「本気で童貞やってるって何よ? テンパリ過ぎて日本語がおかしくなっているじゃない、アンタ……」



 呆れた声音をあげるメリケン処女こと女神さま。


 くそ、このアマ、ふざけたことをのたまいやがって! 


 だいたい俺らの歳で童貞なんて普通のことだから。


 逆に童貞じゃない奴の方が心配だね、俺は。


 だってそうだろう? 


 自分の貞操すら守れない男が、愛する人を守れるワケがないだろう?


 そう力説してやりたかったが、芽衣が「話は終わりだ」とばかりにこれみよがしに、俺の前で小さくため息をこぼした。



「ハァ、もういいわ。アンタがおかしいのは今に始まったことじゃないし」

「それはお互い様だと思う……」

「うるさいわね。いいからほら、士狼もはやくお風呂に入っちゃいなさい」

「OKおかん」

「誰が『おかん』だ?」



 芽衣から解放された俺はいそいそと居間からお風呂場へ移動……する前に、床に落ちていたペットボトルを拾い上げ、ニチャリとほくそ笑んだ。


 ふふっ、どうやら母ちゃんも俺のもう1つの狙いには気がつかなかったようだな。


 そう今、我が家のお風呂場は、現役ぴちぴち女子校生のダシが染み出た宝島となっていることに!


 飲むも良し、学校の奴らに売りさばくのも良しと、まさに一繋ぎの大秘宝である。


 クックックッ、さぁ行こう!


秘湯ひとう、現役女子校生原水』を我が手に!


 世はまさに大海賊時代!




「あっ、そうだ士狼。今お湯を張り替えているから、溢れないうちにお湯を止めといてね?」




 瞬間、俺はペットボトルを床に叩きつけていた。

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