第19話 インスタント・ヒーロー

 いつだって古羊洋子のヒーローはテレビの中だった。


 悪者をやっつけ、困った人を助ける、完全無欠のスーパーヒーロー。


 でも洋子は知っている。


 この世にスーパーヒーローなんて居ないことを。


 いつだって現実は不条理で、悪意に満ちていて、悲しいまでに理不尽であることを。


 彼女は知っている。


 いくら困っていても誰も助けてくれない、自分でどうにかするしかない。


 ヒーローは自分のもとにはやって来ない。


 だからっ。



「よしっ、行くぞおまえら。ヘヘッ、メンドクセェ仕事だと思ったが、楽しくなってきやがった」

「じ、自分、あのデケェ胸で挟んでもらうっす!」



 このスケベめ、と下品に笑い合う3人の男たち。


 たった今から女の子を犯すためだけに暴れ回るつもりなのだ。


 傷つけられる者の痛みが分からず、その重みすら分かっていない。


 ただ、自分たちより弱い者は搾取さくしゅされて当然、痛めつけることは当たり前の権利だと信じて疑っていないだけ。


 そんなクソ野郎たちの前に。



「い、行かせない……っ」



 立ちふさがる者が1人。


 木製のバッドを正面に構え、へっぴり腰のまま立ちふさがる女の子が1人。


 誰よりも臆病で。


 誰よりも優しくて。


 誰よりも友達想いの女の子。



「こ、ここから先は……ゼッタイに行かせないっ!」



 古羊洋子が覚悟を決めて立っていた。



「「「はぁ……?」」」



 最初に訪れたのは男たちの呆けた声であった。


 今にも泣き出しそうな女が、何故自分たちの目の前に立ちふさがっているのか理解できなかったからだ。


 だが数秒遅れて、耳ピアスが何かを思い出したかのように「あっ!」と声をあげた。



「リーダー、確かこいつ羊飼って女の取り巻きの1人ですぜ」

「あっ? ということは何だ? もしかしておまえ、オレたちから羊飼芽衣を守ろうとしてるのか?」



 洋子はコックリと大きく頷いた。


 固い決意を秘めた蒼い瞳で、まっすぐ男たちを見据える。


 呼吸は苦しいくらい荒いし、心臓は今にも飛び出しそうなくらい五月蠅い。


 それでも気持ちは1歩たりとも引いていない。



「ぷっ……っ!?」



 金髪頭の表情が大きく歪んだ。


 かと思えば、パンパンに膨らんだ風船を割ったかのような笑い声が辺りに大きく木霊した。



「アハハハハハハハハハッ!? ヒィ~、バカだっ! バカが居る!? たった1人の女を守るためにオレたちに喧嘩を売ってきたぞ、この女っ!?」

「舐められたもんですねぇ。たった1人で『狂犬』と呼ばれた自分たちに勝てると思ってるんですかねぇこのアマ?」

「でもコイツ、あのパツパツの胸元といい、大きくて柔らかそうな上向きのお尻といい、とんでもなくエロい身体してますよ?」



 ヤス、と呼ばれた茶髪の天然パーマがゴクリッと生唾を飲みこんだ音が鼓膜に届く。


 それと同時に、金髪頭と耳ピアスの全身を舐めるような下卑げびた視線が洋子を襲った。



「確かに、ヤスの言う通りですねリーダー。あの身体、最高に抱き心地が良さそうですよ?」

「そうだなぁ。ここで逃すのはもったいねぇよなぁ」



 男たちは肉食獣のようにギラついた瞳で洋子を見据える。


 気のせいか、天然パーマの下半身がやんわりとモッコリしている気がしてならない。


 洋子は身の危険を感じつつも、歯を食いしばって3人を睨みつける。


 それが余計に男たちの興奮を高めたのか、もう辛抱堪らんっ! と言わんばかりにヤスが駆けだした。



「とりあえず羊飼と2人まとめて美味しくいただくか。ヤスッ!」

「分かってますよリーダーッ!」



 自分に抱き着こうしてくる天然パーマに向かってバッドを振り回す洋子。


 だが喧嘩慣れしているのか、天然パーマはアッサリとバッドを避けるなり、簡単に洋子を組み伏せてしまった。



「キャッ!?」

「はい終わり~♪ それじゃ次は制服を脱ぎ脱ぎしまちょうねぇ~、ふひっ♪」



 みっともなく鼻の穴が膨らんだ天然パーマの指先が洋子のはち切れんばかりの胸元へと伸び。




 ――ブシュウッ!




