第159話 日本に戻ったので状況を整理してみよう

 さて、セイロン&インド方面に関しては義弘に丸投げした。


 現場の状況を知るのも大事ではあるんだが、だからといっていつまでも現場に張り付いて、自分で何でもかんでもやろうとしても駄目だしな。


 ある程度形を整えたら信頼できる人間に投げるのも大事なことだ。


「まあ義弘ならうまくやってくれるだろうさ」


 日本に戻った俺はお祖父様に代行してもらっていた日本の国内を再びみることにしたのだが、戦で手柄を立てたい連中はマラッカ征伐や南海方面の海賊など南方へだいたい渡っているようで先祖代々の土地を守りたい連中は日ノ本に残っている。


「武家にとっては貧しい土地であろうと墓と土地は大事だからな」


 だが土地が足らないための争いというのは高山国やルソン島など新たな耕作地の確保によりなくなっており、日ノ本は大方平和な状況だ。


「寺社の力をそげたのも大きいであろうけどな」


 史実においても寺社の権威は織田信長と豊臣秀吉が武力でまずそれをそいで、徳川家康が檀家制度や布教禁止の法度でそれを固めたことでそれまでのような政治に介入するような権力をほぼ失った。


 檀家制度にも問題はあるがそれまでの制度の弊害をなくし、寺社の権力を削ぐにはうまいやり方だったと思うから俺もそれを取り入れている。


 また豊臣秀吉が日本を統一した後に刀狩りや地侍への加地子の権利の廃止などで兵農分離を行い、更に朝鮮出兵を行った理由の一つが、平和な時代には不要な余剰な足軽等の数の見極めだったのだと思う。


 イギリスなどはアメリカに貧民を追い出すことで国内を安定させていたという面もあるしな。


 アメリカ先住民には迷惑極まりない話だが。


「これは長い目で見るといまいち良くはなかったかもしれんのだよな」


 確かに農民の惣村などが大規模な一揆を起こすことはなくなったが、平和な状況で専業兵士を抱え込むのは結構な負担だった。


 俺の場合は朝鮮にも人を送っているが、高山国やフィリピン、マラッカ周辺の海賊、今はまだ攻撃の準備中のセイロン攻撃部隊などに分散していて、史実では東南アジアでポルトガル人に雇われてポルトガルの支配に寄与した日本人傭兵などもいない分奴らの戦力は弱体化していた。


「まあ、ちょうどポルトガルが弱体化しかけていたのは良かったな」


 江戸時代は石高制で幕府や藩は米が年貢の基本だった。


 しかし、日本全体では米の収穫量が増えていくのに、人口が伸び悩んで米の価格が低下していくと実質的な収入源がどんどん減っていくことになるわけで、幕末には藩が好んで廃藩置県に協力したのもそのせいだったりする。


「やはり経済は信用のある貨幣を中心にするのは大事であるな」


 というわけで今は公的通貨の金貨・銀貨・銅銭を大量に作り、粗悪なものは回収して鋳造をし直している。


 インドに関して言えばセイロン島はともかくインドのゴアなどの都市にはポルトガルやスペイン、と言うよりイエズス会を追い出すのはともかく直接統治に関わるつもりはない。


「日ノ本からは遠すぎるしそこを保持するために兵士を駐屯させるとかを行うのは効率が悪いからな」


 そもそも香辛料は15世紀までは東南アジア以外では非常に貴重で手に入りづらいものだったからこそ古代ローマ時代から富の象徴であった。


 ローマ等の金持ちは今の感覚で非常識と言って良い位に多額の金を積んで大量の香辛料を手に入れて使っていた。


 大航海時代の前まではビザンツ帝国経由でヴェネツィア共和国の商人がイスラム商人を通してアジアの胡椒や砂糖を輸入し、ヨーロッパで独占的に販売していたが、ビザンツ帝国が滅んで、大航海時代が始まり、マラッカなどの香料諸島へポルトガルが直接関われるようになると香辛料が大量に入手できるようになり皮肉なことにその希少性を失ってしまった。


 日本ではコショウが同じ重さの金と同じ価値とされていたりもしたが、それもあくまでも入手量が少なくて希少で手に入らないからであるし、そうして香辛料が富の象徴でなくなると、非常識だった料理への香辛料の使用量も普通になり、値段が下がって一般人も料理に使うようになっていく。


 これは砂糖も同じで、元来非常に貴重だった砂糖が貴重と言えるほどの量でなくなりだんだん普通に使われるようになっていく過程で値段が下がっていく。


 1518年から1519年にかけては海外収入が国家歳入の63%を占めていたポルトガルだが、香辛料や砂糖の価格の低下と統治地域の軍事費や人員の確保のために本国から毎年4千人ほど人材を送り込んでも疫病や壊血病で死亡する人数が多すぎ、費用が高騰してポルトガルの財政を圧迫し、国力を衰退させつつあった。


「ポルトガルも儲からなくなったからといって手を引くわけに行かぬのではあろうな」


 それとは別にイエズス会などのカトリック修道会はそういった地域への布教を広めていて、既にポルトガルという国とイエズス会などには軋轢が出来ていたりする。


 現状では維持コストがかかるばかりの植民地を多数抱え込むことになってしまったし、ほぼ地球の反対側のインドの植民地を必死になって維持するほどポルトガルにもメリットが無くなっているのが実情だったりもする。


 無論インドの綿は未だにヨーロッパでは高く売れるものではあるのだけどな。


 ポルトガルやスペイン、後のイギリスやオランダの植民地統治の基本として行うことが


 1、現地人同士を敵対させる

 2、現地人の指導者を懐柔して味方にする

 だ。


 イギリスやオランダなどは更に


 3、現地のインフラを整備する

 4,現地のエリートに教育と称してヨーロッパ最高という洗脳をする。


 まあこれは明治期の日本でも同じようなことは行われてるな。


 何れにせよアフリカやインドもポルトガルによって対立を煽られて、ポルトガルに対して一致して戦うべきなのにそこにつけ込まれていたりもする。


 マレー半島やスマトラ・ボルネオなどはまだ島で分かれているから良かったが、インドは対キリスト教で同盟をさせるのも難しかろう。


 セイロンはポルトガルを追い出して獲るべきではあるがガチガチに日本の足場とするよりも、江戸時代における出島のような交易緩衝地帯とするべきであろうな。


 インドの鉄・木綿・砂糖・硝石などは交易資源として大事であるし。


「それはともかく女真についての統制をうまくとらせねばな」


 ムラヴィヨフ=アムールスキー半島の南のルースキー島を租借し交易拠点としてまずは定めて、半島そのものやその南のクラスキノあたりも影響力を及ぼせるせるようにしたい。


 代官としては滝川一益等の甲賀や伊賀、風魔など情報収集や荒事を得意とするものを据えて、当面は金や石炭などの鉱物資源の交易窓口としつつ、明には北虜南倭の監視の権限を一部でも貰えればなと思ってる。


 ついでに仏教の布教許可ももらっておくべきか。

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