第35話 上洛と今上帝への謁見
さて現在は天文19年(1550年)婚姻の儀式を終えた俺は坊津から船で京の都を目指すことにした。
今回は大砲を装備している強襲型重装ジャンク船や拿捕したガレオン船ではなく、普通の交易用のジャンク船5隻で配下の者500名を引き連れての上洛だ。
ただし鉄砲と弾薬はちゃんと持ってきている。
そして大友や大内、尼子が相争っており、村上水軍の勢力が強く関が多い瀬戸内ではなく土佐から堺に直接入り込んで堺で船を預かってもらい、川船に乗り換えて荷物も載せ替えて船で畿内を目指した。
土佐や堺などでは通行料を払ったが、海上で金銭を要求してきたものには鉄砲の射撃訓練の的の役目を担ってもらったり、命を置いていってもらったがね。
「まあ、鉄砲の射撃訓練は継続的に必要だし、的がよってきてくれるのは良いことかもな」
そういった連中の船を逆に乗り込んで船倉を見ても大したものは持っていないことが多いが、まあ揺れる海上での射撃の実践的訓練を行えるのだと考えればいいだろう。
「あわわわわ」
そして町資将は部屋の中でブルブル震えているようだが気にしちゃいけない。
我が身に降りかかる火の粉は100倍の猛火にして相手に返すのが島津のやり方だ。
しかしながら町資将は藤原北家筋の人物で権中納言であるから貴族としては結構えらい方だ。
しかし、そんな人物であっても、薩摩に身を寄せないといけないほど困窮しているということなのだな。
戦国時代の皇室の年収は平均収入で620貫文、内裏修理費としての献金や雑収入も含めても750貫文有ったかどうかぐらいらしい。
ちなみに室町時代前期頃はそこまでひどくはなく、皇室の年収は7500貫文はあったらしい。
そのあたりの収入の激減の原因は応仁の乱あたりにあるらしいが収入が10分の1に減ったらそれは大変なことになる。
1文10円と考えて、おおよそ年収750万円あれば十分生活できるんじゃないのじゃないの?と思うかもしれないが様々な宮廷儀式などをちゃんと行うにはこの程度では全然足らずこの当時の朝廷は冠婚葬祭や内裏の修理にも困っているくらいなのだ。
ちなみに朝廷への献金で最も多額だったのは大内義隆が天文四年(1535) の即位費としての二十万疋( 二千貫)だ。
織田信秀が天文十二年(1543)に四十万疋を内裏修理費として出したというのは噂話からの記録らしく実際十万疋らしいからな、いやこれでも十分な金額だが。
「ふむ、どうせならば大内の倍は出さねばなぁ、しかし4千貫はちと痛い気もしないでもないが」
ちなみに戦国時代における官位の相場は通常は30貫から100貫程度で、4千貫は大雑把に言えばおおよそ4億円相当だが、現在の島津は本来の金欠貧乏な島津ではない。
大内は明との独占的な交易により金を得たが、現状の島津には坊津と高山国の港に入港する船に対しての寄港代金や商人たちからの冥加金もあるし、叔父上のアユヤタやマラッカ、ルソンと広州や台湾島と琉球や日の本を中心とした三角交易による利益はほぼ薩摩が独占しておるからな。
その利益額は当然大内の比ではない。
香辛料や宝石を明で高く売り、生糸を安く買ってそれを高く売りつけるだけでも相当に利益が出る。
そして本来であればそろそろ博多や長門、堺などへザビエルなどが赴いて東南アジアやポルトガルとの交易が堺や博多、長門などでも始まるのだが、現状ではポルトガルのガレオン船は大手を振って日本には、はいってこれていない。
もっとも倭寇や博多商人の船に紛れて北九州へ向かおうとしている宣教師はいるかもしれないが。
そして京についたら町資将を通して関白・藤氏長者の二条晴良(にじょうはるよし)、右大臣の一条兼冬(いちじょうかねふゆ)、内大臣の近衞前久(このえさきひさ)、及び幕府の実質的な権力者である三好長慶にも百貫ほどの銭と絹織物や米、干しアワビや、干しナマコ、干し椎茸などの食糧を送って官位奏上の根回しをしておいた。