 瞬間、ポケットに入れていた催涙スプレーを天然パーマめがけて噴射していた。



「~~~~~~ッッッ!?!? ガァァァァァァァァァァッッッ!?」



 目を押さえながら地面をのたうち回る天然パーマ。


 洋子は慌てて立ち上がりながら、男たちから距離をとった。



「こ、このクソあまがぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?!? 殺すっ! 絶対に殺すっ!」

「なにやってんだヤス? ……ったく」


 耳ピアスがあきれたような声を漏らしながら、ゆっくりと洋子に近づいてくる。


 洋子は今再びバッドを構え直し、耳ピアスに向かって大きく振りかぶった。



「トロいなぁ。こんなんじゃ当たらない――アババババババババッ!?」



 バチバチバチッ! と電気の破裂音が空気を切り裂く。


 見ると、耳ピアスの身体にスタンガンが押し当てられていた。



「こ、の……カヒュ」



 感電して動けなくなった耳ピアスを地面に横たえ、洋子は金髪頭と向き直った。


 あと1人、あと1人っ!


 自分を全力で鼓舞しながら、睨みつけるように金髪頭を射抜くと「コイツは驚いた……」と余裕の表情を崩すことなく柏手かしわでを打ち始めた。



「ヤスだけじゃなくてカオルまで、女1人でよくやったと褒めてやるよ。でも」



 これでしまいだ。


 そう金髪頭が口にした瞬間、洋子の背後から彼女の脇腹めがけて『ナニか』がぶつかった。



「~~~~~~ッッ!?!?」



 途端、悲鳴すらあげることなく吹き飛ぶ洋子。


 い、一体なにが!? と身体に走る痛みを無視して、さっきまで自分が居た場所に視線を向けると。



「なにやってんすかリーダー、こんなとこで?」

「羊飼芽衣って女をヤりにいくんじゃなかったんすか?」

「つぅか、このエロい白ギャル誰よ?」



 木刀を持った3人の男が、怪訝そうな瞳で洋子を見下ろしていた。



「そ、そんな……」



 ほ、他にもまだ仲間が……っ!?


 一瞬にして絶望のどん底へ叩き落された洋子のもとへ、目を真っ赤に充血させた天然パーマのヤスがやって来た。



「このクソあまッ! おれのビッグマグナムでハメ殺してやるっ!」

「ッ!? い、いや離してっ! イヤァァァァァァァァッッ!?!?」



 なんで殺気立ってんだアイツ? と後から来た3人が天然パーマを見つめる。


 が、そんな周りの目などお構いなしと言わんばかりに茶髪の天然パーマは乱暴な手つきで洋子の胸元を引きちぎった。


 途端に、彼女の淡い水色のブラジャーでおおわれた豊満な胸が外気に晒されて、ふるふると艶めかしく揺れる。


 おぉ~っ! と歓声をあげる男どもを尻目に、金髪頭が面倒臭そうに声をあげた。



「おいヤス、ハメるのは後にして先に羊飼を獲りに行くぞ? おまえしか場所知らねぇんだから」

「男を誘ういやらしい身体しやがって! ホントはおれの事を誘ってんだろ? この淫売がっ!」

「あぁ~、こりゃダメですねリーダー。ヤスの奴、完全に我を忘れてます」

「ハァ、このバカ……」



 心底面倒臭そうにため息をこぼす金髪頭。


 そんなことお構いなしに、洋子の胸を揉みし抱きながらカチャカチャとズボンのベルトを外す天然パーマ。


 あまりの気持ち悪さに洋子も必死に暴れるがビクともしない。


 気がつくと洋子の目からポロポロと涙があふれ出ていた。



「お、お願いします……やめてください」



 命乞いでも始めたのかと思い、ゾクゾクと天然パーマの背筋に危ない快感が走る。


 だが、彼女が口にしたのは彼の予想を覆いに裏切る言葉だった。




「頑張ってきたんです……一生懸命頑張ってきたんです。お願いです。お願いですから、コレ以上メイちゃんから何も奪わないでください……」




 すがるように、涙でグシャグシャになった顔で必死に訴えた。


 この期に及んでも彼女は、自分の心配よりも大切な親友の心配をしていた。


 恥も外聞も関係なく、懇願こんがんするように。



「どうかお願いします。ボクの大切な親友を」



 やっと前を向いて歩き始めたあのを。




「壊さないで……」




 か細く震える声が地面に転がる。


 天然パーマの肩がわなわなと震えていた。



「おいおいマジかよ……」



 なんて。



 なんてイジめがいのある女なんだっ!



