第321話:今日という日
今日は久しぶりにプラウティアと食事に行く日だ。
ファビウスは普段着ない服を取り出して、問題がないことを確認する。
王立冒険者学校の卒業生、そして銀級冒険者としてふさわしい振る舞いをする自信はあったけれど、慣れている訳ではなかった。
今日行く店は以前ゼノンに教えてもらった店だ。ファビウスは都市トリアスでの一件以来、ちょくちょくゼノンに修行をつけてもらっているがその時に話に出たのだ。
ゼノンは未婚で、女性に興味があるようには見えないけれど、国の要職についている人と会食をしたり、半ば騙し討ちのような形で女性と食事に行かせられることがあると言っていた。
現在ゼノンの行方が分からなくなっているようだが、ファビウスは全く心配していなかった。むしろ、ゼノンを害することのできる存在を教えて欲しいほどだった。
プラウティアは高価な店を好まない。植物であれば実家で極上のものが食べられるだろうし、自分で採ることも多い。肉に関しても似たようなものだ。
もちろん料理の腕や多様な食材という意味では店に敵う訳がないのだけれど、良い店は混んでいるか高いのでちょうど良い塩梅がないと話したことがあった。
しかし、王都を離れている時にはパーティで様々な店に行っているようだった。その土地で人気の大衆食堂や珍しい物が食べられるお店などを探すのがプラウティアは好きだと言っていた。
どうやら『月下の誓い』の過ごし方はファビウスたち『羅針盤』が地方都市に行ったときとほとんど同じようだった。学校時代に仲の良かった者ばかりなので当然かもしれないが……。
そんな訳でファビウスはプラウティアと高級な店に行くことを考えたことがなかったのだけれど、最近ニーナに「行け」としつこく言われたのだ。
ニーナが言うには、高級なお店というのは『雰囲気』と『接待』にお金を払うものらしい。ファビウスからしたらそうやって人に畏まられたり、こちらの気配を常にうかがわれているような空気が苦手なのだけれど、ニーナが何度もそう言うので、ついに行くことを決意した。
ちなみにそんなニーナに高級な店が好きなのか聞いてみたところ、「上品に食べなければならないから面倒」と言っていた。プルケルは苦労するなぁとファビウスは思ったけれど、ニーナは分かりやすいので、実際はそんなに苦労することがないと聞いていた。
何はともあれ、食事だ。ニーナには馬車で『月下の誓い』の拠点まで迎えに行けと言われたけれど、それはさすがに拒否した。
貴公子と言われるプルケルも首を振っていたし、同じく貴族のストローも微妙な顔をしていた。相手が貴族のお嬢様だったらそういう演出をするのかもしれないけれど、流石にやりすぎだろうと思っていた。
もちろんプラウティアも歴とした貴族の子女ではある訳だけれど、そこまですると負担になりそうだった。
ファビウスは自分たちの拠点からさほど遠くない『月下の誓い』の拠点に向かって歩き出す。
これまでに何度もこの道を歩いてきた。学生のときに散歩をしたときもあったし、プラウティアと歩いたこともあった。その時々で、プラウティアとの関係は違った。
最初はただの同級生だったけれど、気になる相手、同じパーティの仲間と関係は移り変わっていった。
ついこの前は、樹龍の巫女となったプラウティアのことをどうにかして助けなければと焦る気持ちを胸にこの道を駆けた。
そして今日は正式に交際することになった恋人として、プラウティアを迎えに行くために歩いている。
全てが変わったようにも思うし、何も変わっていないようにも感じる。そんなものなのだろうかと石畳を踏み締める。
ファビウスは、もしかしたら自分は厄介な女性と出逢ってしまったのかもしれないと考えることがある。
ファビウスがプラウティアとともに巻き込まれた物語は壮大で、命を賭けるほどのものだった。
世界の植物を統べる樹龍を相手にファビウスは全てを出し尽くした。プラウティアを助けるためには全てを投げうってしまおうと覚悟もした。
結局ファビウスのしたことはみっともなくて、セネカたちのように自ら運命を切り開くことはできなかった。ただ剥き出しの自分を晒しただけだった。
けれどプラウティアが助かったのは本当で、自分が貢献した部分もあったと思えることがファビウスの支えだった。
虚勢だとしてもいま泰然と歩く格好ができているのは、それのおかげだ。
ファビウスは最近になってようやくあの一連の騒動について心の整理ができるようになってきた。
話が大きすぎて焦点がぶれてしまっていたけれど、ファビウスが立ち向かっていたことは、それほど稀なものではなかったようにも感じてきたのだ。
最近になって知ったことだが、冒険者の同級生がまた一人命を落とした。故郷の知り合いが病でこの世を去った。この前行った村は魔物に襲われてやっと復興してきたところだった。
命を落とした人がいる。その人を愛していた人がいる。
失うか失わないか。それは決まっているのかもしれないけれど、ファビウスはどうしても抗いたかったのだ。
「そうか」
こうしてプラウティアと食事に行くことができるのは、ありふれているようで、やっぱりそうではないのだ。
そういう意味では、ニーナの言っていたことも正しいのかもしれないとファビウスは感じた。
あんなことがあったからではなくて、有限であるという意味でこの時間は大切なのだ。それを普段通りに過ごすことも美徳だけれど、お金を払ってより特別にすることも悪くはないのかもしれなかった。
そして、ただ受動的に受け取るだけではなくて、自ら働きかけて特別にしてゆく。食事や時間のことだけではなくて、そういう在り方がとても大切なのかもしれないと、『月下の誓い』を見てファビウスは痛感したのだ。
そんなことをとりとめもなく考えていると『月下の誓い』の拠点が見えてきた。本当に一瞬のことだった。
待ち合わせよりもかなり早いのに家の前にはプラウティアがいた。品よくまとめられた髪に抑えた色のドレスがとてもよく似合っていた。
ファビウスは手を振って近づき、プラウティアに言った。
「プラウティアさん、今日という日を一緒に特別にしよう!」
なんのことかと首を傾げるプラウティアは、今日も一段と可憐だった。
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