52.演奏会を終えて

 遠征三日目になると、流石にホテルでの朝にも慣れてくる。

 昨日と同じように綺麗な朝日を眺めながら、ベン様とコーヒを楽しむ。


「今日はどこに行く?」

「海で泳ぎたいです!」


 窓の外に広がる海に指を差す。


「定番だな」

「はい!」


 水着に着替えて、白いカーディガンを羽織る。

 鏡に映る私はとてもオシャレに見えた。


「行こうか」


 ベン様は普段のきっちりとした服装ではなく、薄いシャツを着ている。

 

「珍しいですね」

「郷に入っては郷に従えと言うだろ?」

「これも似合ってますよ」


 ちょっとだけ目を逸らしてお礼を言うベン様の手を握ると、私は優しく手を引かれた。


「あっ! 昨日ピアノを弾いていたお姉ちゃんだ!」


 賑やかな街を歩いていると、そんな声が私の耳に届く。

 声の方向を見ると、小さな女の子が私を指差して飛び跳ねている。

 

「お姉ちゃん! 昨日の演奏とてもカッコ良かった!」

「そう!? ありがとね」

「私もお姉ちゃんみたいに上手になりたい!」


 そう言って興奮しながら私を見つめる女の子はとても可愛らしい。

 憧れを向けられて小っ恥ずかしいけど、気分は悪くなかった。


「ごめんなさい……いきなり声をかけてしまって」

 女の子の頭を撫でていると、彼女のお母さんらしき人がやってくる。

 お母さんに叱られて落ち込んでいる女の子を見ると、少しだけ胸がズキッと痛む。


「全然大丈夫ですよ」

「ありがとうございます」

「良い子のままピアノを練習すればきっと上手になるわ」


 私は女の子に向かってできる限り優しい表情を浮かべる。

 

「本当!?」

「えぇ。本当よ」

「じゃあ、良い子になる!」


 女の子は笑顔で飛び跳ねながら、ピアノを弾くフリをした。


「いつか演奏を聴ける時を楽しみにしてるわ」

「うん! すごい演奏をする!」


 私は女の子の小さな手を握って、上手くなるように念を送る。

 この子はすごいピアニストになる予感がした。


「ごめんなさい。折角のデートをお邪魔してしまって」

「全然大丈夫です! あなたと話せてとても楽しかったです!」

「お姉ちゃん! 頑張るね!」


 女の子の姿が見えなくなるまで大きく手を振る。

 心の中はポカポカと温かいもので埋まっていた。

 頬は嬉しさで無意識に緩んでしまう。


「良かったな」

「はい!」


 ビーチに到着すると、白い砂浜は海に波打たれていた。

 地面に転がっている貝殻を手に取ると、一気に気分は最高潮まで跳ね上がる。

 

「すごい! 海だ!」


 人生で初めて見る海は想像とは違って、少し緑のかかった色だった。


「転ばないように気を付けて」

「はい!」


 強く砂浜を蹴って走ろうとするが、力は沈んでしまう。

 潮風を感じながら波打ち際に立つと、冷たい感覚が足の指先に感じた。


「ベン様も来てください!」

「あぁ。一緒に楽しもう」

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