第348話:六人の男女

 領主との打ち合わせを終えたあと、セネカは宿の部屋に戻った。

 話を聞いていただけだけれど気疲れした。


 整理するべきこと、気にしなければならないこと、これからのこと。沢山のことが頭にある。戦いのことがほとんどだけれど、ノルトのことだってどう受け止めるのが良いのかまだ分かっていない。


 休んでいる場合でもないと思いつつ、寝るのが最善だというのも正しそうだった。


 キトが作った香草液の瓶を取り出す。

 液は深い青色をしていて、微かにとろんとしている気がする。

 その様子を見ているだけで眠りに誘われる気がするのは、多分偶然ではないのだろう。


 セネカは瓶を開けて、ゆっくりと液を飲んだ。

 とろみがあると思っていたけれど、すっと喉を通り、身体に入ってくる。

 わずかな苦味とともに豊かな香りが広がって、心が落ち着いてくる。

 鼻腔に残る余韻を楽しんでいると、ふと甘みが湧いてきた。


 特別美味しい訳ではないけれど、静かに沁みていく不思議な飲み物だった。効果があるように感じるのは、キトが作ったと知っているからなのだろうか。


 セネカは一旦全てを忘れて横になることにした。

 目をつぶって身体の感覚に意識を集中させる。


 いつの間にか馴染んだ自分の力、スキル【縫う】が暴れたいと言っているような気がして、眠る直前は嬉しい気持ちだった。





 マイオルは重い身体を何とか起こした。

 寝る前は気が付かなかった疲れをいまは認識できている。

 気にしない振りをしていたけれどやはりかなり疲れていたようだ。

 

 起こしてくれたのは『新緑の祈り』のメテラだった。

 彼女も疲れているはずだけれど、『月下の誓い』の女性陣を起こしてまわってくれているのだ。


 眠ったおかげかマイオルの頭の中は整理されていた。

 もう一度よく考えてから決断を下すけれど、いくつかの作戦に変更を加えた方が良さそうだった。

 それに何処かで総指揮官としてみんなに話をしなければならないが、その内容も自然と頭に浮かんできた。


 すぐ側に置いてあるブロードソードを手に取る。

 心地よい重さが手から腕、そして足に乗ってくる。

 身体の調子は悪くなさそうだ。


 この疲労は主に頭脳労働と気疲れによるものだ。

 寝たおかげで回復したようだし、身体はまだまだ動かせる。


 このままぼーっとしたいところだったけれど、マイオルはキトに借りた鏡を取り出し、机に置いてから座った。


 鞄から香油などの瓶、それと櫛を取り出す。これもキトに用意してもらったものだ。

 

 マイオルは櫛に香油をつけて丁寧に髪をいてゆく。

 あらかじめ準備していた水で顔を丁寧に拭く。

 また違う軽い油を肌に塗り、唇を赤く染める。


 最低限だが、商家仕込みの化粧だ。雰囲気が大きく違うと感じる人もいるだろう。


 香りは少なく、魔物を刺激しない成分にしてもらっている。キトのお陰で特大の虚勢を張る準備が可能だった。


 マイオルは冒険者に化粧は不要だと思っている。

 本当はこんなことはしたくない。

 だけど、もし少し身だしなみを整えるくらいで士気が変わるのであれば、やらない手はないと考えていた。

 もちろん女性冒険者の反感を買わないように気をつける必要もある。


 ほんの短時間の儀式のおかげで、髪の艶は増し、目の下の隈も目立たなくなった。肌は白く見え、緊張で色の悪い唇も元気な振りをしてくれる。


 指揮官が元気かどうか。

 自信があるかどうか。

 前向きであるかどうか。


 そういうことを戦う者は敏感に感じ取る。女だけではなくて、男ですら口を紅で染めることがあるのだ。


 これが死化粧になる可能性もある。

 凱旋のおめかしに化けることもある。

 どちらにするかはマイオル次第なのだ。


「さて、英雄になりますか」


 せめて言葉だけでも。


 マイオルは震える足を押さえつけながら街の中心地に向かった。





 ジャムスは十四歳、銅級の冒険者だ。

 バエティカで冒険者となり、順調に成長してきた。


 いまバエティカは危機に陥っているらしい。先輩たちの話では、オークキングが山の奥にいて、沢山の魔物がこれから街にやってくるのだという。スタンピードという奴だ。


 ジャムスも銅級冒険者。若いから最前線ではないものの、主力として仲間たちと街の防衛にあたることになっていた。


 命を賭けることは惜しくなかった。むしろ、なぜ自分達にもっと大事な役目を任せないのかと思っているくらいだった。


 ジャムスはいま、バエティカの広場にいる。これから戦いが始まるので、総指揮官から話があるというのだ。早朝だというのに冒険者や兵士に加えて、街の人も集まっている。


 ジャムスは『月下の誓い』が気に入らなかった。何か成果を上げるたびに先輩達から彼女達の話をされて、調子に乗らないように嗜められた。庇ってくれるのは『明星』の人たちくらいだった。


 噂話に騙されて、崇めるようなことを言う冒険者もいる。ジャムスは会ったことがないのだが、たまたまバエティカに『月下の誓い』がやってくれば大騒ぎする始末だ。


 いつの間にか広場は人でいっぱいだ。みんな武装しているので、あんまり動くこともできなかった。いらつきが増し、あいつらは何をしているんだと仲間と話していると、遠くの方がざわつき始めた。


 仲間が指差す方を見ると、空を優雅に歩いてくる六人の男女の姿があった。目を凝らすと足の下には長い棒のようなものがあって、その上を歩いてきているようだった。


 腕を組みながらその様子を見ていると、突然全員が飛び上がり、広場の中央に降り立った。


 女が前にいて、後ろには男が二人いた。一人は黒髪で穏やかな顔をしているが、只者でないことがジャムスには分かった。立ち姿から剣士かもしれないと感じた。


 もう一人は黄色い髪をくしゃっとさせていて覇気がなかった。だけど目を見ると油断できないところがあるような気がした。


 二人が軽く手を振ると女の声が聞こえてきて、ジャムスは本当に腹が立ってきた。


 男二人の前には、黒髪を肩まで伸ばした女と赤毛の女がいた。黒髪の女は背が高く、すごく落ち着いた様子だった。正直好みだったけれど、実はもっと気になる女がいた。


 一番前には薄い茶髪の女が二人いた。強いて言うのなら片方が金っぽくて、もう片方が銀に見えた。


 金の女が前に出てきて、自信満々の顔で口を開いた。

 ジャムスの胸は何だかざわついた。

 可愛いとかそういう意味ではなくて、とにかく目が離せなくなった。


「いまバエティカは危機に瀕しています」


 一言目はそんな言葉だった。

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