第69話 おはよう
「おはよう」
「おはよー」
朝の挨拶を交わす人達の声——。
俺はそんな周囲から聞こえてくる声に朝を感じつつ、今日もいつもどおり一番後ろの一番端の席に座りパソコンをいじっている。
SNSのページを開けば、トレンドには『DEVIL's LIP』の文字。
いよいよ間近に迫ってきたDEVIL's LIPのデビュー日。
デビューまで残り数えるばかりとなった今、世間の注目度も日に日に増していっているのであった。
通常なら、Vtuberの多くはまずライバーとしてデビューし、その後3Dでのライブが行われるのが一般的だろう。
しかしDEVIL's LIPは、配信より先にデビューライブが予定されているのが、他のVtuberとの大きな違いと言えるだろう。
彼女達のキャッチコピーである『悪魔でアイドル』。
それは、彼女達のモチーフである『悪魔』と、副詞としての『あくまで』の二つを掛け合わせた言葉遊び。
でもそこには、彼女達は配信者ではなく、あくまでアイドルなのだというメッセージが込められているのである。
だからこそ、配信からではなくアイドルとしてスタートさせる。
それが他のVtuberグループと、大きく異なっている点と言えるだろう。
しかしそれは、普通に考えるとかなり無理があることなのだ。
3Dでのライブを行うための金銭面の負担、それから何より、いきなりファンのいない状態でのライブを行うことのリスク面の不安——。
この二つを考えれば、通常取れる選択肢ではないだろう。
それでも、同じ事務所には俺達FIVE ELEMENTSがいる。
FIVE ELEMENTS初の妹分グループという話題性、そして、既に公開されている彼女達のキャラデザのレベルの高さ。
この二つがDEVIL's LIPに対する大きな信用となり、まだ声も聞いたことがないにも関わらず、既に多くのファンがついているのであった。
チケット販売サイトを開けば、売り切れの表示。
それほどまでに、DEVIL's LIPへの期待は大きいのであった。
「おはよう、彰」
周囲から聞えてくる挨拶の声より鮮明に、俺のよく知る声が聞こえてくる。
振り返ればそこには、梨々花の姿があった。
ふんわりと微笑みながら、こちらに小さく手を振る梨々花。
それはいつもどおりではあるものの、何だか今日は凄く嬉しく感じられる。
「うん、おはよう梨々花」
だから俺も、梨々花の名前を呼びながら挨拶を返す。
するとその瞬間、周囲の視線が一斉にこちらへ向けられるのが分かった。
それはまるで、俺と梨々花が初めて一緒に授業を受けたあの日のようであった。
一体何故……なんて、そんな鈍感なことは言わない。
それはきっと、俺と梨々花が下の名前で呼び合っているせいだと分かっているから。
だから俺は、気にしない。
周囲がどんな反応をしようと、これは俺と梨々花の話なのだから。
隣には、同じく周囲の目なんて全く気にする素振りも見せない梨々花。
こうして見ると、梨々花のスルースキルはさすがの一言だった。
俺とは違い、普段から注目されることの多い梨々花だからこそと言えるだろう。
「ねっ、彰! これ!」
すると梨々花は、そう言って鞄から何かを取り出すと、それをすっと俺に差し出してきた。
何だろうと受け取るってみると、それはなんとDEVIL's LIPのデビューライブチケットだった。
「え、これ……」
「彰にあげるっ!」
「いや、でも……」
「いいのいいの! わたし達、チケット貰ってるんだけどさ、別にあげる相手もいない的な?」
そう言って、ちょっと困ったように笑う梨々花。
たしかにその気持ちは、Vtuber活動を打ち明けている友達のいない俺にもよく分かった……。
でも、俺が言いたいのはそうじゃなくて……。
「……いや、ごめん。俺、もうチケット持ってるんだ」
「ふぇ?」
俺の言葉に、きょとんと驚く梨々花。
そして次第にその頬が、赤く染まっていく。
「……か、買ってくれたの?」
「まぁ……そういうこと」
梨々花には悪いが、もちろんこれは嘘である。
何故なら俺は、当日は客席ではなく同じステージに立つのである――。
だからこのせっかくのチケット、客席から見ることのできないと分かっている俺が、ここで受け取るわけにはいかなかった。
俺のせいで、この大事なデビューライブに一人欠員を作るなんて、絶対に許されないからだ。
「あ、ありがとう……じゃあ、これは他の人に渡そうと思います……」
「うん、そうしてあげて。俺も楽しみにしてるからさ」
そう俺が笑いかけると、梨々花も嬉しそうに微笑んでくれた。
こうして微笑み合う俺達のやり取りもまた、周囲をざわつかせるのには十分なのであった。
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