第四十八話 マツリさまと、伊織さん。伊織さんの部屋。伊織さんのブレスレットと、願いと、姉さまの想い。

 桃葉ももはちゃんと空斗そらと君が居間を出て行ったあと、伊織いおりさんがあたしを見た。


小蝶こちょう――じゃないな。今は琴乃ことのか。お前に、話したいことがあるんだ」

「話したいこと?」


 ドキドキしながら、あたしはたずねる。


「部屋で話す」

「部屋?」

「俺の」

「……伊織さんの、部屋?」

「嫌か?」

「えっ? 嫌ではないけど……なんか恥ずかしい」


 でも、ここで話すのも恥ずかしいか。さくらさんとうたちゃんが見てるし。


 あっ!

 今、思い出したけど、伊織さんのことが大好きって、空斗君が言ったんだった。それを思い出して、恥ずかしくなる。


 あたしは「ごちそうさまでした」って、手を合わせると、桜さんに目を向けた。


「――あの、お茶も和菓子もおいしかったです。ありがとうございました」

 ペコリと頭を下げて、お礼の気持ちを伝えると、桜さんがふわりと笑う。


「それはよかったわ。うちにきてくれてありがとう。うれしかったわ」

 桜さんの笑顔と言葉が、あたしをしあわせな気持ちにしてくれた。


♢♢♢


 居間を出て、スリッパを履いたあたしと伊織さんが、長い廊下を歩いていると、マツリさまが姿を見せた。

 あたしはおどろき、立ちどまる。


「――大丈夫?」

 マツリさまが、あたしを心配そうな顔で見上げる。


「うん、大丈夫だよ。緊張するけど、姉さまだし」

「姉だったとしても、今は男なの。結婚の約束をしてない男女が、二人っきりになるなんて、危ないのよ。男は狼なんだから」


 ちょっとこわい顔つきで、マツリさまが言ったので、ドキドキする。


「うっ、うん、わかった」

 あたしが大きくうなずくと、マツリさまは伊織さんをキッとにらむ。 


「琴乃が嫌がることをしたらゆるさないんだからねっ!」

「そんなことはしない」

「どうだか」


 冷たい声でそう言って、マツリさまが姿を消した。


 あたしは「ねえ」と、伊織さんを見上げて話しかける。


「どうした?」

 あたしを見下ろし、首をかしげる伊織さん。


「――なんで、マツリさまに嫌われてるのに、この家に住んでるの?」


 たずねると、伊織さんは、まっすぐな眼差しで、話し出した。


「この家が好きだからだ。庭もだけど。この場所にくると癒されるんだ。姫宮ひめみやさんとか、マツリさまとか、俺を嫌う存在がいたとしても、俺にとっては大好きな場所なんだ。だから、この家に住んでいる。それと、ここにいたら、会えるような気がしたんだ……」


 じっと、あたしを見つめる伊織さんの顔を見て、ドキドキがとまらない。


「……会えるような気がしたって、だれと?」

「お前と」

「……そうなんだ」


 ああ、緊張する。


「行くぞ」

 伊織さんがそう言って歩き出したので、あたしはパタパタと小走りで追いかけた。


♢♢♢


 伊織さんがふすまを開けると、畳じゃなくて、フローリングだった。そして、涼しい。


「――あれ? エアコン、ついてるんだね?」

 ずっとつけていたのかな? と思いながらたずねると、「マツリさまだろうな」と彼がつぶやき、スリッパを脱いで、部屋に上がった。


 そうか。マツリさまがつけてくれたのか。

 心の中でつぶやき、あたしは急いでスリッパを脱ぐと、畳を踏んだ。


 甘く華やかなふじの香りが、濃い。彼の部屋だからだろう。なんか、すごく、ドキドキする。


 障子が閉まってるけど、あの向こうは窓だろう。

 文机の上に、白いノートパソコン。藍色の座布団。

 木製の棚と本棚とタンス。小さな黒い冷蔵庫。

 部屋の真ん中には、ちゃぶ台がある。


 伊織さんが黒い冷蔵庫を開けて、ペットボトルの水を二本取り出し、冷蔵庫を閉める。

 そして彼は、ペットボトル二本をちゃぶ台の上に置き、押入れに近づいた。


 伊織さんが押入れを開けて、藍色の座布団を出し、ちゃぶ台のところまで持ってきたあと、「座って」と言ったので、あたしは、「うん、ありがとう」と言ってから、座布団に座り、淡いピンクのショルダーバッグを横に置く。


 すると、頭の上にいたひまわりが畳に下りて、小さく丸まって眠り始めた。

 なんかふしぎな気分だ。伊織さんの部屋にいるなんて、夢みたいだ。


 伊織さんが、文机のそばにあった座布団を持ってきて、あたしの向かい側に座ったので、緊張する。エアコンの涼しい風を感じるのに、顔が熱い気がした。


「水、飲んでいいから」

 伊織さんがそう言って、ペットボトルの水をあたしに近づける。


「うん、ありがとう」

 あたしはペットボトルのふたを開けると、綺麗なお水をゴクゴク飲む。喉が渇いていたようだ。


「おいしい」

 思わずつぶやくと、伊織さんが「そうか」と言った。


 ああ、ドキドキする。緊張するよー。

 そう思いながら、ペットボトルに蓋をする。


 なに話すんだったっけ? そうだっ!!


