第34話 チェキ

「じゃ、そろそろいいかな」


 注文したジュースも飲み干し、そろそろ帰るかなと思っていたところ、クリスがメニュー表を手にそう口にする。

 一体何をする気だと思っていると、クリスは偶然隣を通りかかった藍沢さんを狙い定めたように呼び止める。


「ねぇあなた、これをお願いしたいわ」

「え、わ、わたくしですかっ!?」


 いきなり何かに指名された藍沢さんは、仕事中ではあるものの驚きを隠せない様子だった。

 そしてすぐに俺の方を見てくるから、何も知らない俺は慌てて首を横に振った。


 ――クリスのやつ、何をお願いしたんだ!?


 状況が把握できない俺は、藍沢さん同様焦り出す。

 そんな俺を見て、藍沢さんも何も知らないことが分かったのか、苦笑いを浮かべるも首を縦に振る。


「か、畏まりましたお嬢様。では、準備して参りますね」


 そして藍沢さんは、そう言ってお店の奥へと向かって行ってしまったのであった。


「ねぇクリス、何をお願いしたの?」

「これだよ」


 紅羽の問いかけに、クリスはメニュー表を見せてくれた。


『萌え萌えチェキセット!』


 ん、チェキセット……?

 そのワードに、俺は不穏な空気を感じる……。


 すると、すぐに奥から藍沢さんともう一人、カメラを手に戻ってきた。


「はい、ではご注文いただきましたお嬢様達との、萌え萌えチェキを撮影させていただきますぅ! どうぞ、ステージの方へー!」


 こうして俺達は、メイドさんに言われるままステージの方へと案内される。


「え!? お、俺も!?」

「せっかくだから、みんなで撮ってもらおう」


 クリスだけだと思っていたが、どうやら全員が対象だったようだ。

 そのため、俺も一緒にステージの方へと向かうのだが、周りは俺以外全員女性。

 オマケに全員が美人のため、周囲からの視線も集まっており、どうにも居心地の悪さを感じていると背後から背中をポンと叩かれる。


 何事だと振り向くと、そこには頬をほんのりと赤く染めながら、目を細める藍沢さんの姿が待っていた。

 その物凄く何か言いたげな表情に、俺はまた困惑するしかなかった。


「はい! じゃあご主人様とお嬢様は、りりたんの周りに並んでくださいね!」


 もう一人のメイドさんに指示されるまま、俺はみんなと一緒にステージへと並ぶ。

 結果、気付けば俺は藍沢さんの隣に収まっていた。


 藍沢さんと目が合うと、お互いちょっと気まずくてすぐに目を逸らす。


「じゃあ撮りますよー! せーのっ! イチ足すイチはぁー? ニコニコプンっ!」


 パシャリ――。


 こうしてあれよあれよという間に、何だか癖の強い合図とともにチェキの撮影を終えたのであった。


「ありがとうございましたー!」


 藍沢さんもすっかり元通りで、しっかりプロのメイドさんとしてとびきりの笑顔を振り撒いてくれていた。

 そんな藍沢さんに、クリスはもう興味津々な様子で珍しくテンションを上げており、紅羽もそんなクリスを見て笑っていた。


 ――まさか藍沢さんも、彼女達がFIVE ELEMENTSだとは思いもしないだろうなぁ。


 それこそ、今藍沢さんの目の前に立っているのは紅カノン本人なのだ。

 ずっと推しだと言っていたカノンと、まさか今対面していることに気付けないというのはちょっと可哀そうでもあった。


 でもこれから、藍沢さんもVtuberデビューを控えているのだ。

 その時になれば、きっと二人はお互いの正体を知ることになるだろうし、そしたら今日のことも笑い話になるといいなと思いながら、俺はその微笑ましい光景を一歩引いて見守っていた。



 しかし、そんなお気楽ムードもそれまでだった――。

 一緒にその輪には加わらず、俺の隣にいた穂香がそっと耳打ちしてくる。



「ねぇ彰、わたし気付いちゃったんだけどさ。――あの子、TAMAGOさんでしょ?」



 その告げられた言葉に、俺の頭は真っ白になっていく――。


「え? な、なんで?」

「いや、声で分かるし、さっき目を合わせてたでしょ」


 そうか、気付かれてたのか……。

 思えば、この場で穂香だけは藍沢さんの声を知っていたのだ。

 失敗だったと思っても、こうなってしまっては完全に後の祭りだった。

 だから俺も、諦めて返事をする。


「――ああ、そうだよ。ただ、お互い知らないフリをすることになってるから、そっとしといて貰えると助かる」

「ふーん、まぁいいけどさ。あの子が同じ大学で一番の美人ねぇ」

「な、なんだよ?」

「ううん、別に。――ただ、本当に綺麗な子だなって思っただけ」


 そう言って穂香は、クリス達と笑い合っている藍沢さんの姿をじっと見つめていた。

 その様子に、絶対何か思うところがあるのだろうとは思いつつも、これ以上この話を広げないためにもそれ以上首を突っ込むのは止めておいた。


 そんなわけで、無事チェキ撮影も終わり、そろそろ帰ろうかという空気が流れたその時だった――。


 クリス達のもとからすっと抜けて、こっちへ歩み寄ってくる藍沢さん。

 そしてニッコリと微笑みながら、手にしたメニュー表を差し出してくる。


「ご主人様も、チェキ撮りますよね?」

「え!? いや、俺は……」

「撮りますよね?」

「え、えぇ……じゃあ、はい……」


 強引に言わされた俺は、すぐに藍沢さんに腕をグイッと引っ張られる。


「めぐたん! もう一枚お願いしまーす!」

「あ、うん! じゃあ、行きますよー! イチ足すイチはぁー? ニコニコプンっ!」


 パシャリ――。


 こうして、何が何だかよく分からないまま、今度は二人きりで撮ったチェキ。


「(あとでその写真、わたしにも送ってね)」


 そして藍沢さんは、耳元でそれだけ囁くとすぐに去って行ってしまった。

 俺はそんな藍沢さんの背中を、ただぼーっと見つめることしかできなかった。


「……あなた達、本当にただの友達?」


 その結果、そんなやり取りを一部始終見ていた穂香から、そんな疑問が投げかけられるのであった――。



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