第41話 志摩の九鬼と雑賀の鈴木のスカウトをしようか

 さて尾張の熱田を出た俺達は志摩国の港に立ち寄ることにした。


 志摩国はなぜ伊勢とわけたのだろうかと思うほど、狭く平地のない国であって実質的には独自ではあまり旨味のない国であるし、守護などは伊勢と兼任させていた場所でもあるが、海産物、特に干しアワビや干しナマコなどの有名な産地でもある。


「干しアワビや干しナマコは大陸で高く売れるから買っておこうかね」


 伊右衛門がそれを聞いて不思議そうにする。


「わざわざ大陸まで持っていったら時間がかからないですか?」


 俺は笑って答える。


「ああ、でも大陸で干しアワビや干しナマコを売った時に、ここで買った値段の5倍にもなれば持っていく価値はあるだろ?」


 伊右衛門は驚いている。


「ええっ?!

 本当に五倍の値段にもなるんですか?」


「無論、常にそうなるとは限らんが日の本の干しアワビや干しナマコは大陸では高く売れるぞ。

 なにせあっちでは高級料理だからな」


「なるほどそれはみんな大陸に行きたがりますよね」


「ああ、正式な許可を得るのは一苦労だったけどな」


「でもそうすれば金儲けできますよね」


「ああ、大陸に加えて南蛮の地にも行くがものすごく儲かるぞ」


 伊右衛門は大陸との交易の話を聞いて目をキラキラさせていた。


 彼は針売やら貝売やらの行商をしていたというが流石に5倍の値段で売れるようなものじゃないからな。


 まあ針はともかく貝は自分で掘って売ればただとも言えるけど。


 やがて志摩の港についたので俺達は港へ船をつけて小舟で降りて上陸した。


 このあたりは伊勢国司・北畠具教の支配下にあるが寄港料を払えば問題はない。


 そして海産物を扱う店へと俺は向かう。


「ふむ、やはり中々美味そうな干しアワビや干し海鼠であるな。

 それぞれ箱ごと一つずつ売ってくれるか」


 俺が銭を払うと店主はにこにこ顔で頷いた。


「へい、まいど」


 この時期の志摩は越賀氏や和田氏とともに後に最強とよばれる九鬼水軍の九鬼氏もこういった商売に関わっているはずだが、今の時期は九鬼定隆(くきさだたか)が死んで息子の九鬼浄隆(くききよたか)があとを継いだばかり、九鬼嘉隆(くきよしたか)は元服しているかいないかぐらいかの年齢のはずだな。


 この頃の九鬼氏は勢力拡大中だがそれによって他の地頭との対立が目立つようになると一度他の土豪の連合に滅ぼされるんだっけ?


「この際だし一度挨拶にいっておくか。

 今後も安く干しアワビや干し海鼠を手に入れる場所があれば助かるしな」


 俺は港の商店を通して根回しをしてもらい、田城城の九鬼浄隆と会見することに成功した。


「ようこそ島津修理大夫どの。

 遠路はるばるお越しいただいたようですが、こちらにはいかなるようでございましょうかな?」


 九鬼浄隆はおそらく20代なかばぐらいだろうか。


「はい、京へ上洛した帰りに熊野や伊勢、熱田の神宮などを巡って来た帰りでして、そこで志摩の美味な海産物を思い出して立ち寄ったのです、さすが天下に知られた志摩の港ですな」