「どうぞよろしくお願いいたします」
「うむ、悪いようにはせぬのでこちらにまかせられよ」
それに加えて今上帝へたっぷり一貫の銅貨をつけた和紙に「国家平安」と今上陛下の直筆で書いて欲しいことを記入して、町資将を通して今上陛下のもとにそれを持っていってもらったことで、俺は現役天皇直筆の文章を手に入れられたのだ。
「うむ、これは代々の家宝にするとしよう」
そしてこのあたりに根回ししておけば今上陛下が俺に対して修理大夫及び薩摩大隅守を与えることを嫌とはいわれないであろう……とおもう。
とおもったら何故か今上陛下に拝謁がかなってしまった。
俺は御所で玉砂利の上に平伏して御簾越しに拝謁をしているところだ。
「今上陛下、ご出御」
今上陛下の側付きである女官の声とともに御簾の向こうで衣擦れの音がかすかに聞こえ誰かがそこに座るのが聞こえた。
「薩摩守島津貴久が子、忠良。
米俵、干鮑、干し海鼠、干し椎茸、並びに絹反物のご寄進」
二条晴良は扇で口元を隠しながら言う。
「うむ、今上陛下においてはそちの寄進を許すとのことである」
俺は口上を述べる。
「今上陛下におかれましては、ご機嫌麗しく恐悦至極に存じ奉ります。
此度は過大なる官位を頂いた上で、今上陛下への拝謁を許可して頂きましたこと、誠にありがたく、そのお礼を言上する為に、罷り越しました」
二条晴良は扇で口元を隠しながら言う。
「うむ、島津修理大夫、遠方である薩摩より遠路遥々大義である。
そしてそちには御剣と天盃を下賜され、天下の敵を討伐せよとおっしゃられている」
「はは、もったいなきお言葉にございます」
「うむ、来年もまた来て朝廷への寄進を望むと今上陛下はおっしゃられて居ますぞ」
「は、かしこまりてございます」
こうして俺は本来であれば上杉謙信が下賜されるはずであった、御剣と天盃を頂いた上で、そして正式に修理大夫兼薩摩守兼大隅守の官位と今上陛下から直々の肥後及び日向の追討の綸旨と琉球及び明への交易の許可を頂いたのだ。
修理大夫は従四位下相当だから実は結構高位の官位でもあるんだよな。
そして綸旨があるということは正式に大義名分ができたということでもある。
どうやら、宸筆に書いてもらいたい言葉を”国家平安”にしたことが今上陛下にはたいそう気に入られたらしい。
言っておくが俺は戦争狂(ウォーモンガー)でもないし、快楽殺人者でもないし、死の商人でもない。
できれば平和にのんびりくらしたいのだ。
ちなみに現状では京における室町幕府の事実的な権力を握っているのは三好長慶だが、室町幕府内部の権力争いには関わりたくないし、日向や肥後を制圧したら大友ではなく次は四国西部の征伐に動きたいので最低限の挨拶だけにとどめおくことにした。
あと三好長慶も最終官位は従四位下の修理大夫なんだよな……。
本当は一人にしか与えられないものなんだけど、すでに有名無実だからそのあたりはどうでもいいのだろう。
丹波・摂津・河内・山城の畿内に加えて阿波・淡路・讃岐の四国の東側を押さえた三好長慶は本来であれば最も天下人に近い立場にいるんだが、もともと管領である細川家の陪臣であったことからか幕府を滅ぼすということはできず、六角や畠山といった面々とずっとやりあうことで消耗していくしな。
ここは余計なことに手を出さないのが一番だ。
「まあ、挨拶はしておかないといけないだろうけどなぁ……」
現状の三好長慶は中途半端に権力も武力も持ってるから面倒ではあるのだけどな。
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