第354話:戦場

 その日の陽はやけに眩しかった。

 ノルトはバエティカの防壁の上で、兵士や冒険者が戦っている姿を見ていた。


 ノルトたちが出撃するのは、コボルトリーダーのような強めの魔物が現れ、オークが見えてきたらということになっている。

 それまでは戦いを指示しながら援護したり、武具の補給をするのが仕事だった。


 序盤は低質な武器で初級の冒険者が獣や弱い魔物を狩る。それが定石だとはノルトも知っていたけれど、もどかしさは変わらなかった。


 最初からノルトたちが戦うのが良いのか、今のように後から出た方が良いのか。答えは分からないけれど、きっとセネカたちもこういうことをずっと考えていたんだと今になって気がついた。


「なるほどな」


 そこまで思い至って、ノルトは考えるのをやめた。


 ノルトは自分の頭があまり良くなくてよかったと感じている。自分には答えを出すことなんてできないので、やれることに集中しようと切り替えることができる。


 目の前では鉄級や銅級下位の冒険者たちが戦っている。致命的な状況になったら飛び出そうとノルトは身体を揺らす。


 ただ漫然と見ているだけではいざという時に動けない。コボルトが攻撃するたびに腕をピクッとさせて、自分がもしあの冒険者だったらこう動くと考える。頭じゃなくて身体で考える。


 このやり方を覚えたのはいつだっただろうか。ノルトの記憶によれば、剣神流の剣技を学びはじめて何年か経ってからのはずだが、正確には覚えていない。けれど、自分が戦っていなくても研鑽を積めると分かった時、ノルトは目が眩むような衝撃を受けた。