「ほうほう、中々目が高くていらっしゃる」


「はい、それで今後とも継続的に志摩の干しアワビや干し海鼠を我々島津に売っていただければと思いましてな」


「それはこちらとしても願ってもないことですな」


「それから、薩摩の水軍は人手不足でしてな。

 できれば島津が九州から四国の間を渡るために水軍の力を貸していただけないかと」


 九鬼浄隆はそれについては渋い顔だった。


「そうなると村上と争うことになりましょうが現状の私達ではちと難しいですな」


「そうですか、わかりました。

 もし何かあれば私のところへいつでも来てくだされば歓迎いたしますのでよろしくお願いしますぞ」


「うむ、わかり申した」


 今回は顔つなぎであるしこの程度でよかろう。


 本当にほしいのは弟の方ではあるが、彼もそれなりに優秀な人物だとは思う。


 だが病弱な傾向もあるし無理をする必要もないだろう。


 九鬼氏が他の土豪に攻められ逃げ出した先で俺のところに来てくれれば御の字だ。


 俺は志摩の港を立つと今度は雑賀へ向かった。


 雑賀や根来と島津は意外と関係が深い。


 ちなみに雑賀といえば雑賀衆の鉄砲が有名だがポルトガル船の種子島への漂着は天文12年(1543年)といわれる。


 だがその前にも実は明から火器自体は何度か日本に入ってきている。


 応仁の乱では細川勝元が、飛砲や火槍を使ったといわれるし、また永正7年(1510年)には明より渡来した鳥銃を堺で見たという者が北条氏綱に献上したという記録や村上義清が鳥銃を50人に持たせ、1人に3発の玉薬をあてがったが武田晴信との戦には負けたと上杉謙信に語っている記録もある。


 ただしこの明で製造された鳥銃は性能的にもあまり良いものではない上に

入ってきた数も少ないから、その後は戦では使われなくなり名前の通り鳥を撃つために使われたようだ。


 そして天文12年(1543年)に種子島に来たポルトガル人とは筆談で交渉を行ったらしいがその際には漢文が使われていて、実際は船もジャンク船の乗組員もほぼ中国人でありそのなかには王直が船に同乗していたらしい。


 だから彼等は種子島に偶然漂着したわけではなく、もともと密航で日本へ上陸して日本の有力者に接触する予定であったのだろう。


 そして種子島の領主の種子島時尭の妻は俺のお祖父様である島津忠良の三女で父の貴久と種子島時尭は義兄弟の関係になるのだが実質的には島津と種子島は主従関係であったのだ。


 もっとも種子島は好き勝手に琉球などとの交易をしたりもしていたようだけどな。


 なので、種子島に伝わった鉄砲はまず薩摩に伝わるんだな。


 で、お祖父様は幼少時にその母と祖父の計らいで藤原氏の氏寺である興福寺の末寺の海蔵院の僧侶である頼増に預けられ色々学ぶわけだが、これは島津氏の祖である惟宗忠久が、近衛家の執事職であったことにより近衛家の荘園である島津荘の管理を任されていたからということでもある。


 狩猟戦闘民族島津家と藤原摂関家である近衛家にはこういう接点が有ったんだ。


 なので娘の婚姻話も近衛家が一番最初に勧めてきたわけだ。


 で海蔵院と紀州の根来寺は真言宗を通じてつながっており、海蔵院は近衛家が建立した興福寺系統の寺院でもあるのですべてが繋がるということだな。


 興福寺は法相宗(ほっそうしゅう)の総本山だが法相宗は平安時代末には中国でも消滅している仏教流派であったし、平安時代にはもうかなり廃れていたので真言宗の寺院としたのであろうな。


 朝廷の加持祈祷を行なうのは真言宗の東密か天台宗の台密だったし。


 そもそも海蔵院の頼増は根来寺から派遣されてきていた可能性が高い。


 そういった理由で根来寺の僧兵である津田監持が種子島にやってきて種子島から火縄銃を持ち帰り、彼により根来の刀鍛冶の芝辻清右衛門が銃の複製を依頼された結果、1545年に完成させた後の根来や雑賀は鉄砲の生産拠点となり根来の僧兵や雑賀衆は鉄砲を大量に用いる傭兵集団になったのだ。


 しかし、鉄砲を作るには鉄が、弾丸には鉛が、黒色火薬には硝石が必要だが雑賀にはそのどれもない、だから水軍を持つ雑賀衆は薩摩の坊津や種子島にそれらを買い付けに来ていた。