「――あっ、あのっ、伊織さんの、蝶々のネックレスと、黒い石のブレスレットのことが気になるんですけどっ、なにか意味があるんですか?」


 勇気を出してたずねると、伊織さんは、自分の左手にある黒い石のブレスレットを見下ろしたあと、こっちを向く。


「――ふつうに話していいぞ。これは、オニキスだ」

「オニキス?」


 あたしはよくわからなくて首をかしげる。


「この黒い石の名前は、オニキスというんだ。あの日、生まれ変わったお前と初めて出会った日、願掛けをするためにネットで買ったんだ」


「願掛け? あたしと出会ったあと、なにか願いごとをしたってこと?」


「ああ。お前、いや、小蝶に、ずっと謝ることができなかったから、謝りたくて」


 真摯しんしな表情でそう言われて、涙が頬を流れるのを感じた。


「……なにを、謝るの? 置いて行ったこと?」


「ああ」


「……どうして、あたしを連れて行ってくれなかったの? あたしがじゃまだから?」


「――違うっ! 可愛い妹を邪魔だなんて思ったりしないっ!」


「じゃあ、なんで?」


 あたしは、勢いよく流れる涙を手の甲でぬぐいながらたずねた。


「――椿つばきは、自分よりも身体が小さくて、弱い小蝶のことが心配だったんだ。だからいつも妹のことを気にしてた。自分の許婚いいなずけみやびが妹を愛していると気づいても、彼が妹のために動き、妹を守るならそれでいいと思ってた。自分は強いと過信していた椿は、百足ムカデのあやかしに苦しめられ、弥太郎やたろうに救われたことがショックだった。受け入れたくなかったんだ。だが、弥太郎とたくさん会話をしたことで心が癒され、気づけば彼に恋をしていたんだ。雅とは兄妹きょうだいで、ライバルみたいな関係だったから、弥太郎が初恋だった。妹も、弥太郎に惹かれていると気づいたが、小蝶は人間に化けることができない。だから妹が、弥太郎に嫁ぐことは無理だと判断した。そして、自分も里長になる運命だと思っていたんだ。跡継あとつぎだからな」


「……そう」


「……あの冬の日、両親に呼ばれて母屋に行くと、二人に密通みっつうだと言われて、責め立てられた。そんなことしてないって伝えても、全く信じてくれなくて。こんな里、出て行ってやるって言ったんだ。母屋から出た時、離れにいる小蝶のことが気になったけど、鬼としての力が弱く、人に化けることができない妹は、里で守られていた方がよいと思ったんだ。椿が子を産めないとか、なにかあった時のための小蝶だったし、雅が小蝶を守ろうとするだろうから大丈夫だと思った。籠の鳥なんて言いながらも、彼なりに大事にしてたんだ」


「……うん、それは、わかるけど……。秘密が多くて、ウソつきな部分もあったような気がするけど、ちゃんと大事にされてたとは思うから。――って、姉さま、密通してないの!? キスも?」

「してねぇよっ! キスは結婚してからだっ!!」

「そうなんだ……」


 びっくりしたなぁ。


「椿――前世の俺は、妹――小蝶を里に置いて行ったことで、思ってた以上に、妹が嘆いていたと聞いて、苦しみを感じたんだ。でも、いつか心から、雅を愛するだろうと思ってた。……一年経っても、二年経っても、小蝶は悲しみ続け、やがて笑わなくなったと聞いて、後悔したんだ」


「……そう」


「ごめんな。里に残して行ってしまって……」


 伊織さんは立ち上がると、流れる涙を手の甲でふくあたしに近づき、やさしく抱きしめてくれたのだった。


 そしてあたしは、伊織さんに抱きしめられながらたくさん泣いたのだけど、「痛てっ!」という、伊織さんの声を聞き、ビクッとして泣きやんだ。


 ん?

 伊織さんが離れたなぁと思いながら視線を向ければ、彼が頭を手で押さえてる。


「あいつ」

 とつぶやきながら、伊織さんは天井をにらみつける。


「失礼」

 と、マツリさまの声がして、クマのぬいぐるみが落ちてきた。伊織さんの頭の上に。


 ころんと転がったクマのぬいぐるみ。


 あれ? 手毬てまりがある。さっきはなかったのに。


 マツリさまが落としたのかな? 伊織さんの頭の上に。


 マツリさまの姿は見えないけれど。


 そんなことを考えていたら、いつの間にか起きていたひまわりが、手毬にトコトコ近づいた。

 ひまわりは手毬に乗ると、満足げな顔をする。


「キュッ!」

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