「もう少しだな」


 ノルトが口に出すと、隣にいたミッツが頷いてピケも同意した。この二人がそう思うなら、間違いはないようだ。


 ピケは【短槍術】、ミッツは【水魔法】のスキルを持っている。気が付けば『明星』は全員がレベル3だった。


 二人とも所詮凡人という顔をしている。でもそれはセネカやルキウスと比べたらのことで、それを考えなければこの街でも有数の冒険者なのだ。


「ピケ、ミッツ。これは晴れ舞台だ!」


 ノルトは気合いを入れた。

 幼馴染二人はその言葉の意味を正確に把握していた。


「バエティカ孤児院同期組が活躍しないとね」


「セネカとルキウスも頑張ってる」


 セネカ、ルキウス、ノルト、ピケ、ミッツ。

 結局五人全員が冒険者になった。

 全員でこの危機に立ち向かうことができる。


「ピケ、ミッツ。泣くんじゃない」


 二人とも目に涙を溜めていた。

 ミッツが笑って言った。


「一番泣きそうなのは、ノルトじゃないか」


 ああそうだろうな。とノルトは思ったけれど意地でも言葉を発しなかった。


 少しだけ空を見上げ、眩しい光を浴びた後でノルトは戦況を確認する。


 コボルトの数が増え、手が足りなくなってきている。

 微かにだけれどオークの群れの姿が見えてきている。


「ミッツ頼む」


 ミッツが手を挙げて、後方に合図する。

 伝令が走るのが見える。

 そしてすぐに街中にいる兵士からの合図が来た。


「[お天気雨]」


 ミッツがスキルを発動した。

 狭い範囲ではあるけれど、一帯に小雨が降り注ぐ。

 魔力温存のために効果は小さくしているが、味方を助けて魔物の力を制限する効果がある。


 ノルトは防御壁から飛び降りて、雲ひとつないのに降りてくる雨粒を浴びた。


「『明星』の出撃だ!!!」


 ノルトは最前線に躍り出る。

 雨が合図となって、戦い続けていた冒険者たちが少しずつ退いてゆく。


 ノルトは改めて剣を構えた。

 状況は悪い。持ち堪えられるか分からない。

 でもノルトはセネカに尊大な言葉を吐いた。

 悲劇を避けるためにするべきことはそんなに多くない。


 ノルトはコボルトの群れに突っ込み、精一杯強がった。


「まずは準備運動だな!」


 バエティカの防衛戦は激化していった。





 ノルトは体重をかけながらオークの胸に剣を突き刺した。

 足がふらつき、手の感覚はなくなっている。


 戦闘を開始してからどれだけの時間が経ったのかはもう分からなくなっていた。


 敵が近くにいない気がしたので剣を抜き、ついでに空を目に入れる。

 いつの間にか日は傾き始め、そろそろ暮れてもおかしくなさそうだ。


 近づいてきた兎の魔物を蹴散らす。

 ほとんど頭は働いていないけれど、身体がこの状況に慣れたようだった。


 ピケとミッツが近くにいるのは分かる。

 二人とも無事で、疲弊しているが怪我もない気がしている。


 同じところに配置された顔見知りも大体は元気な感じがする。

 大型の敵が来ると近くにいる奴で連携するので、顔を何度か合わせている。


 しかし記憶を辿ると全然見なくなったやつもいる気がする。

 配置転換か怪我をしたのか、それとも……。


 また別の兎を蹴り飛ばすと、地面に落ちる武具が目に入ってきた。

 足を取られるので無意識のうちに避けているのだが、その中にはどう見ても人の形をしたものがある。


 ノルトも本当は分かっていた。

 あの革鎧の小洒落た模様は誰のものか。

 真新しいのにひしゃげている胸当てを着けていたのは誰だったか。


 ここは戦場だという気持ちが改めて強まってゆく。

 事実を拒絶はせず、でもそれ以上のことは考えないようにしながらノルトは顔を上げた。


 さっきからやって来るのは小物ばかりだし、近くにあまり魔物がいない。遠くを見つめても目に入って来るのは、獣とそう変わらない魔物たちばかりだった。


 これで終わりということはないだろうとノルトは感じていた。

 むしろ、これからやって来るのは大物かもしれない。


 周囲への注意は保ちつつも、ノルトは急いで回復することにした。ポーションを数滴舐め取り、水を飲む。乾燥野菜と果物を口に放り込み、脂に漬けた塩肉を味わう。


 袋の中の水を飲み干し、少し下がる。すると若い冒険者が水袋を持ってきてくれた。他に何か必要かと言われたがノルトは首を横に振った。


 ピケとミッツに加えて他の冒険者たちもやってくる。みんな声を出すのも億劫な様子だった。


 戦いの時にはどうしても大声で情報を伝える必要があるが、ノルトは言葉を話している感覚はなかった。


 おそらくみんながそうだったのではないかと思うが、「あぁ!」とか「おい!」とか言って、あとは身振りと感覚でやり取りをしていた。声がしわがれてそもそも何を言っているのか分からない人も多かった。


 ノルトはピケとミッツに「来るぞ」と言った。多分音としては「うぅ!」みたいになってしまったけれど、二人とも理解したようだった。


 束の間の休息を楽しんだ後、何匹かの兎やイタチの魔物を倒した。そうしていると、これまでとは明らかに違う様子の魔物が近づいて来るのが分かった。


 遠目には、その魔物はハイオークだった。ノルトもみんなと協力して先ほどから軟体もハイオークを倒しているが、それらとは見た目も雰囲気も大きく違っていた。


 そのハイオークの体表は他よりも黒かった。上半身は明らかに太く、筋肉で盛り上がっていた。

 変異種の中でも特殊な個体。それが次の相手だった。


 敵は明らかにノルトよりも強い気配をまとっていた。

 ここにいる者だけで倒せるのか分からない。

 冒険者たちは後方支援の者たちに合図を送り、増援を求めた。


「戦いの時間だ」


 掠れた声でノルトは言った。

 休息したおかげかノルトはこの戦いに関する簡単な計算ができるようになっていた。

 それは兵数とか効率とかそんな複雑なものではなくて、実力順を元にした単純なことだ。


 大体にはなるけれど、自分より少し強い人間を思い浮かべる。

 ノルトがやられたらその人が代わりにノルトの分を負担することになる。

 そいつがいなくなれば、その次に強い人が頑張らなければならなくなる。

 そうやって順に繰り上がっていって、最終的にはセネカやルキウス、そしてシメネメの動きが重くなっていくのだ。


 やっぱりこの戦いは重要だとノルトは確信した。

 もうすでに限界のような気がするけれど、それを無視して敵を倒さなければならない。そうでなくとも引きつけ続けなければならない。


「限界を越える」


 ノルトはそれしか言葉を知らないかのように呟き続けた。

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