和風の雑貨屋さんと、甘味処。ついてくるハムスター。茶トラ猫のトラ。
第九話 着物男子の名前は、鈴原伊織さん。桜柄の着物姿のおばあさんの名前は、藤森桜さん。
あたしは、
いつもは座らないので、ドキドキする。
栗本さんが、リュックサックをひざの上に置くのが見えたので、あたしも同じようにした。
ゆっくりと、電車が動き出す。
あたしのとなりは、姫宮さんなので、桃の香りがふわりとして、守られているような感じがした。
電車内は、いろいろな匂いがするから、ありがたい。
彼女の匂いは慣れているし、嫌いではないから。
そういえば、この辺りの電車には、あやかしがいないんだよね。
メイクをしている女性が多かったり、香水をつけている人が多いからかもしれない。
多いと言っても、そういう人が少ない時間の電車もあるし、そういう人がいたら、移動すればいいと思うのだけど。
あやかしには、匂いを食べるのとか、匂いを消してしまうのがいるのだけれど、この辺りの電車では、見たことがないんだ。
まあ、こっちにきてからは、長く電車に乗ることはなかったのだけど。
電車に長く乗ったのは、お母さんと一緒に旅をした今年の春、一度だけだ。
こっちにくる時に乗ったバスや、新幹線にも、そういえばあやかしはいなかったな。
でも、高校に行く時に乗ったバスには、たまにあやかしがいた。
人間みたいに座席に座ったり、人間の上に乗ったりしてるのもいたなぁ。
そういうあやかしはおとなしいので、いても大丈夫だったりするんだ。
♢♢♢
「――あっ!
姫宮さんの彼氏が立ち上がり、早足で、どこかに向かう。
伊織? と思い、あたしはドアの方に、目をやった。
そこには、先月、謎の神社で、あいさつを交わした桜柄の着物姿のおばあさん。それから、いつも、藤の香りをまとっている
あっ、まつ毛も同じ色だった。
髪と眉毛とまつ毛の色を同じにしてる人が多い気がするのだけど、一緒に染めてもらうのかな?
自分で染めるのかな?
彼は、
着物を着た彼を初めて見た。
胸元には、銀色の蝶モチーフのネックレス。
彼の左手には、ブレスレット。
黒い石が、ここからでも見える。
彼の右手には、
嫌だな……。嫌いだ。
先に、電車におばあさんが乗り、続いて、彼が電車に乗る。
おばあさんは、黒いレースの日傘と、上品なバッグを持っている。
姫宮さんの彼氏が、うれしそうな顔と声で、彼に話しかけた。
そうだ。思い出した。
前にも、姫宮さんの彼氏が、彼のことを伊織と、呼んでいたんだった。
なんか、違和感があるんだよね。伊織って。
なんでだろ?
着物姿の彼の右手に、藤柄の風呂敷。
嫌なのに見てしまって、
鼻の奥がツンとする。涙が出そうだ。
見たくないなら、見なければいいのに……。
あたしは彼から、目を離す。
電車のドアが閉まり、ゆっくりと、電車が動き出した。
涙が、流れる。
あわてて、手の甲で、涙をふく。
なんで、泣くのだろう?
あの風呂敷が、藤柄だからだろうか?
紫は嫌いだ。特に、淡い感じの紫色が嫌いだ。
でも、外に出たり、短大に行けば、紫なんて、たくさんある。
テレビでだって、見ることがあるけど、泣いたりはしない。
すぐに目を閉じたり、別の物を見れば大丈夫だけど、長い時間見てしまうと、嫌だなと感じたり、なぜか、せつない気持ちになったり、胸の辺りが、もやもやするぐらいだった。
そのはずなのに。
「
姫宮さんだ。
あたしは、自分の横に座っている彼女に目を向けて、「うん」と答えた。
なのに、姫宮さんは、心配そうな顔をしている。
急に泣いたから、びっくりしたのかな?
そういえば、姫宮さんの彼氏がもどってこないけど、いいのだろうか?
ちらっと、姫宮さんの彼氏が、さっきいた辺りに、視線を向ける。
あっ!
目が合った。
座席に座った姫宮さんの彼氏が、こっちを見てる。
そのとなりに座ってる鉄紺色の着物姿の彼も、こっちを見てるんだけど……。
鉄紺色の着物姿の彼が、目をそらさないからなのか、目を離すことができなくて、緊張しながら、しばらく見つめ合っていたら、「琴乃ちゃん」と、声がした。
パッと、勢いよくふり向くと、姫宮さんがぷくっと頬をふくらませていた。
子どもみたいだ。
「怒ってる?」
たずねると、大きくうなずく姫宮さん。
「姫宮さんの彼氏を見てたわけじゃないよ?」
「うん、あの、着物男子を見てたもんね。
「安心?」
「うん、あの人のことが嫌いだから」
冷たい眼差しで、はっきりと言う姫宮さん。
昔、なにか、あったのだろうか?
ここ、電車だし、いろんな人が聞いてると思うんだけど、大丈夫なのかな?
