第2話 100秒後に逃げるギャル

 我が森実高校には『男子更衣室』は存在しても、男子更衣室で更衣してはならないという暗黙の掟が存在している。


 よって女の子たちが女子更衣室で着替えている間に、野郎共はさっさと自分の教室に戻り、体操服から制服に着替えなければならないのである。


 そのため、2年A組の野郎共は体育が終わるなり、我先にとばかりに教室へと駆けて行く。


 もちろん俺もこのビックウェーブに乗ろうと、廊下を駆けだそうとして、



「あっ、いたいた! お~い、ししょ~っ!」

「んにゃっ?」



 ピタリッ、と脚を止める。


 もちろんこの世界で俺のことを『ししょー』と呼ぶ人間は1人しか居ないので、俺は彼女の名前を呼びながら振り返った。



「おぉ~、どうした古羊? そんなに慌てて?」

「ハァ、ハァ……よかったぁ~。間に合ったよぉ」



 額に煌めく汗を浮かせながら、体操服姿の古羊がはにゃっ、と顏を破顔させる。


 あとどうでもいいんだけどさ、呼吸を荒げる女の子ってなんかエロいよね?


 体育の後だからか、むんむんと彼女の汗と共に不思議な色気が匂い立っているような気がして、妙に落ち着かなくなる。


 むっ? なんだコイツは? 誘ってるのか?


 あと、俺の近くを歩いていた坂下くんが、今にも俺を殴りかからんばかりの目で見てくるんだけど、どうしたらいいコレ?



「えっとね? 実は今日、家庭科の授業でクッキーを作ったんだ。それでね? よかったら、ししょーにもおすそ分けしたいなぁ、なんて……」

「えっ? クッキーくれんの? ラッキー☆」



 モジモジと膝を擦り合わせながら、俺の顔色を窺うように上目使いで尋ねてくるなんちゃってギャル。


 それはそうと、さっきから坂下くんの視線が有名過ぎて逆にチープに聞こえてしまう名スナイパー【クリス・カイル】を彷彿とさせる鋭いモノになっているんだけど……なにあれ? 同級生に向ける瞳じゃないよ?



「ししょー、クッキー……いる?」

「いるいるっ! 超いるっ! よこたんの作るお菓子は超うめぇからなっ!」

「ほんとっ!? それじゃ、このあとのロングホームルームが終わったら持って行くね?」

「おうっ、楽しみにしてるわ!」

「うんっ! 楽しみにしててねっ!」



 パァァッ! と顏を華やかせながら、今にもスキップせんばかりの上機嫌で女子更衣室へと引き返していく古羊。


 綺麗に整えられた亜麻色の髪を靡かせながら、ピコピコと架空のシッポをブンブン振り回して消えていく。


 ほんと仕草と行動がいちいち子犬チックなんだよなぁ、アイツ。


 気を抜くとお持ち帰りしてしまいそうだ。


 なんて考えていると。



 ――ガシッ。



 と唐突に後ろから何者かに肩を組まれた。



「なぁ大神カス?」

「どうしたアマゾン? そんな真面目くさった顔して? らしくないぞ?」

「古羊さんさぁ……妙におまえに懐いてないか? んん?」



 声だけは底抜けに明るいのに、その瞳は取調室の刑事のように鋭い。


 同じく、いつの間にかアマゾンの横にスタンバイしていた坂下くんが、真顔で俺の顔を覗きこんでくる。


 その表情は俺の一挙手一投足を逃さねぇっ! と言わんばかりで……もう野獣にしか見えない。



「いかにも。古羊は俺に懐いているが?」

「なるほど、なるほど。……で? 一体どんなエロい催眠術を使ったんだ?」

「いや使ってねぇよ?」



 ナニ言ってんだコイツ? と呆れた視線をアマゾンに投げかけた瞬間、坂下くんが烈火の如く怒りだした。



「嘘を吐くんじゃねぇ! 大神ごときでも女の子と仲良くなれる催眠術があるんだろ、ホントはっ!? じゃなきゃ、あの古羊ちゃんの顔に説明がつかないだろうがっ!」

「古羊の顔?」

「あぁそうさっ! 僕には分かるっ! アレは完全にメスの顔だった! 親の顔よりも見てきた顔だった! チクショウ、なんで大神ごときがラブリー☆マイエンジェルと仲良く出来て、僕は避けられるんだ!? 理不尽すぎるだろ、コンチクショウがっ!? 血管がはち切れそうだっ!」

