第15話 私…お兄さんのことが…

「お兄さん、今から何をします?」

「だったら、ジュースでも飲もうか?」


 妹と二人っきりでデパートの廊下を歩く春風浩紀はるかぜ/ひろきは、そんな提案をした。


「ジュースだけ?」

「しょうがないだろ。今は夏芽先輩と一緒に水着選びに来てるんだ。メールでも言ったと思うけど、午後からだったらよかったんだけどな。俺、すぐに戻らないといけないから。そこに丁度良く自販機があるしさ、飲みながらちょっと話でもする?」

「……やっぱり、先輩の方がいんですか?」

「そういうわけじゃないけど。今は、先輩と部活の一環で水着を選んでいただけで」


 浩紀は隣を歩いている妹へ、溜息交じりな返答をする。




「私……お兄さんと一緒にいたいだけなのに……」


 妹の友奈ゆうなはつまらなそうに、ボソッと呟いた。

 浩紀に聞こえないほどの声で――




「友奈と一緒に街中で遊ぶとか。久しぶりだよな……えっと、時間があるときだったら、普通に遊べるからさ。今は我慢してくれないか?」

「まあ、いいですけど……でしたら、ジュース代は奢ってくださいね」

「わかってる」


 浩紀は頷き、比較的大人しく寄り添っている妹へ返事を返す。

 そして、デパート内の休憩スペースへと到着するなり、ズボンのポケットから財布を取り出した。


 浩紀は自販機前に立ち、一先ずお金を入れる。


 そういえば、友奈は何を飲みたいんだろう?


