第51話 将軍足利義藤との対面
さて、おそらくは根回しを頼んだ西園寺や土佐一条に加えて、二条晴良、一条兼冬、近衞前久、町資将などの藤原氏の総意で与えられたのであろう正四位下参議・近衛中将・肥後守・伊予権守・土佐権守ならびに”征西大将軍”の称号だが明らかに朝廷の室町幕府への嫌がらせだろう。
実際応仁の乱以降の京都は荒廃するばかりで本来幕府が行うべき治安維持すらまともにできてないうえに朝廷が祭事を行うための銭も朝廷に回ってこなくなったのも、幕府の将軍の権力の低下ゆえと室町幕府の代わりになりえるものを探していたのかもしれない。
もっとも応仁の乱の原因には藤原北家の名家である日野家の日野富子にもあるので室町幕府のことだけ一方的に責めるのもどうかとは思わないでもないのだが。
俺は室町から武衛陣もしくは旧二条城やら二条御所ともよばれる斯波武衛家の旧邸に移った室町幕府の御所にやってきていた。
「公方様にはお初にお目にかかります。
薩摩島津当主の島津近衛中将でございます。
公方様においてはこの度は御上への拝謁にご尽力いただき誠に感謝しております」
「うむ、島津羽林(近衛中将)、薩摩より遠路遥々大儀であった」
面会の相手は当然第13代室町幕府将軍である足利義藤。
俺より三歳年下のはずだから17歳かな?。
かれは外祖父である近衛尚通の猶子となるので、ある意味俺とも親戚筋とも言える。
だが、かれの父・足利義晴は管領の細川晴元と対立しており、義晴は戦をするたびに敗れて近江国坂本に逃れ、その後彼は何度も父と共に京への復帰と坂本・朽木への脱出を繰り返したという苦労人だ。
そして天文15年12月(1547年)にわずか11歳にして、元服し父から幕府将軍職を譲られている。
翌年義晴は晴元と和睦して京に戻ったが、このとき晴元も義藤の将軍就任を承諾している。
そしてこの頃の畿内は泥沼の混乱状態になってる。
去年の天文20年(1551年)には三好長慶が暗殺未遂事件に二度遭遇し、更には長慶の岳父である遊佐長教が暗殺されている。
そして足利・細川軍と三好長慶によって派遣された松永久秀とその弟の松永長頼が争った相国寺の戦いで三好長慶は圧勝し、足利・細川軍は武力での京都奪回を諦めて、六角定頼を通じて和議を行っていたのだが彼が死去し、後継者の六角義賢が引き継いで交渉を進めた結果、足利義藤の上洛を条件にして和議が成立した、細川晴元は従わなかったけど。
そして足利義藤は京に上洛し、その後三好長慶は将軍から御供衆、まあ将軍の親衛隊のようなもの、としての格式を与えられ、今までの細川家々臣つまり幕府の陪臣という立場から将軍の直臣になったのだ。
とは言え周りはそう簡単に認めないわけではあるが。
もっとも三好長慶は細川晴元を将軍ともども京から追放した時点で将軍や管領に変わって最低限の京都の治安維持や公家の保護などをすでに取り行っており、将軍や管領の存在が無くとも室町幕府はちゃんと運営されていたのであるが、天文21年(1552年)4月に細川晴元が京都奪回のために軍を興し、これに波多野晴通が加担したため、三好長慶はそれの討伐に赴いてる。
無論、それでも政権運営はできているのであるから三好長慶は大したもんだと思うな。
現状では将軍の足利義藤と管領の細川氏綱に実権はなくて、実権を握るのは相変わらず三好長慶なわけで将軍はお飾りにすぎない……のだが彼の父である足利義晴が側近集団を内談衆として再編成して政権中枢に置くことで管領の政治権力を削ぐことにある程度成功していたように彼も将軍親政を望んでいたのは間違いない。
実際に足利義藤は伊勢貞孝を失脚させ伊勢氏による血族による政所支配を打ち破ってその後新たに政所執事に任じた中原氏の摂津晴門を通じて政所ひいては、幕府の実権を掌握しようとしたがそれにより永禄の変にて殺される原因ともなったのだ。
更にはこの頃の畿内は紀伊の畠山と近江の六角、若狭の武田、丹後の一色などもちょこちょこ絡んできていたり、比叡山の延暦寺や大坂の石山本願寺も蠢いているというどうすんだこれ?という状況なのだ。
まあ大体は細川晴元のせいなんだが。
「それにしても余とさほど歳も離れておらぬのに正四位下参議・近衛中将の官位を主上より賜ったこと誠に羨ましきことよな」
なんか嫌味っぽく言われてるがとりあえずは普通の受け答えをするしかないな。
「は、恐れ入ります」
「なに、八千貫文ものの銭に加え絹や食べ物を送ったそちへの朝廷の貢献が認められたからであろう。
それだけの銭が余にもあればと思うがな」
まあ銭がないと何もできないからな。
「少々であれば公方様へ銭を寄進することはもちろん可能でございますが……」
「うむ、ぜひそうしてくれると余も嬉しいぞ。
とは言え余がそちに与えられるものは少ないが。
