第17話 ゲルディアの森

 すっかり夕方になっていた。

 木々の間から差し込む光が橙色で、森に棲む鳥たちも家に帰ってきて寝る準備を始めている。

 森の奥にずいぶん古い教会の廃墟があった。今は壁も崩れ、屋根も半分なくなってはいるが、近くに湧き水の流れる場所があり、休憩するには悪くない。

 蔦が絡み、苔も生えた壁に凭れ掛かって、カミルは目を閉じていた。両手を頭の後ろに置き、胡坐をかいている。

 私は耳を澄ませ、ギルベルトの足音がしないか、気配がしないか、と常に神経を研ぎ澄ませていた。

 あれから数時間。不安が押し寄せては、胸を切り裂くような考えが襲ってくる。その度に、頭を振って意識的にその考えを追い払う。


「ミア」


 いつの間に目を開けたのか、カミルがこちらを見ていた。


「このままずっとここにいるわけにはいかない。もし、ギルベルトが来なかったら……俺たちは進まないといけない。ギルベルトが行こうとしたところじゃないけど、俺の住むところなら危険はないと思う。そこへ行こう」


真剣な表情で、カミルはそう言った。


(ギルベルトが来なかったら……?)


 嫌だ。ギルベルトが帰って来ないということは、彼がこの世の人でなくなったということだ。

 毛先の跳ねる赤銅色の髪。意志の強い鳶色の瞳。ほとんど笑わない仏頂面の顔。

 心にまで響いてくる低い声。その大きな手、逞しい体。

 思い出すだけで、視界が滲む。


(やだよ……ギル。戻って来てよ……ここにいるよ。私たち、ここにいるから)


 その時、ぽきっと枝を踏む音が聞こえて、反射的に音のした方に目を走らせた。


「おい、お前ら。焚火くらいしろよ」


 そこに現れたのは、紛れもなくギルベルトだった。

 赤銅色の髪を無造作に掻きあげて、肩から大きな麻袋を下げている。


「ギル!」


 私は立ち上がり、思わず駆け出していた。

 ギルベルトは飛び込んだ私を、両手で受け止めた。


「遅くなったな」


 見上げたギルベルトの左頬に、横に走る切り傷があった。

 血は乾いているが、痛々しい。


「ギル、傷が……」


「ああ。でも、大したことないから、安心しろ」


「おい、ずいぶん遅かったな。待ちくたびれたぜ」


 カミルが努めて面白くなさそうな声を出しているが、その実、嬉しい気持ちが伝わってくる。


「悪かったな。お前らがどこに逃げたかわからなくて、探してたんだよ」


 ギルベルトは、私の肩を掴んで回れ右させて背中を軽く押し、カミルのいる教会の廃墟へと近寄った。


「助かった、カミル」


ギルベルトはいつになく穏やかな口調でそう言った。

カミルはギルベルトを見上げたあと、照れたように顔を背け、「別に……」とぼそっと呟く。

 集めた小枝で作った焚火を囲い、夕食にした。

 ギルベルトの赤銅色の髪が赤々と見える。


(ギルがいる。目の前にいる)


 先程までの怖ろしい想像はすっかり消え失せ、今はただ彼が傍に居てくれることが嬉しかった。


「しかし、ゲルディアの森に入ることになるとは思わなかった。俺はこの森の地理を知らない……ここは、ゴブリンの洞窟のあったゴドウェルの森より大きい。すぐ抜けられるかどうか」


 ギルベルトはいつになく不安げだ。


「まあ、何とかなるっしょ。追手も森の方が巻きやすそうだし。そもそも、見つけられないんじゃない?」


 カミルが干し肉を噛み切りながら言う。


「ギル、もし良かったら、私が占うよ。前に鍵を探したときは大丈夫だったし、一度くらいなら体の負担はないみたい。できれば、日に何度までなら耐えられるのか試してみたいんだけど、旅の途中でそれは無理だしね」


 ギルベルトは眉根を寄せたが、少し考えてから頷いた。


「そうだな。頼む。最短ルートを占ってもらおうか。今はとりあえず、食べろ。力をつけないことにははじまらないだろ」


 少しだけ胸が軽くなったのを感じながら、急いで林檎を口に運んだ。 










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る