 浩紀は確認のため、振り向くように妹の方へと視線を向けた。

 友奈は、すでにベンチにちんまりと座っていたのだ。


「友奈は何を飲みたい?」

「それは、お兄さんに任せます」

「そうか。じゃあ……ショコラ風味ジュースでもいい?」

「……それ、苦手なので」

「そうか。だとしたら……コーンスープ系のジュースとかは?」

「……お兄さん。なんで、そんなマニアックな味ばかり選ぶんですか? それ以外にも、その自販機にはありますよね?」

「それ以外? お茶とか?」

「それでいいです」

「任せるって言う割には、結構注文が多かったな」

「お兄さんの選び方が変なんです」


 友奈からジト目を向けられてしまう。


 浩紀はお茶のペットボトルを購入すべく、自販機の特定のボタンを押す。


 音を立てながら、ペットボトルは入り口のところへ落ちてきた。


 浩紀も同じくお茶のペットボトルを選ぶことにしたのだ。

 その二つを手にする。


 友奈って、意外と落ち着いた感じの飲み物を好むんだな。


 昔なら、濃いめの味が好きだとか言っていたこともあり、ショコラ風味とかを最初に選んだわけだが。

 時間というのは、人の価値観も変えてしまうものなのだろう。

 むしろ、変化するのが人間なのだ。

 それは成長という行為であり、人はそういうものだと思う。


 浩紀は二つのペットボトルを手に、友奈がいるベンチへと向かうのだった。




「お兄さんは、実のところ、先輩のことは好きなんですか?」

「それ、今聞くのか?」

「はい。私、そういうところは明確にしておきたいので」


 隣のベンチに座っている妹の瞳は真剣そのものだった。

 この状況、何かを言わないと、よくないだろう。


 浩紀はベンチに座ったまま少々考え込む。

 そんな中、友奈からまじまじとした視線を向けられていた。


 友奈とは今後も一緒に生活していく存在。変なところで口ごもっていたら、変に関係性が拗れてしまうだろう。


 血の繋がった間柄だからこそ、きっちりと言っておこうと思った。


「今のところはわからないけど」

「わからないんですか?」

「ああ……」


 浩紀は今思っていることを率直に話す。

 まだ、先輩と出会ってから、そこまで時間が経過していない。

 だから、好きとか嫌いとか、そういう感情には陥っていないのである。


「でも、俺……夏芽先輩とは普通の関係っていうか。部活の仲間的な存在だと思ってるんだ。だからさ、そこまで深い関係ではないから」

「でも……ちょっと、安心はできないです」

「え?」


 突然の妹からの予期せぬ反応。

 浩紀は一瞬、ドキッとしたのち、隣にいる友奈へと視線を向けた。


「い、いいえ……こっちの話ですから」


 独り言かよ……。


 雰囲気的に、妹は何を隠しているような気がする。

 だがしかし、自らその真相に迫るかのように聞くことはできなかったのだ。


 浩紀は友奈の様子を伺いつつ、ペットボトルのキャップを外し、お茶を飲むのだった。




「そういや、友奈って、少し優しくなったか?」

「な、なんで、急にそんな事?」

「だって、以前だったら、俺に対して強く指摘してくる時があったじゃんか」

「そう、ですけど……」


 妹の声のトーンは落ち着いていき、友奈は浩紀の方からサッと視線を逸らす。

 そして、みるみるうちに、彼女の頬が赤くなっていくのが分かった。






 少しだけ時間が進んだところで、やっと、妹は胸を撫でおろし、やんわりとした表情を浩紀にチラッと見せるのだった。


「わ、私……お、お兄さんのことが……」

「ことが……?」

「い、いいえ。何でもないと言いますか。ちょっと、少し遊びたいんです。会話だけじゃなくて。だから、その……本当に、ここから、どこかへ行きましょう!」


 友奈の勇気ある発言。

 本心とはちょっとばかし、それた感じのセリフな気はするが、浩紀は反応を返すことにした。


「いや、それはさすがに無理かな、やっぱりさ」


 浩紀は断った。

 まだ、先輩と水着を選んでいる最中なのだ。


 友奈と久しぶりに兄妹として街中で遊びたいという思いはある。

 けど、先輩を放置したまま、逃げるように、デパートを後にするわけにはいかないのだ。


 ゆえに、友奈からの誘いを頑なに拒んだのである。


「お兄さん……そういう返答をするんですね……」


 友奈は不満げに俯きがちになる。

 そんな表情を見せないでほしい。浩紀も、妹からの誘いを断りたくて断ったわけじゃないからだ。


 元気のない態度だと、浩紀も心が落ち込んでくるようだった。




「でも、私、お兄さんのために何かをしたいだけなんです」

「え?」

「だって。ようやく、お兄さん、水泳をやるって言ったでしょ? だから、私、嬉しかったんです。お兄さんが前向きになってくれて。昔のように明るい方が、私、好きですから」


 刹那、友奈から迷いのない満面の笑みを向けられたのである。

 けど、妹の瞼には涙のようなものが滲んでいるように見えた。


「どうしても、ダメなんですか?」

「……ああ」


 浩紀ははっきりと断った。

 今日はさすがにしょうがないのだ。


「……わかりました。でも、私、お兄さんの事、いっぱい知っていますから。なので、困った時があったら、色々と相談してくださいね」


 友奈から急に、そんなことを言われた。


 どういう意図なのか不明であり、少々困惑してしまう。


「でも、しょうがないですよね。今日は……しょうがないとして……では、後日、私と一緒に遊んでくれますか?」

「後日? 今日の午後じゃなくてもいいのか?」

「はい……まだ、無理そうなので」

「何が?」

「んん、何でもないですから。私の独り言です」


 ベンチに座っていた友奈は、咄嗟に立ち上がったのである。




「そろそろ、先輩が来たようですよ」

「夏芽先輩が?」


 友奈の言われた通りに耳を澄ましてみると、遠くの方から誰かが駆け足で近づいてくる音が聞こえた。


「では、あとでね。お兄さん」


 妹はそういうと、浩紀から購入してもらったペットボトルを手に、どこかへ立ち去って行ったのだ。




「浩紀。いつまで、ここにいたの? 私、すぐに戻ってくるものだと思って、ずっと試着室のところで待ってたのに」

「すいません……どうしても水分補給をしたかったので」

「まあ、今日は暑いから、しょうがないね。じゃあ、ちょっと休憩する? あとはデパート内で食事をして、午後からもう一度水着を見てもいい? そのあと、浩紀のも買うからね」

「はい」

「午後とかは大丈夫?」

「そうですね。大丈夫になったので」

「大丈夫になった? まあ、いいってことね。じゃ、私もジュースでも飲もうかな」


 すると、夏芽雫なつめ/しずく先輩は、自販機の方へと行き、ショコラ風味のジュースを購入していたのだった。

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