先ずは余の名より”義”の文字をそちに偏諱いたそう」
偏諱は主人が家来に自分の諱を与えるものだな。
戦国期の足利将軍家は各地の戦国大名に偏諱を与え、権威づけと使用料の徴収に利用した。
本来の史実でも与えられるものであるし、うけても損は多分ないだろう。
「ありがとうございます。
それでは私は本日より義久と名乗らせていただきます。
義輝は満足そうにうなずき言葉を続ける。
「うむ、それから島津には五七の桐花紋の使用を認めよう」
「は、そちらもありがたく使わせていただきます」
五七の桐花紋は本来、足利将軍家や足利一門15家など僅かにした使用が認められていなかったものだ。
もともとは菊紋章とともに皇室専用の家紋であって皇室に連なる源氏と平氏は桐花紋を使い、皇室や宮家は菊紋章を使うようになったが戦国時代はこの使用の権利も売られたわけだ。
無論使用許可を出すのは無料だし三好にばれて困るようなことでもないのだろう。
島津は源氏ではないので本来使えるわけではないのだけどな。
「うむ、更には余の内談衆の地位と、薩摩・大隅に加えて日向・肥後・豊後・筑後・土佐・伊予の守護職をそちに与えようと思うが、如何かな?」
俺はしばし考えてから返答した。
「それは三好長慶殿に断り無く行っても問題はないのでしょうか?
また申し訳ございませんが私が公方様の内談衆として長期京に滞在するのは 現状では無理でございます」
「守護については実質そちが支配している国なのであるから特に文句は言われまい。
しかし内談衆にはなってくれぬのか」
ちなみに豊後と筑後は一部は薩摩の協力者が治めてはいるが原状では大友の勢力圏なのだが。
「申し訳ございませんが、最盛期の大内ですらできなかったことは現状の島津では無理でございます」
まあ将軍が俺に守護職を与えるといっても、現状で島津が一部でも実効支配している地域の守護職の室町幕府の追認でしかないわけだから三好長慶も確かにそれには反対はしないだろう。
だが内談衆はダメだ。
今の状況で俺が仮に将軍の側近兼親衛隊になったとして畿内に地盤の全くない俺に出来ることはほぼない。
強いて言えば興福寺や根来寺が支配している大和の僧兵や雑賀衆に支援要請くらいはできるかもしれないが、将軍のためと称して細川晴元と一緒に全盛期の三好やら六角・畠山などと戦わされ続けてはたまったもんじゃない。
「ふむ、では大友を討つための名誉職として征夷副将軍の地位をそちに与えていただけるように朝廷に奏上してみようと思うが如何かな」
征夷副将軍はもちろん征夷大将軍の下の副官として働く者に与えられる称号だ。
そして室町幕府は何回か朝廷より副将軍を任命してもらってるのだが……。
「……それこそ三好長慶殿や細川晴元殿が黙っていないのではないでしょうか」
将軍はひょうひょうと言う。
「なにあくまでも幕府に従わぬ大友や少弐を討つためのものだ。
大内にはもはや期待できぬようであるしな。
九州探題の職はすでに与えられているのだし、それほど問題はないと思うのだがね」
「それならば今上陛下のお考えに従うまででございます」
管領は幕府の役職だが征夷副将軍はあくまでも朝廷より与えられる称号だからな。
朝廷が俺を征夷大将軍の下で働くべき征夷副将軍としたい将軍の奏上を受けることは多分ないだろう。
だいたい将軍職の兼任なんてできないだろうし。
「それと、もしも……だが。
余が京の都を追放されたらば薩摩に下向したいと思うのだ」
「それは近衛家のつながりを考えてということでございますか?」
「うむ、それもある。
そして初代公方である先祖尊氏様は南朝により京を追い出された時九州へ落ちのびてその後再起しておるからだな」
夢よもう一度というわけなのだろうが、武士にほぼ支持を得られなかった建武新政の時と今では状況が違いすぎると思うのだが……。
「しかしながら、公方様が九州へ落ち延びたとなりましたら、三好長慶殿は11代目の足利義維様を担ぎ出すのではないでしょうか」
「ふむそうかも知れぬな」
とは言え完全に見殺にしようとする発言で終わるのもまずいか。
「とはいえ、公方様の命が危ないというような場合は大和の興福寺か紀伊の根来寺を頼っていただき、その後海路で薩摩にこられるのも良いかもしれません」
「うむ、もしもの場合は頼らせてもらうぞ」
「はは、では後ほど銭千貫文を届けさせていただきます」
「うむ、よきにはからえ」
そして俺は二条御所を退出した。
さて、もしものことがあるかどうかと言えばおそらく京都からの追放はあるだろう。
ただ、その時に今までのように近江を頼るか薩摩に下向してくるかはわからないけどな。
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