3




「行ってよ、莫迦ッ!」

「嫌だよ! 君を置いていっても…――」

「言うことを聞いてよッ!」


繋いでいた手を乱暴に離され深い闇へと吸い込まれるように体が後ろへと引っ張られる。目の前で繋がれていた手があっという間に真っ暗な暗闇へと影を落としていく。


――ダメだ。行っちゃダメだッ―――ダメだよ、行かないで――――


何度も何度も自分の腕を伸ばして彼女の指先へ触れようとするけど、ちっとも届かない。否、どんどん離れていく。


嫌だ、行かないで。僕だけを残していかないで。君がいない世界なんて嫌だ、いらない。もう……これ以上、僕を一人にしないで………―――。


「葵ィ! 諦めないで! 手を伸ばしてッ!」

僕が必ず葵の手を掴むから、お願いだから諦めないで。手を伸ばして、僕の手を掴んで。

彼女と目が合った。つり上がっていた彼の眉毛が徐々に下がっていく。綺麗な彼女の顔が歪んで口元がへの字になって、最後に僕にこう言った。


――もっと生きたかった―――




「……っは!」

飛び起きるように身を起こす。バクバクと心拍だけがありえないほど音を立てて、僕は自分の胸の上に手を置く。静かになっていく部屋でチッチチチと時計が時間を刻む音だけが鳴り響く。そのままついでに時刻を確認すると朝の五時だった。随分と昔の記憶を見たものだから疲れて早く目が覚めてしまったのかもしれない。懐かしいあの夢を、あの日付以外の日に見るなんて………。

僕はベッドから足を下ろすと、寝巻きから制服に着替える。白いシャツを押し入れから引っ張り出し、腕を通す。


「………」


この学校の制服はもうとっくのとうに廃止されているのだけれども、僕はこの制服から遠ざかることはなかった。嫌いになったこともないし、むしろ好んでいると言ってもいいだろう。己の戒めのためにも。

広すぎる二人部屋を一人で使っているので、僕が何か動作を起こさない限り静寂が続く。ふと、勉強机の前にある大きな窓を覗くと外に誰かの姿が見えた。

へー、こんな時間に起きてる人なんているんだ…………。


「⁉︎」


僕は二度見して、窓の方へ身を乗り出す。そしてワイシャツ一枚、しかも完全に釦をつけ終わらず若干は抱けたまま部屋を飛び出した。走りながらベルトをしっかりと止める。幅が広い割に暗くなんだか陰気な雰囲気の廊下をかけ、階段を登り先ほど窓から見えた景色のその場所へと到着した。到着した時にはすでに汗だくだった。汗を冷やす勢いで風が吹く。


膝に手をつき胸に手を当てながら僕は目線の先にいる人物へと話しかける。


「君………、そんなところにいたら……危ない……よ」


息を吸うたびに冷たい朝の風が喉を通って肺が動きづらい。

彼が座っているところはこの建物から突起のように飛び出た先端で通常は立ち入り禁止の場所になっている。特別な時だけ踏み入るところができて、そこにはこの世界の象徴である旗を立てる。どこからでも見えるように。もちろん、そこは危険だし容易に座れる場所なんかではないけど、そこから見える景色の綺麗さを僕も知っている。


この世界がちっぽけなものに感じてしまうほどに、儚い景色を。


「ねぇ」

不意にその子が口を開く。


「此処からって朝日見える? 登ってくるところ、見える?」

「……?」

僕が声をかけた人物はゆっくりと振り返って、やがて静かににっこり笑った。



「おはよう。KIくん」



+++


「なるほど。それで君はそんなに慌てて此処へ来たんだね」


彼は口元に手を当ててクスクス笑った。その仕草が美しくて僕は思わず見入る。男の子のはずなのに凄く綺麗。そう思ってしまうのは、彼の魅力のひとつなのだろうか?

僕は漸く落ち着いた呼吸を整えて、二人で壁に背を預け外の風に当たる。

「君……名前は?」

「ハル。東ハル」

端的に述べる彼はまた微笑んだ。


「ハルくんはあんなところで何してたの…?」


ハルは僕の襟へスッと腕を伸ばすと、釦を止めた。「あ、ありがとう…」と言って、「どういたしまして」と言う言葉が返ってくる。たわいもない会話。拍がないわけではないのに、その拍でさえも何一つ不自然に感じない。昨日会ったばかりなのに、なんだか心地よい。


「ハルさ、夢とか見れないんだよね。だから起きちゃったら滅多に眠くならないし、その時間をボーと過ごすのも退屈だし。そう思ってフラフラ歩いてたらなんかいい場所見つけちゃって」

「あそこ、立ち入り禁止なんだよ。紙が貼ってなかった?」

「あー……これのこと?」

そう言ってハルくんはお尻のポケットから紙切れを出した。一枚の紙の一破片のような小さな屑。僕の手のひらに乗っけられてよく目を凝らして破片を見ると『禁』の文字だけが読み取れた。


「なんて書いてあるのか見えなくて読もうと思って触ったらこの通り」

ハルはじゃらっと手首を上げる。所々擦れた跡が残っていた。

「この枷も、あんまり意味ないんだよねェ」

それは、四方先生が言っていた。

ハルくんの力は『治す』力である『自殺』だ。両手には“分解”する力と“更生”する力が宿っており、本人にもうまく制御はできないらしい。その為に枷を用意したと言っていた。枷には幾つか呪文が書かれていた。

「枷がないときは? どうしてたの?」

「んー、手袋着けてた。手袋あるのとないのとじゃ大違いだからさ」


手袋で制御できるものなのか…………。


「其れよりも、KIくんのそれは何?」


ハルは自分の首の後ろを叩いた。それが自分へ向けられているジェスチャーだと容易にわかった。

さっき僕の襟を正し釦を閉めてくれた時に確認したのか………。

僕は首筋に手を回して優しくそれを撫でた。ゴツゴツとしたボルトのようなもの。それは僕の背骨に沿って埋められており、物体の一つ一つは大した大きさでは無い。計二十四個のボルトは背骨一つ一つに付属しており半分埋まって半分出ている。だから見た目でそれが異様なものだと判断するには十分だろう。


「………僕の命綱……って言ったらちょっと回りくどいかな?」

「命綱?」

「榊家は代々半妖になって妖怪退治をやっているんだ。だけど僕はその半妖の適性がなくてね……。それで本家が打ったのがこの手」

「え、ちょっとちょっと待って。え、何。君って榊家の人間なの?」

「そうだよ。あ、そっか僕の名前もコードネームでしか知らないんだもんね」

僕はハルくんに体を向け正面からその双眼を見つめた。


「僕の名前は榊戌。今の榊家の当主は僕のおじいちゃんなんだ」


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