ちらっと、鉄紺色の着物姿の彼に視線を向けた。目が合う。
ゆっくりと視線を動かして、彼のとなりに座ってる桜柄の着物姿のおばあさんを見た。彼女もこっちを見ていた。
おばあさんがニコリと笑い、
グイッと、服を引っ張られて、おどろいたあたしは、横を向く。
姫宮さんは、あたしのTシャツのすそをつかみ、うつむいている。
どうしたらいいのだろう?
わからなくて、困っていると、「
顔を上げると、姫宮さんのとなりに座る栗本さんと、目が合った。
栗本さんは、あたしにはなにも言わず、姫宮さんの頭をなでる。
姫宮さんは、あたしのTシャツうつむいたままだ。
足音が聞こえた。そちらを向けば、姫宮さんの彼氏が、こちらにくるのが見えた。
栗本さんが、姫宮さんの頭から手を離して、立ち上がると、その場所に、姫宮さんの彼氏が座る。
「桃葉ちゃん。友達になりたい人を困らせてはいけないよ」
姫宮さんの耳元で、やさしくささやく、その声に、姫宮さんがピクリと動く。
その反応を見て、満足そうに笑った姫宮さんの彼氏は、姫宮さんの頭をやさしく、ポンポンする。
「うわぁぁぁぁん!!」
パッと、あたしのTシャツから手を離し、泣きながら彼氏に抱きつく、姫宮さん。
そんな彼女の背中をやさしく、ポンポンしてあげる姫宮さんの彼氏。
なかなか泣きやまない姫宮さんを少し困ったような顔で見つめて、姫宮さんの彼氏は小声でささやく。
「みんな、大きな赤ちゃんが泣いてるなって思ってるよ」
すると、姫宮さんがビクリと動き、「違うもん。赤ちゃんじゃないもん。大人だもん」って、つぶやいた。
姫宮さんは、電車が
♢♢♢
蓮夢駅に電車が着いたので、リュックサックを背負ったあたしは、緊張しながら、ホームに降りた。
あたしの他に、姫宮さんと、姫宮さんの彼氏と、栗本さんと、桜柄の着物姿のおばあさん、それから、伊織と呼ばれていた着物男子も、降りている。
姫宮さんはもう、泣いてないんだけど、ふてくされた顔で、自分の彼氏にくっついている。
コアラみたいだ。
動物園、行ったことないけど。
こっちに引っ越してきてから、動くコアラを動物番組で見た。
だからあたしは、コアラみたいだなって、そう思ったのだ。
西瓜包みを見ないようにしながら、着物男子と、桜柄の着物姿のおばあさんに、視線を向ける。
二人がこちらに向かって、軽く会釈をしたので、あたしも返す。
二人はどこかに向かって、歩き出した。
どこに行くんだろう?
そんなことを思いながら、見ていたら、「立派な西瓜ができたから、
「あの、桜柄の着物の人、姫宮さんのおばあさんの、お友達なんですか?」
と、姫宮さんの彼氏にたずねると、なぜか姫宮さんが口を開いた。
ぶすっとした顔で。
「
「……そうなんだ」
姫宮さんの彼氏がしゃべり始めた。
「西瓜持ってた着物男子。あいつの名前、
「……そうなんですね」
「あいつ、こっちに母親の実家があるから、昔からよくきてたんだけど、今年の春、こっちに引っ越してきたんだ」
「春? あたしと同じ?」
あたしがおどろくと、姫宮さんの彼氏が、クスリと笑う。
「同じ一年生だからね。あいつは僕と同じ大学に通ってるんだ。琴乃ちゃんと同じ日に生まれたんだよ。四月二十八日が誕生日だよね?」
「はい……」
あたしは小さく、うなずいた。
あの人と、同じ日が、誕生日だなんて……。
ドキドキする。身体が熱い。
鼻の奥がツンとして、涙が出てきた。
あたしは急いで、涙をふく。
なんで泣くの? 恥ずかしい。
ここから、逃げ出してしまいたい。
どこかに行きたい。一人になりたい。
でも、無理だ。
今、蓮夢駅に着いたばかりなのだから。
姫宮さんの彼氏は、あたしが泣いたのに気づいてるはずなのに、気にしてないのか、おだやかな顔で、話を続ける。
「あいつのおばあさんがね、桜柄の着物を着ていた人で、
「……藤森、桜さん……」
藤森……という、名字なのか。
胸が、ざわざわする。藤、だから?
姫宮さんの彼氏は、自分にくっついている不機嫌なコアラ――じゃなくて、彼女に気づいてないような、ニコニコ笑顔で、話を続ける。
「桜さんはね、『さくらな
「そうなんですね」
「琴乃ちゃん、僕にもふつうにしゃべっていいんだよー。そうなんだーって、言ってくれた方がうれしいなぁ」
「わかりました。できれば、そうします」
あたしが真面目に答えると、姫宮さんの彼氏が「可愛い」ってつぶやいた。
なにが可愛いのか、よくわからない。
そのあと、姫宮さんが、「お腹空いたー! かき氷、食べたいー!」と、騒ぎ出したので、あたしたちは、改札に向かって、歩き始めた。
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