 茶髪の天然パーマの嗜虐心しぎゃくしんにボッ! と火が灯った。


 涙で濡れた大きな瞳でまっすぐコチラを射抜きながら、自分のためではなく他人のために必死に懇願する姿に、天然パーマは生まれてこのかた感じたことのない興奮を覚えていた。


 へし折りたい。


 この女のプライドも、尊厳も、何もかもを、へし折り穢(けが)してやりたいっ!


 よし決めた、絶対にこの女は自分のモノにしよう。


 ほの暗い覚悟と共に、天然パーマの口角が三日月のように歪んだ。



「じゃあ、その『メイちゃん』も一緒に2人仲良くぶっ壊してあげるね♪」



 洋子の顔が絶望に染まる。


 もう興奮でどうにかなってしまいそうだった。


 天然パーマはズボンの中から張りつめた自分の分身を洋子の前にさらけ出した。


 洋子は涙で濡れた顔を歪めながら、何度も何度も謝った。




 ごめんねメイちゃん、ごめん……。




 やっぱりボクなんかじゃダメだったよ……。



 いつだって現実は不条理で、悪意に満ちていて、悲しいまでに理不尽だ。



 どんなに困っていても、助けを求めても、スーパーヒーローはやってこない。



 だってこの世界にスーパーヒーローなんて居ないのだから。




「ふひひっ♪ それじゃさっそくそのデカパイでおれのを挟んで――」



 天然パーマの汚い欲望が洋子の身体を蹂躙じゅうりんする寸前。






 ――風が吹いた。






 突如として彼女を押さえつけていた天然パーマの身体が、弾丸の如き勢いで遥か後方に吹っ飛んで行ったのだ。





「「「「「……はぁっ?」」」」」




 男たちの唇から間抜けた声が溢れ出る。


 なにが起きたのか分からなかった。


 お楽しみに入ろうとしていた自分の仲間が、何の脈絡もなくいきなり吹っ飛んだのだ。


 ほぼ地面と平行に。


 ありえない飛行体勢で。



「……えっ? 人間ってあんなまっすぐ地面と平行して飛べるモノだったっけ?」



 男たちの1人が呆然とした様子で、数メートル先で泡を吹いて気を失っている天然パーマに視線を向けた。


 そんな中、ただ1人、古羊洋子だけは違うモノを見ていた。


 彼女の瞳は、ちょうど数秒前、天然パーマの顔面を蹴り抜いた赤髪の少年を捉えていた。



「なってねぇ。なってねぇなぁ」



 ポツリと溢した少年の小さな言葉は、不思議とこの場に居る全員の身体に大音量となって駆け巡った。


 瞬間、弾かれたように振り返る金髪頭と取り巻きたち。


 彼らは洋子の前で静かにたたずむ少年を認識するや否や、息を飲んだ。


 まるで背筋に無理やり氷柱を埋め込まれたような怖気おぞけ。圧迫感。


 細胞が一気にあわ立つ。


 頭で考える前に、本能が理解した。


 理解してしまった。





 突然現れたこの男はヤバいと。





 男たちは知っている。


 世の中には喧嘩を売ってはいけないたぐいの人間が居ることを。


 そして自分たちの目の前に居る少年は、間違いなく『あちら側』の住人であることを。



「レディーの扱いがなってねぇなぁ。なぁ、坊主ども?」



 赤髪の少年の瞳がふいに洋子に向けられた。


 ドキッ、と心臓を高鳴らせる彼女に、少年は人懐っこい笑みを浮かべてこう言った。



「よく1人で頑張ったな。お疲れさん。あとは俺に任せとけ」



 親指を突きたて、ニカッ! と笑みを深める少年に洋子は何も言えなくなる。



 いつだって彼女のヒーローはテレビの中だった。



 悪者をやっつけ、困った人を助ける、完全無欠のスーパーヒーロー。



 でもそんなヒーローはこの世に居ない。



 居ないハズなのに……。



「さぁ、ここから先は選手交代だ。死にてぇ奴からかかってこい」



 洋子の目の前、そこには。


 不敵な笑みを浮かべたヒーローが立っていた。


 スーパーヒーローが立っていた。




 大神士狼が――立っていた。


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