「落ち着け坂下。大神を処刑したい気持ちはオレも一緒だ。だがまずは、コイツが使っている催眠術を教えてもらうのが先決だ」



 発狂し始める坂下くんをたしなめるアマゾン。


 坂下くんは半ば八つ当たり気味に声を荒げながら、



「というかさぁっ! 古羊ちゃんも何なん? 日に日に可愛くなっていくじゃん!? なんなの、あの子? もう好きっ! 抱いてっ! いや、抱かせてっ!」

「確かに。ここ最近の古羊さんはヤバいよなぁ。なんぅか、色気がグッと増したというか、女っぽくなったっていうか」

「そうそれっ! もうあの乳とあの尻は反則だわっ! 歩く生物兵器だわっ!」

「分かるぅ~♪ 1度でいいからあの爆乳でパフパフされてぇ……」

「僕はあのデカ尻に顔を埋めて永住したい……あっ」



 軽快に欲望を垂れ流しにしていた坂下くんの唇が、ふいに停止した。


 それどころか青い顔で俺を見つめながら、何故か唇をアワアワと震えさせる始末で……うん?


 あれ? 違うなコレ? 


 俺じゃなくて、俺の後ろを見てんのかアレ?



 俺は彼の視線に釣られる形で後ろへと振り返ると、そこには――去っていたハズの古羊が顔を真っ赤にしてピシリッ! と固まっていた。



 その表情は何とも気まずげで……おっとぉ?


 これは完全に聞こえちゃってましたねぇ。



「あ、あの、その、え~っと……。し、ししょーに放課後の予定を聞こうと思ったんだけど……お、お邪魔だった……かな?」

「こ、古羊ちゃんっ!? こ、これは違う!? 違うんだ!」



 坂下くんが1歩踏み出した瞬間、ビクッ!? と肩を震わせて、彼から逃げるように、1歩真後ろへと後退する古羊。



「だ、大丈夫っ! お、男の子だもんっ! そういう想像くらいするよね普通っ! うん、分かってる! ボク、分かってるからっ!」



 坂下くんから目を逸らし、わたわたっ!? と意味もなく両手で宙をかき乱す古羊。


 かと思えば、ダッ! と磁石が反発するかのごとく、俺たちから背を向け、明日に向かって走りだした。



「ご、ごめんねぇぇぇぇぇぇぇ~~~~っっ!?」



 パピュ~ッ! という擬音が聞こえてきそうなほど、気持ちのいい逃げっぷりに、思わず「おぉ~っ」と感嘆の声をあげてしまう。


 ハーフパンツの上からでも分かるほど、プリプリとしたお尻が俺を誘うように左右に揺れていて……なるほど。


 確かに坂下くんの言う通りだ。あのデカ尻に鼻先を突っ込んで愛を叫びたいな。


 俺は坂下くんに同意するべく彼の方へ振り返ると、何故か涙と鼻水で顔をグシャグシャにした坂下くんとアマゾンがそこに居た。



「……終わった」

「グッバイ・マイ・ラブ……」



 2人同時に膝から崩れ落ちる。


 脅威のシンクロ率だ。


 瞬間、心、重ねている。



「お~い、そこのバカ共どもぉ? 次の授業もあるんだから、はやく着替えろよぉ?」

「う~す」



 近くを通りかかった体育の先生に挨拶を交わしながら、俺は2人をその場に置いて歩きだした。


 今日も今日とて、森実高校は平和である。

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