 堺の町へポルトガル船がおろした火薬類は堺を織田信長が制圧した後は敵対的な勢力には入手が困難であったが信長へ対立した組織の中でも特に寺社勢力への弾薬の供給は島津が行っていたというわけさ。


「鈴木重意に声でも掛けてみるか」


 鈴木重意は雑賀孫市こと鈴木重秀の父親とされる雑賀鈴木氏の現在の棟梁だ。


 俺が鈴木一族の屋敷を尋ねると歓迎してくれたぞ。


「島津の坊っちゃん、このようなところまで遠路はるばるご足労ですな」


「うむ、俺も正式に元服し薩摩もようやく統一できたので朝廷や幕府に挨拶し正式に修理大夫になったのだ」


「ほうほう、この前までは小さくてぴーぴー泣いておられた若様が立派になったものでございます。

 して、本日は如何様なご用向きでしょうか?」


「うむ、薩摩をようやく統一できたとは言え、島津は周りは未だに敵だらけで薩摩は貧しい土地故に人も少ない。

 金と食糧は増えたが兵を集めようにも人自体が少ないのでどうにもならぬ。

 故に雑賀衆を水軍ごと島津で雇いたいと思うのだがどうだろうか?

 無論その分は松永や細川より銭は出すつもりだ。

 また鉄砲の生産や船の造船ができるものも雇いたい」


「ふうむ、それは悪くない話ですな。

 最近は細川様も困窮して銭の支払いが悪くなっていますし」


「うむ、まあ室町幕府の政権基盤は三好に乗っ取られているし、近江の六角や朽木の支援無くては細川はもう戦えまいよ。

 とは言え幕府の権威が必要な者たちは細川や足利を支えようとするだろうけどな」


「では、島津はどちらにつくので?」


「いや、俺達は畿内の戦いには干渉するつもりはない。

 今の機内に手を出しても痛い目を見るだけだろうからな」


 鈴木重意は頷く。


「ふむ、今はそれが一番でしょうな。

 それはさておき兵一人頭で年1貫文、平時の住居と食事及び戦時の食糧弾薬はそちらの提供 というところになりますがよろしいですかな?」


「う、うむ、まあ妥当なところか。

 では1000名を雇いたいが先ずは百貫を前払いとして後の九百貫は薩摩についてから支払うということで良いだろうか?」


「わかりました、それで行きましょう」


 衣食住別の給金が年一貫文(約10万円)は高いか安いか微妙かもしれないがこの時代だとまあこんなもんだろう。


 1000人の兵士が加わればこれから攻勢を強めてくるであろう日向の伊東や大隅の肝付に対しての対処も少しは楽になるだろう。


 そして雑賀水軍を率いて薩摩の坊津に帰国した俺のもとに入ってきた情報に俺は愕然とした。


「攻めてきた伊東の軍を又四郎が壊滅させた?!」


「はい、我々の完全勝利です」


「ああ、それはそうだが……」


 しかもこちらは1000、相手は3000の戦力差をこちらが半包囲して伊東の兵に6割もの損害を与えての完勝だそうだが……。


 史実の島津300名に対して伊東3000名での勝利に比べればたかが戦力差は三倍だし勝つのは難しくないだろうけど、ちょっと殺し過ぎだろう……。


 とは言えこれで伊東からの圧力を考えなくて良くなったが、大友と勢力圏が隣り合うことになっちまうな……。


「はあ、大隅を統一してから日向へは適当に相手しての四国西部へ先に攻撃をかけようと思っていたんだが計画が狂ったな」


 さて、こうなれば日向と大隅を抑えつつ南肥後の相良に対しても早めに臣従を迫ろうか。


 相良は分国法を施行したり朝廷への対応能力も高いし何とかして臣下にしたい。


 肝付も長年大隅を統治している一族だからできれば臣従させたいけどな。


 放っておいたら弟たちに周りの大名や国人が皆殺しにされかねないしそれは困る。


 俺は清水城へ急いで帰還したのだ。

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